誰かのビニ傘 と「まず花の種を蒔け」
値札をつけねばならなくて(白いマスキングテープでと指定されてる)、100個分というのをちと侮ってたことに気づいた。まずはハンコ名刺(名前とメアドとサイトのみのモノ)をがんがん作って、OPPに入れてホッチキスで止める。と、そこでアホな凡ミスで余計な時間がかかってしまった…OPPを止めるとき、ウラに入れた名刺も一緒に止めてしまったのだ。やり直してたら余裕を持って作った名刺も足りなくなり、刻々と「そば屋出勤時間」は迫り、焦った。マスキングテープの値札は、まずカットボードにびーっと貼って、3センチごとにカッターで切り、番号と価格を書いてから剥がして貼ってった。だけのことなのに、100個となると結構あっちゅー間に時間が経つ。こういう作業、決してキライではないのだけど、時間が惜しいときはイラッとくるなぁ。
野暮用があって、そば屋前にちょっとコンビニへ。でかいビニ傘で、雨がそんなにひどくないときに出たのだけど(でも風がすごかったー。傘がオチョコになりそだった)、ほんの数分でコンビニを出たのに、傘立てにあたしのと同じ傘が4本も!来たときはなかったのに!
あたしのビニ傘は、持ち手部分と骨の先が黒いのだけど(そば屋の忘れ物。大きいので結構重宝してる)、あろーことかみんな同じタイプ。むしろ、フツーの白いビニ傘はない。うわっ、どれだろー、まーどれも一緒かー、と思いながら、このへんに差したよな、と思って抜いてチャリに乗った。ばっと開いた。おおっ、あたしが持ってたのよりずっとスムーズだ。しかもキレイだし。と思ったときはすでにチャリで数メートル進んでたので、引き返して戻す、なんてこたーしなかった。ごめんね、どっかの誰かさん。
結局、作品の値札付けは終わらず、そば屋へ行くことになる。寝る前にやっつけてしまうつもりだけどさ。
そば屋は通常の土曜よりもヒマだった。エビ天30本は余裕で出るはずだったのに(だからせっせと揚げたのに)10本以上余らせてしまったし。(ま、明日ジョウさんちに持参する予定だったから余ってもいーんだけどねー)
今週、ちょっと忙しかったのでは?と言ったらば、結構大変だったと言う。今日はそーでもないけど、ここ数日は夜になると肌寒かったしねぇ。何かいつまで経ーっても「春らしいさわやかさ」みたいなのがなくて、気分も滅入る。やっぱちょっと寒いと被災地のこととか考えちゃうしね。こっちが寒いんだったら、あっちはもっとだろうなぁとか。もっとも、これから梅雨になったら、防護服を着込んで作業してる原発の所員たちはさらに過酷で大変になるそうだから、どういう天気がいいのかわからないけども。
そういえば先日、とある植物学者のセンセが『汚染された土壌にさっさと花の種を蒔け』と言ってた。汚染されてる土壌はまだ表面上のものだから、まずすぐに花の種(菜の花とかがいいらしい)を蒔き、『根っこから放射能を吸い上げさせて、花が咲いたらすぐに刈り取る』のがいいそうだ。(チェルノブイリ事故でも真っ先にしたのがそれだったらしい) そういう耳をちゃんと持ってる人がいるのかなぁ、と思う一方で、瓦礫の山に咲く一面の菜の花を想像してちょびっとだけ、その光景は素敵だなと思ってしまった。うまく言えないけど、汚染された土壌を救うために生まれた花畑って、未来への希望や活力をくれそうな気がする。
そして汚染された海はどうなるのかな。もう漁業組合だけの問題ではなく、国際問題にも発展してくんだろな。いい方法があるといいのだけど。
花で思い出したんですが・・・。
今回の震災で津波被害に遭われた方が
何もなくなってしまったところにポツンと立っていて
「津波に遭う前、軒先にチューリップの球根500個を
吊り下げていたから、ここ一面に咲いたら美しいだろうな
と想像していた。」
とTV取材におっしゃていたことが忘れられない。
海水に浸かってしまったから不可能な夢物語のようだけど
もし本当に500個のチューリップがガレキの荒れ地に咲き乱れたら
それはとても悲しくて美しい風景だろうなと思って。
勝手に私がイメージした、その脳内風景が消えない。
それを思い出したよ。
そーか、そんな話をされてたのですね…確かに苦しくて切ない光景だろうけど、でもたぶん「だけ」ではない気がするなぁ。一度イメージしてしまうと、なかなか抜け出せなかったりしますよね、わかります。あたしは「ガレキに菜の花」のイメージが消えないですよ。
ちなみに汚染された土壌を浄化するのが早いのは、菜の花と向日葵なんだそーです。根っこが養分を吸収する力がすごい強いらしい。「花の種を蒔いた」という話はまだ聞かないけども…。