江戸落語 赤堤亭
三界寺の別館てとこで、もちろん初めてなんだけど、ボランティアらしきおっちゃんやおばちゃんが大勢いて、誘導された大広間にもいーっぱい人がいてちょっとびびった。もっとこじんまりしたとこでやってんのかと思ってたからだ。木戸銭500円だし。最初に町会長サン(おばさま)だった。しかもしどろもどろでロクに喋れず、進行役の若い噺家サンに助け舟だされて『そう、それが言いたかったの。ていうかあなたが喋ってよ』って、それじゃ「町会長挨拶」になんないじゃん。前座の枕前に笑かしてもらったわ。しかしこの、チャリで5分もかからないよなご近所でやってる寄席が今年で10年め、22回目だとは思わなかった。しかも300人強の大盛況。(座布団に座ったまま前に進む「膝おくり」なんて何度もやらされたし) びっくりだわ。
入口でもらったチラシには5人の名前が入ってるのだけど、演目(でいーんだっけ?題目?)が書かれてなかったので「何をやった」てことが書けないんだけど、5つのうち3つはわかった。まず最初が『道具屋』で、次が『浮世床』、それから『時そば』。こんだけわかるってのは、通とは呼べないまでも「ちょっとは知ってる」と言っていいかしらね。寄席そのものには何度か足運んだことあるし。もっとも「道具屋」や「浮世床」を知ってるのはチチのDVD見たからだけど。
「落語」という、話芸そのものについてはBQから借りたマンガ『昭和元禄落語心中』に負うところが大きいかもしれない。読んで初めて、“あぁ、落語ってそうだよね~”と納得することいろいろだったのだ。(これ読んだら寄席に行きたくなりまっせ)
前座の『道具屋』にしろ、『浮世床』にしろ、枕となる話が何とゆーかイマドキでくすくす笑え、『時そば』の、そばを食べすする音なんかもー絶品でこれだけで拍手が起きるほど。バカ笑いするほどではないにしても、どれも楽しく笑わせてもらった。トリ(これ、漢字で書くとどうなるんだろ…)の権太楼サンの枕もおかしかったな。ハロウィンの話からバレンタインになり、
『あたしが若いころはバレンタインなんてモノはありませんでしたよ、あったかもしれないけどあたしゃ知らない。女性からもらったことなんてないし。チョコレートなんてのはね、「進駐軍からもらうもの」、でしたから』
でみんなではははと笑ったのだけど、ふっと“その「進駐軍て何」と思う人もいるんだろな”、と思ってしまった。(まぁ、ここではじじばば多しだったので問題なかったけど)
マンガの『落語心中』では、落語はもう衰退するしかない、だから自分は後進を作らずに落語と心中するのだ、と言い切る大御所の噺家と、誰のためでもない、好きな落語のために落語をする、と言う若手の話なんだけど、「笑い」どころではなかった戦中、戦後を生き延びてきた落語が瀕死の状態にあるのは、「笑い」の根底にある「共通項」を見つけるのが難しくなってきたってことなのかな、とかね。思っちゃったわけよ。「その単語の意味がわからなければ笑えない」噺はこれからどんどん増えてく。それをどう乗り切るのか、はいまの噺家さんたちにかかってるんだろうなぁ。
ホントはここにチチを連れてくる予定だった。もうちょっと前から(ここのチラシを目にしたときから)考えてたことなんだけど、車椅子で入れるかどうか以前に(今日見て、スタッフと話もして「大丈夫そうだ」てことはわかったんだけど)、ヘルパーの手伝いなしに我が家の玄関先へチチを連れ出すことや、2時間半、チチがじっと静かに傾聴できるのか、が不安だったのだ。ここんとこ落ち着きがなくなって、やたら車椅子いじるしねぇ。キモチわからなくはないんだけど。
2時半開演で終演は5時。6時からバイトなのに買い物頼まれてるわ、昼食抜きでハラヘリだわで結構慌てた。びょーいんはヒマかと思いきや、急患で大変だったみたいだし。それでも早くあがれたけどね。
チチは行きたかったみたいだなぁ、やっぱり可哀想なことしたかもしれない。もちょっときっちり考えてやればよかったな。必要ならヘルパー頼んで。次回は4月だそーだ。半年後かぁ…ちと遠いやねぇ。