窓ガラス磨きと掃除と年賀状
買い物に付き合い、夕方から自分の部屋の掃除。鏡を磨いたり、座卓(ちぎり用に使ってたモノに、いまはあれこれごちゃごちゃと乗ってる)とその周辺、そして洋服箪笥(下着とTシャツのみのちっちゃいやつ)周辺。その隣の本棚1号と入り口側の2号までは手が出せなかった…。つか、出してたらえらいことになってたと思う。何せ本棚だけど本だけじゃないかんねぇ。何でこーもごちゃごちゃとあるかなぁ。作家サンの小物たちも多いから簡単に始末できるよーなもんでもないし。
賀状を置いといてばたばたと部屋を始めたのにはワケがある。何と「可燃ゴミの日」が明日が最後なのだ!早すぎるだろう、それは。そんで新年は4日からなんて、生ゴミとか1週間も溜め込まされるわけじゃん。不燃ゴミなんて先週の木曜が最後で、いつのまにか終わってた感じだし…ぶつぶつ。まぁ、あたしらしく「大掃除」ではなく「掃除」なので、ゴミの量なんてタカが知れてるんだけどね。本格的な大掃除は来年…て台詞を、もー何度も言ってる気がするなぁ。
腰の調子が抜群にいいわけではないのだけど、つーかまだ多少は不安を抱えてるわけだけど、座卓に戻りたい、と思う。その方がチラシ箱を周辺に配置できるので作業がやりやすいし、何より机が広い。(仕事してるうちにどんどん狭くなるけど) 来年、それを目指そうかなぁ。のためにはとっとと捨てればいーものがゴマンとあるな。いまは収納してごまかしてるけど、そろそろ飽和状態。友人からの手紙とか(ン10年分)、未整理のままの写真、読んだらと思うまま読んでない雑誌とか(ちぎり向きではないヤツ)、昔のスケッチと原稿とか殴り書きとかその他もろもろ。ぬいぐるみとかも多いんだよねぇ~。捨てられないまま今日に至ってるモノ、あまりにも多すぎ。44年も生きてりゃこーなるよなぁ。
夜になってから賀状をせっせと書き始めた。「あけましておめでとうございます」なんて、毎年100回以上書いてるわけだから、いー加減も少しキレイに書けそうなもんだけど、相変わらずまっすぐじゃないし、文字の大きさも均等じゃない。これって「殴り書き」って言わないかなぁ。「達筆」と呼ばれる域に達するには、どんだけ書けばいーのだろー。ま、不揃いさが「手書きの証拠」と思えば悪くないか。なんてな。
先日、そば屋でシャインが領収書(ン百円のそばでも、これを求めるお客さんとゆーのがたまにいるのだ)を書いてて、思わず『きったない字っすねぇ~』と本音を漏らしてしまった。だってホントに汚い字だったんだもん。本人も認めてたけど。仮にも領収書なんだからさ~、とまでは言わなかったけど、成人してそれはマズいんじゃないの、と思ってしまった。これから益々、そういう人ってのが増えてくんだろね。「手書き」というだけで尊敬されたりしてね。
かく言う自分も最近じゃ手紙よりメールの方が圧倒的に多いわけで、字ってのを書かなくなった。絵本の字は手書きだけど、日頃書かなくなったから不揃いも治っていないし、むしろ緊張するようになった気がする。来年はもっと字を書こう。今年は「日記をちゃんと書く」のが目標だったくせに、5、6月あたりで止まってるんだよねぇ。まずはこれを質そう。抜けてる半年分は…どーしよっか。このブログ見ながら書くのもひとつの手だけど、アホらしすぎるので、ここには書けなくて、思い出せることだけ書いてみよーかな。
って、それよかいまは年賀状だ。