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それがランドセルである、ということ

タイガーマスク現象(?)が止まらない。今日(1/12日)までで全国で300ヶ所、既に全ての都道府県で確認されているみたいだ。すごい。何か嬉しい。不景気だ何だと言いつつ、振り込め詐欺もあとを絶たず、何かと世知辛い世の中ではあるけど、でもこうやって「善意の輪」が全国へ波及していくのは素敵だ。「タイガーマスク」以外にも随分いろんな名前があって(クレヨンしんちゃんだとかスティッチだとかせんとクンの友人だとか)、今日『そろそろオレの出番かな』と矢吹丈名義のランドセルが届いたと新聞で読んだ。くぅ~っ、憎いぜ、泣かせるぜ。

ランドセルの他にも文具券だとか図書券、文房具、そして現金などいろいろ届いているみたいだけど、まず(先月の終わりあたり?)の、タイガーマスクの「ランドセル」ってのがいいなと思った。
ランドセルってえらく高いじゃん。2万~4万、高いのだと8万くらいにまでなる。普段は気にも留めないけど、ランドセルって「必ずしも必需品」なわけではないのに(文具とかと違って「代替品」がないわけじゃない)、新1年生にとっては「必需品に近い」ものなんだよね。いまは何十色とあるけど、形はどれも似たり寄ったり。リュックや、もっと軽くて機能性のある鞄でもいいはずなのに、丸味を帯びた長い蓋をかぱっと開ける仕組みのあの形。(これだけ多様性のある鞄が溢れてる中で、あれだけが変わらないってのも不思議だ)

自分がもし「どこかに寄付してもいい10万円」を持ってたとしたら、そこでランドセル、という発想には至らない気がするんだよね。いや、いまならそれを選ぶ気がするけどさ。文具券とか図書券とか、あるいは現金でとか、「子供たちへ」という発想はあっても、さらにそこから限定される「新1年生へ」とはならない。(と思う) だからこそ今回の「ランドセル」には正直目から鱗、だったのだ。あ、その選択は素晴らしいな、と。

様々な理由から養護施設で過ごす子供たちのうち、どのくらいがこの春1年生になるのかわからないけど、そのたったひとつのアイテムで彼らの目の輝きは変わるだろう。「両親がいなくても、自分も同じ1年生なのだ」と思えることがどれほど大事なことか、たぶんフツーに暮らしてきてしまってるあたしたちにはわからない。大事なのはモノじゃないよとか、鞄なら他のでもいいじゃないとか、そういう理屈を平気で通そうとするオトナは、たぶんきっと“もし自分がクラスの中でひとりだけランドセルでなかったら”という想像ができないし、したこともないのだ。ランドセルを持つことが「新しい人生の一歩」であることがわからず、それがどれだけ輝かしく、素晴らしい「特別なこと」であるかもわからない。自分もかつては未知の世界にどきどきした、同じ1年生だったときがあるにもかかわらず。

昨日、そば屋でOD君が『いいなぁ、タイガーマスク。オレのとこにも来ないかなぁ~』と言ったので、
『昨日オトナになったんでしょ(彼は成人式だったのだ)、キミがタイガーマスクになる番でしょ』
と言ったらば、『そぉなんですけどぉ~』とむにやむにゃ言ってた。ま、キモチはわかるけどね。「大人」の定義っていろいろで難しいけど、でもそのうちのひとつに「次世代のことを考えられるか」ってのもあるんじゃないかと思う。だとしたら、あたしには何ができるかなぁ。出店して、名前も知らない子供たちに出会うたび、彼らのためにできることを思う。タイガーマスクにはちょっとなれないけど、でも「何か」はあると思うんだよね。
タイガーマスク現象、続いて欲しいな。そして願わくば、今年、「ランドセルのない1年生」がひとりもいませんように。
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by yukimaru156 | 2011-01-13 02:23 | 我思う | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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