何もしなかったわけではないのに不毛な一日
で、それから昨日の長い道中で読んでた恩田陸の『黒と茶の幻想(下巻)』の残り1/3を一気に読了。おもしろいんだよ、この人。おもしろいから一気に読めるんだけど、なんだけど、何だろう…この、読後の「はい、ちょうどいいところに落しましたよ、ちんとんしゃん」な感じは。決してバカにされてるわけではなく(してるわけでもなく)、伏線もきっちり使い(そーでない作家もいるしさー)、アレは何だったんだ!とか、だからどーしたってんだ!とか、古本だけど金返せよ!にはならないんだけど、いまひとつ「腑に落ちない」んだよねぇ。でもそれが「何なのか」を上手く説明できないもあもあ感…あぁ~、自分に釈然としなーい!
年が近い(2つ上)だけあってか、いろんなことに対して“一緒だな”と思うことは多い。ヘンリー・ダーガーとかアラン・シリトーとか、「知ってる人は知ってる」人名や書名を挙げるとき、その殆どがわかるってことにほくそ笑み、もしかしたら感覚も似てるのかなー、と思ったりもするんだけどね。
読書後、雨ン中を買い物。エコバックがあるので袋はいいです、と断ったらば、エコパックに入りきらなくて菓子袋とかはみ出してびしょびしょに…う、恥ずかし。つか、みっともな!
その後は試作の試作。例の「大型セロテープの間にちぎり絵をはさんだページを使った透明豆本」の、ページをテグスで縫ってみた。失敗した。ページがすぐ裂けてしまうのだ!針が太いとゆーよりは、テグスが太いのかもしれない。太さ(?)が0.5なんだけど、固いんだよねぇ。0.3とか0.2?(てのがあるのかどーか知らんけど) つか、もっと柔らかいのがいいんだろな。糸でもやってみたけど、やっぱりどうせならここも透明で、と思うのだ。
もっとも、それは置いといても仕上がりイメージにはちょっと遠すぎる。セロテープを貼り合せるとき、指紋かピンセットのあとがついてしまうし、そこをうまくカットできたとしても何となく汚い。四苦八苦してるうちに手はべたべたになるわ、あっちゅー間に時間は経ってるわ、の割には何の進展もしてないって事実にくたびれた…「何もしてなかったわけではないのに不毛な一日」に思えるあたりがむかつくし疲れるのよね。これで、“よし、この手順でこーやってあーやってこうすればOKだ!”と段取りが掴めれば、例え1冊も出来なくてもそれなりに有意義であった、と思えるのだけどさー。はーぁ。ふぅ。
ところで俗に言う「片付けられない人」ってのは、「中途半端なところで違うことに手を出してしまう」ものなんだそーだ。なるほど、わかる気がする。片付けてる最中に別のことに感心が移ってしまったり、その前にこっちを片付けてからの方が具合がいいなと手を出してしまったり、そーだった、これをやらねばならんのだった!と思い出したり…みんな当てはまるのだ。机の上なんか特に「半端モノ」で溢れてるもんなぁ。(昨日の写真見るとわかってもらえると思うけど)
でも言い訳させてもらうとね、ちゃんと意味あんのよ、これ。“これを使って何かおもしろいもの出来ないかな”と思う、昨日の机上写真で言うなら左上のティーポットのフタとか、どっかにしまったらそのまんま忘れちまうでしょ。そしたらもう再び見つけるまで思い出すこともなくなってしまうので、「何とは思いつかないけどとりあえず視界の隅に入れておく」ことが大事なの。ホントよ、これ。そういうのがいつのまにか山になってくのよねぇ…作家さんグッズも増えたしなぁ。コレクション棚が欲しい…つか、それよりその棚をどこに置くか、だぁね。