父のライティングテーブルはもしかしたらお宝の山?

ホントはオトートたちが来る前にやっておきたかった、父のライティングテーブルの中身の整理を始めた。何つーかもー「最初の一段目の引き出しが(何かに引っかかって)開かない」時点で中身が知れるというか、はぁ~、てなもんだった。
ライティングテーブルは父が自分のために買ったものだけど、そこに座って何かしてた、て記憶があまりない。好きな本は並べてたけど(ムツゴロウとか園芸雑誌とか)、あとは「とりあえず大事なもの(?)をしまっておく」だけの、でかい道具箱みたいなもんだ。

とにかく雑多のモノがいっぱい詰まってて、順序もヘッタクレもない写真の山は(だけで紙袋がいっぱいになった)、後回し。すでにかなりの量の写真(ここ数年のもの)をまとめてあるので、まださらにあった、て状況。フィルムもわんさか出てくるしねぇ。ネガとかちょっと透かして見たらば、この波打ち際を走ってるガキはあたしとオトート1号か? てなのもあって、カンタンに捨てることはできんかった。(未開封のフィルムてのはどーすりゃいーのかね)

タイピン(ていまの人は使うのか?)、古銭、記念バッチ、ゴルフボール、「本土復帰、おめでとうございます」と刻印された鉛筆。(テレビ局員として沖縄返還前後赴任してたからね)、それに昭和36年の馬券…なぜこれがこんなに? てくらい出てきた。昔の馬券てぺらぺらの紙で、日付けがパンチされてるだぜぃ。へー、昔の馬券てこーだったんだー、と眺めてしまった。
そしてこれまた大量に出てきたのが宝くじ…『1枚くらい当たってるんじゃないかなー』とあとでハハに言ってみたらば、
『いつも連番で買ってたから、セットの1枚が抜けてたらあとはハズレよ』
なるほど。あとでちゃんと見よう。てことでとりあえずそれらも保留。
財布が3つも4つも出てきて、ちゃんと中身チェックしたのだけどお金は皆無…ちぇっ。なぜか79年の国際文通週間の100円切手が4枚だけあって、それはいただいた。それに、いったいどれだけ名刺交換したんだ、と思うくらいの名刺。北海道から九州まで、ホントにいろんなとこ行ってたからね、CATV関連の仕事で。名刺はあとでみんな破かなくてはだな。

ハハの留守中にやってたことなので知らせてないけど、あたしらが送ったバースデイカードの中にハハからの手紙も入ってて、ちょっと気が咎めつつも読んでしまった。父の初めての心臓手術の前夜に送られたものらしく、便箋3枚に切々と想いが綴られていた。父がどれほど自分にとって大切な人か、どれだけ素晴らしい人か、これまでの感謝や、不安いっぱいで泣いてることとか、こちらまで涙腺が緩んでしまいそうだった。父がこれを読んでどんな気持ちになったのか訊いてみたくなった。車椅子生活になって、あれこれ手がかかるようになってからどんどん無口になってしまったけど、尋ねれば、『お母さんの料理はいつも美味しいよ』とか、『毎日感謝してる』とか言ってくれてはいた。ただ、そう応えるしかないよなー、て状況(状態)でのことだったから、本音の部分はわからなかった。結局わからずじまいだったわけだけど、でも決して悪くない人生だったよな、とも思う。

父はテレビ局員だったので、報道記者時代の大量のメモ書きに加え、のちに広報部に移ったあとの番宣グッズがまたいろいろあって、昭和50年前後のモノは「欲しい人は欲しい」であろうグッズのオンパレード。「前略おふくろ様」のショーケン(萩原健一)のポスターとか(なかなかのイケメンっすよ)、王貞治の「700号ホームラン感動実況中継」の未開封ソノシート(!)とか。つくば万博の記念バッチとかねぇ。その他いろいろあって、やふおくあたりで(ひょっとしたら)高値ついたりするんじゃないかとも思うのだけど。それやる根性はないんだな。1号あたり、やらないかな。

そんなこんなであっちゅー間に夕方。引き出し整理はやっと半分てところ。夕飯の仕度して、どーぶつ病院へ。
里親募集中の3匹の子にゃんこのうち、一番厄介で性格悪い(とみんなが言ってる)子がもらわれていった。この子が特別かわいいわけではないのだけど、センセいわく『(そういう子がいい、と言う)マニアな夫婦だった』。手のかかる子の方がいい、て人、いるんだよね。わからなくもないけどさ。おバカなわんこにゃんこの方が溺愛される確率高い気はするな。賢くて聞き分けの言い子の方が冷遇されてるというか、放っておかれるような不遇な子が多い気がする。何となくだけどね、以前センセにそんな話を振ってみたら同意してたよ。切ない話だよね。
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by yukimaru156 | 2015-12-16 01:17 | そんな1日 | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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