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  祖父江慎+コズフィッシュ展 ブックデザイ

新年明けて会うはずが、互いの日程がなかなか合わず2回も延期になってしまい、今日が3度目の正直。5、6年ぶり? の再会となるSTちゃんと日比谷図書館で待ち合わせ、この「ブックデザイ」に行ってきた。(「イン」ではなく「イ」で終わるのだ。どーしてか知らんけど)

祖父江慎は装丁…というよりはブックデザインをやってる、てことでいいのかな。装丁と呼ぶにはちょっと多岐にわたってる気がするし、グラフィックではないけどそれに近い感覚でやってる気がするから。もっとも、それが当たってるのかどーかも実はよくわからない。とりあえず「本に関わってる」デザイナーだ。
まずは彼が手掛けた本、コミックから写真集、新刊書までがずらりと並ぶ。それなりにインパクトがある本ばかりだけど、どんな本を並べたってそーはなるよな、などと思いつつ見てった。コミックに関しては、しりあがり寿、吉田戦車、がやたら多くて、次に松本大洋、岡崎京子あたりがくるあたり、何となく“あぁ、こういうタイプの作家さんたちの本を手掛けるのだな”、と思う。
インパクトは大事だけど、本屋で平積み新刊書の表紙だけ眺めてると、みんなそればっか気にしてんのかなーと思ってしまうタチなので、その良し悪しはよくわからん。

装丁だけでなく、中の活字文に対しても相当なこだわりがあり、印刷会社に勤めるSTちゃんは『こんな細かい注文出されたら発狂する』と言っておった。確かに「、」の太さや角度とか、行間を0.0何ミリ寄せて、みたいな細かい指示を見ると、これに付き合うことなる人たちってのは大変だーと思う。それが仕事であることは当然承知してるわけだけど、果たしてそれでどのくらいの効果があるのか、と疑問に思ってもしまうわけだ。そのこだわりはともかくとして、完成品に対しての評価は難しい。

活字である以上、「見やすさ、読みやすさ」は必須条件。その字体(フォント)を作る人、てのも少なからずいるわけで(自分の夢はオリジナルフォントを作ること、みたいな人の出てるテレビ番組を見たことがある。確か祖父江氏も出てた気がする…)、視覚的、感覚的な「居心地の良さ」を求めるのは当たり前なんだけどね。世間一般にこれだけ流通してる字体を、さらに追及してくのは「読みやすさの追求」より「自己満足の追求」になってく気がした。どこまでこだわれば自分は満足するのか、みたいな。彼のデザインを求める人は多いだろうけど、どこで納得するかは人それぞれだしねぇ。よーは中身(本としての完成度ではなく、内容)でもあるわけだし。
ただ、彼の作ったカタカナの字体はちょっと唸ったな。大きさは一見バラバラなんだけど、カタカナの羅列でもすごく読みやすいのだ。ま、どのへんにその「カタカナだらけ」の需要があるかなんだけど。

自分自身、字体とかページにある文章の「ぱっと見」(改行や漢字ひらがなの割合、「」の付け方など)に対していろいろ想うヤツなので、この展覧会はそういう意味でとても興味深かった。作家は原稿用紙に書いてくだけだけど、それを流通させるための大事な「活字」は、本そのもののイメージを変えかねないんだよな。かつて揶揄された少女変体文字で印字された漱石なんて読めないし、読んだら作家も作家の描いた世界も根底から崩れてくだろーしね。そゆ意味では、「作家と作品」を壊さないための装丁や字体てのは何とも難しいもんだなと改めて思ったりもした。

日曜平日の日比谷なんて静かなもんだろーと思いきや、今日は都民のくせに知らなかったのかと言われた東京マラソンの日で、あちこち規制だらけ、大通りはランナーたちで溢れてて、沿道には給水所が並び、ボランティアスタッフはやたら多く、彼らがあとで片づけるのであろう紙コップとペットボトルが散乱してた。通りを渡るためだけに一度地下に入らねばならんかった。
STちゃんとは久しぶりだったけど、全然そんな感じがしなかった。スンドゥブ食べながらずーっとおしゃべり。場所変えて珈琲とケーキを楽しみながらまたおしゃべり。楽しかった。『世代によって異なる「共通項(青春時代に流行った歌とか好きだったモノとか)」は、いまのワカモノたちにはないんだろうな』なんて話もした。あまりにも趣味嗜好が多様化してしまい、さらに街中でいま何が流行ってるかなんてこともわからなくなってるから、いまの20代が50代になったとき、同世代の他人との会話が成り立ちにくいんじゃないか、みたいな話。
これからどんな世の中になってくのかねぇ。





(´_ゝ`)
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by yukimaru156 | 2016-02-29 01:55 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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