牛乳の謎が解けた とこんなときだからこそ
先日、喫煙所で男の人が携帯でこんな話をしてるのが聞こえた。
『もちろん、広告は掲載されませんでしたので、全額お返しします』
それ聞いて、広告業界の友人も(その手の余波で)大変なのかな、と思ってメールしたらば、『自分は直接関係ない部署だけど、「普段はいらない作業」に追われてる人も多い』ということだった。たぶん、そゆことなのだろな。節電の影響もあるけど、そば屋前の(毎日うざいと思ってた)動画広告、まだ画面は真っ暗なまんまだし、どのチャンネルもニュース一辺倒の頃、CMは政府広報ばっかだったから、広告業界は結構な痛手だろうなと思う。ま、それをゆーなら「痛手でない業種」の方が少ないんだろーけど。
豆本作家で、イベントの主催者でもある方のブログを拝見してたら、こんな一文があった。
『何より救援物資が大事です。でもそれらが満たされたとき、必ず「そうではないもの」が必要となります。和めるもの、愛おしいもの、癒されるものという、生活に密着してはいなくてもやがて必要とされるものたち。だからこそ、作る手を止めないでください。それは、いまではなくても必要とされるものたちなのです』
えーと、ちょっとうろ覚えなのであたしの脚色(?)も入ってますが、「だからこそ作る手を止めないで」と言うのは、豆本作家さんたちだけに限ったことではないと思う。なくても生活に何の差障りもない、既製のもので充分足りるものを、あたしたちは作ってる。それが何の役に立つ?と無力感に襲われることもあるだろう。日々流される映像の悲惨さに心は乱され、作ることの意味を見失いそうにもなる。ただの自己満足では、と自問しさえする。それでもいつか、誰かが「こんなときだからこそ」と求めてくれることがあるのだ。
震災3日め、「2人展」の最終日。お客さまとの話題も自然にそっちの方へ流れてしまうのだけど、それでもあたしの絵を見て『ほっとするわね』『こんなときだからこそ、こういう絵で和めてよかったわ』と言ってもらえた。「作って終わる」のではなく「作って始まる」ことがある。だから作ろう、と思った。心をこめて。これを読んでる作家さんたち、作ろう。意味ないなんてことないんだよ、きっと。
そば屋の出勤時間まで、ずっとちぎってた。の割には対して進んでないよーに見えるのが何だけど、ともかくちぎった。やっぱり楽しかった。生活に必要なモノじゃないけど、でも手にとって読んで、「うん、そうだよね」と共感してもらえることを祈りつつ。
実はいま、お腹いっぱいで苦しい…(何て贅沢な!) 持ってたまっくのクーポン券の期日が今日(3/31)までで、そば屋の帰り、駅近くのまっくはまだやってるのか?と覗いたらやってて、ポテトのLサイズを買ってしまった。だけならともかく、手を出したら止まらなくなって結局完食。帰宅したらば、ハハが夜食用に菓子パンをひとつ買ってくれてあって、“じゃ半分だけ…”のつもりがこちらも完食…情けないっつーか何つーかだ。あ、そーだ、健康診断の結果を聞きに行かねばならんかったのだった。コレステロールの数値が上がってたらどーしよ。どーしよーもないか、いまさら。