新作絵本は新作でなくなったら売れるジンクス と指輪の話

もっと汚いののしり言葉はないのかと思いながら怒鳴りまくる夢を見た。暑苦しくてもっと寝てたいのに寝てられなかった。新宿から帰ってきたハハがあたしの展示作品見て『名札がなかった』と言うので問い合わせた。(ガラス張りショーウィンドーのようなギャラリーなので消えるはずはないのだが、あとで『通風口の風のために落下したらしい』という連絡が入った) あたしの絵を見たハハの感想は『暗い』だった。昨日の後片付けをしてたらうんざりしてきて、おまけにすぐ仕事の時間になった。先日空気入れたばっかのチャリがパンクしてた。走ってどーぶつ病院に行った。一度は元気になったはずの酸素室のわんこが亡くなった。9時からオペが始まった。帰宅したらどどっと疲れた。
三茶終わってほっとひと息ついた翌日は、こんな1日だった。

三茶は、初日はともかく昨日の日曜は結構な人で、いっぱい接客して友人知人も多数やって来て、でも売り上げとしては「例年どーり」で、これがあたしの「分水量」なのかなーと思ってしまった。去年の売り上げ+300円。笑えるわ。ま、土曜の午前は人いなかったから、がんばった方ではあるのだろーけど。
そーそ、2013年に作った『黒猫アオの目は緑』の評価がなぜか高くて、「この話が一番いい」とか「絵本としての完成度が高い」とか言われてちょっとびっくりした。これまで全然売れてなかったのに、5冊持参して4冊売れて、残り1冊が『見本の革の色と違う』とか言われてしまうなんてね。あたしの新作絵本は、いつも「新作でなくなったあと」の方が評価され、売れる。みたいだ。このジンクス、あたしは気に入らない。「新作が売れなかった」ショックの方が大きすぎるからだ。やっと時代が追いついたか、とか鼻で笑えればいーんだけど。

父の死後、誰にも(ハハにすら)言ってない話を書こう。指輪の話だ。
2011年3月、かの震災のあったその週末、友人らが多数出店してる亀戸のアートフリマへ出かけた。世間全般が落ち着かず(イベントの自粛ムードはもう少しあとから)、みんなが何をどうすべきなのかわからないまま「こんなことしてる場合ではない」と思ってた頃、あたしはここで「お金を使ってこよう」と思ってた。売れないと嘆く作家さんの作品買ってちょっと貢献して(?)、自分も落ち着こう、と。顔見知りの作家、銀と銅のアクセを作るクラングさんからシルバーの指輪を買った。幅1.5センチほどの、叩いて凹凸をつけたそのシルバーにはこう彫られてる。

  WHILE THERE IS LIFE  THERE IS HOPE.(生きていれば希望はある)

いま、まさにこれなんだよね、と会話した記憶がある。以来、この指輪を身につける頻度がすごく高くなり、イベントはもちろん、どこへ出かけるにもこれはつけてた。そして父が倒れて入院してからは、外出時は常にこれになった。生きていれば希望はあるのだ、と。自分から食事ができなくなって、家族構成も長年住み慣れた家の場所も、昔のことも今のことも、そしてあたしの名前すらわからなくなっても、「生きていれば希望はあるのだ」と思うことで何とか自分を奮い立たせ、『良くなるって信じてるから(寂しくない)』と笑う父にすがり、あたし自身が救われたいと願った。
父が亡くなって、あたしは指輪を外し、以来一度もつけていない。つけようとする度に思ってしまうのだ、“だって死んじゃったじゃん”と。生きてれば希望はあったけど、死んでしまったじゃないか、と。指輪のせいじゃない、もちろん。でも病院の行き帰り、指輪を見る度に自分を励ましてたのは事実で、手に取れば嫌でもそのときのことを思い出してしまう。だからつけられない。まだ。一番のお気に入りだったのに。

三茶で「指輪を買おう」と思ったのは、ほんの1、2週間前だ。シンプルで無駄な装飾のない、男性がつけててもおかしくないような、なるならシルバーか銅のヤツを、とふと思ったのだ。
そして昨日、デザインもサイズもぴったりで、銀と銅の組み合わせ、しかも予算内どころかちょっとお安くという、素晴らしい指輪を買った。それもお隣のカラン工房さんから。あまりにもぴったりで、作家さんからも『すごく似合ってる』と褒められたほどだ。彼の作品はオリジナル1点ものであるのはもちろんだけど、「ちょっと人を選ぶ」ところもあって(つまり万人受けはしない)、「作家さんが買うことが多い」のだそーだ。それを聞いてちょっと嬉しかった。一番はしばらく置いておいて、これからはこいつを愛用させてもらうつもりだ。いいものが買えてよかった。こういう出会いってありがたい。
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by yukimaru156 | 2015-10-20 02:29 | そんな1日 | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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