KS先生のお別れ会

偶然にもチチの隣の病室に入院してた、ギャラリーOKのオーナーであり写真家のKS先生が亡くなって5日め。その「お別れ会」があると言うので出かけた。お別れ会、とゆーものに出るのは初めてで、香典てどーするんだろとか、やっぱり喪服なのかとか、連絡入れたKNさんについでに訊けばよかったと後悔しつつ、香典持って喪服っぽい黒基調のカッコで行くことにした。(真っ黒帽子は冬物しかなかったので、ちょっと考えてSKさん作の、黒、緑、グレーのストライプ帽子にした。ので、アクセは緑)

2時からということだったけど、その後3時と変更になったらしく、ギャラリーでは数人が会食の準備中。に、手伝うことが出来たので変更知らないままでよかったかもしれない。オーナー夫人とも話が出来たし。亡くなった翌日に病室を訪ねたら真っ暗で驚いて、看護師にどうしたのか尋ねても『個人情報なのでお教えできません』と言われた、とゆーと『そんなことあるの?』とびっくりしてた。なーにが「個人情報」だよねぇ…『仲が良かったなら直接聞いて』て言われて聞けるかってーの。
亡くなった4日はG.Wの中日。KS先生(の状態)を知ってる医者は誰もいなくて、当直は「初めて見る人」で、看護師たちにも先生を知ってる人はいなくて、ちょっと混乱を極めたようだ。ぜひ顔を見て行って、とても素敵だから、と言われて、たくさんの花に囲まれた、ギャラリー中央にある棺を拝見する。とてもダンディーな方だったのだけど、棺の中の先生も生前と何ら変わることなくダンディーなままだった。トレードマークだった口髭も健在で。(誰に似てるかとゆーと、仲代達也かな) 棺の前に祭壇があり、愛用の眼鏡と一緒に革のスケ帳が置いてあった。去年の12月のページが開かれていて、そこにはページいっぱいにこう走り書きされていた。

  明るい葬儀、お疲れさまでした。ありがとう。

泣けた。12月にはもう余命少なくないことを承知していたのだろう。先生の病名は脳腫瘍なのだけど、2年前に手術して一度は治ったものの、再発は免れず、この1月に入院してあたしが見舞ったときはすでに意識はなかった。この言葉が最後なのかどうかは知る由もないけど、自分を送る会が、好きだったパーティのように明るく楽しいもので、集まった友人知人たちが「そう実行してくれること」を疑ってなかったんだと思う。そしてみんなもそれに応えた。飲み、笑い、食べ、にぎやかに過ごす。晩年、『この曲だけ弾けるようになればいい』と言ってギターを教わってたそうで、その曲「吾亦紅」を、先生の先生をしてた青年が演奏してくれた。いい曲だったけど、初心者が弾きたいと思うには難易度高すぎそうな曲だ。先生の友人たちは口々に『前に聞かされたけどこんな曲じゃなかった』『俺は何度も聞かされたけど、聞く度に違った』『いや~、こんな曲だったんだー、知らなかった』と笑い、フルートも加わって演奏が続いた。
あたしはバイトだったので途中で失礼したけど、たぶん、先生が存命だったころからの慣わしで終電近くまで、あるいは終電を逃す勢いで宴は続いただろう。享年76歳。亡くなるにはまだ惜しい、豪快さと繊細さと少年らしさを併せ持った、素敵な人だった。心より冥福を祈ります。

今日はハハとオトート1号夫婦がチチの見舞いに行った。院内も病室も明るく、スタッフたちも何かと出入りしてはチチに話かけてくれたそうで、ハハもほっとしてた。明日はあたしの番。雨でなければチャリで行くつもり。さて、どんくらいで行けるかなー。
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by yukimaru156 | 2015-05-10 02:35 | そんな1日 | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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