作家淘汰の時代?
『プリンターが上手く稼動しないとか、キレイに仕上がらないとかうだうだしてる間に手を動かしてる方がよーっぽどマシだし、精神衛生上いい』
と言ったらば、反論できないでいた。だってそーじゃんね?PC相手に格闘してる時間てえっらい無駄してる気分になるっしょ。少なくともあたしはそーなのだ。
えーと、そんなわけで礼状はまだちょっと先です、ごめんなさい。その代わり(?)、ひとりひとり丁寧に書きますんで。
さてタイトル。
三茶でお隣のガラスアクセの方とお客さん(だけど同業者だと思われる)人との会話が耳に入ってきて、ふむふむと思いつつも考えてしまったことを。
共通の知り合いらしき人が「ビーズアクセサリー(作家)を辞める」と言ってるそーで、なぜなら「以前のようには売れないからだ」と。「それに40歳にもなってこんなことしてるなんておかしいでしょ」と言われたことに『私は42だけどそれが何か?』と憤慨してて、『売れるから作る、売れないから作るのを辞めるって言うんなら所詮その程度。あンたが辞めるなら同業者が1人減ってこっちは助かると言ってやった』んだそーだ。はっはっは。
正直な話、「必要とされないならいつだって辞めてやる」と思っていた、10年くらい前までは。売れないってことは「いらない」ってことだよなぁー、とボウズ(出店して売り上げゼロの日)に相当凹んだけど、それでも続けてきたのは「好きだから」だと思う。それを趣味として生きる道もあったと思うけど、そうしなかったのは、作るのが好きで、そして「お金を払ってでも欲しいと思ってくれる人と出会う喜びや楽しさ」を知ってしまったからではないかと思うのだ。どちらか一方だけでは続かなかった気がする。
『売れない』『毎年売り上げが落ちてる』『材料費が高騰してつらい』という話はよく聞くけど、『だから辞める』という話は身近ではまだ聞かない。生き残る道を模索しながら、考え、悩み、ときに凹みながらも「続ける道」を選んでる。そういう作家さんばかりと親交がある、てことかもしれないけど。(大体みんな40なんて超えてるな、そー言えば)
作家淘汰の時代に入ったのだとしたら(そもそもいろんな作家が増えすぎたと思う。ひと頃に比べてあらゆる業種でお手軽に作れるアイテムが増えたし、PCがあれば何でも出来るようになったし)、真っ先に淘汰されるのは「売れるから、流行だから作ってた」人たちではないだろか。こだわりも独創性もそんなに強くはなくて、お客さんが望む方向とか何とか、そういうことにもあまり関心はなくて、「飽きたから辞める」に近い人たち。彼、彼女たちが去ったとき、「何よりこの仕事が好きで」という作家さんたちが残るのだろう。
9メートルのさらしちぎり絵巻を作ったとき、あたしってホントにこの手作業が好きなんだなーっ、と心底思った。途中で飽きたり嫌になったりするんではないかと、始めるときはそれが怖かったのだけど、そんなのは杞憂だったとわかって、それが嬉しかった。それだけでも「収穫」だったと思ってる。
いま、「モノ作り作家」は増えすぎて、この不景気もあって結構きつい時代でもある。でもどこかに必ず活路はあって、そして「続けて生き残れた」と思えるときが来ると思う。そンときまで、がんばって踏ん張って行こうね、「好きだから続けてる」同業者諸君。
20年以上しがみついてきた稼業ですけど、
だからこそ、簡単には捨てられないっす。
もう、やめよかなあ…って思ったこと、何度もあるけど、
しんどい中、なんとか細々と続けてるってことは、
結局、この仕事が好きだからなのなあ…
うん、お互い、頑張っていきましょうね。
(「言ってやった」ガラスアクセやさんにも!)
〜だから辞めようかなー、って言う人が身近にもいるけど
どーぞどーぞと言ってやりたくなるです。
朝からやる気になりましたよっ。
三茶では、久々にお話できて楽しかったです。
ちぎり絵本、ほくそ笑みながら読んでますよー。大事にしますね。
その「好きだ」というキモチを大事にしながら、がんばっていきましょね!
ちぎり絵本、ほくそ笑んでくれて感謝(^^) またどこかでお会いできるのを楽しみにしてますー!