日本レスキュー協会の冊子 と父の命日に想う
冊子にはご丁寧に寄付者の名前が載っていて、あたしの名前も入ってた。微々たる額だったんだけどねぇ。逆に申し訳ないくらいに。なので次回はもっと値の張るモノを! と思ってもいる。もっとも、何が「値の張る」モノなのかはわからないのだけど。
今日こそ(ちょっとでもイイから)制作を! と思っていたのに、郵便局行ったり買い物したり掃除したりしてたら遅くなって、結局何も作れなかった…ハハが夕方から出かけるので夕飯を作っておいたりもしたからなー。帰宅してご飯炊くのも時間かかるし、夕方仕掛けておいて、10時、11時まで保温にしておくってのも何なので、焼きそばの具材を炒めただけだけどさ。
どーぶつ病院へレスキュー協会のこの冊子を持参してみた。活動報告やら何やらいろいろ細かく載ってたので、センセも興味あるかなと思って。(そもそも見てもらえる時間があるかどーかも疑わしかったのだけど)
思ってた以上の喰いつきっぷりで、『保護犬の大型犬のリードが欲しい? あるある。不要なゲージ? これもあるなー。送ろう。あとは何だ? ふむふむ…』と熱心に読んでくれて、それだけでも嬉しいのに本気で送るつもりになってるみたいでありがたかった。センセはセンセでいろいろ手を尽くしてるから(いま病院で飼ってるわんこのDZは福島の保護犬だし、その他いろいろね)、これ以上の負担をかけるのは不本意なのだけど、
『寄付するなら、こういうちゃんとしたところへ寄付したいよね』
と言ってくれて、自分がホメられたみたいに嬉しかった。ホメられるべきは、こういった地道な活動をしてる人たちなんだけどね。センセがこの冊子をちょっと貸して欲しいと言うのであげてきた。あたしはもう読んだし(ちなみにハハも)、また送るにしても冊子は不要なので。
どーぶつ病院の勤務は、作家活動とは何の関係もないところから偶然始まったようなものなのだけど、それでも「関わった縁」みたいなのを感じてるし、もしここに勤めてなかったら、寄付先も別のところだった気がする。未登録問題や、殺処分問題、地域猫との関わり方、溺愛する人がいる一方で、虐待と呼んでもおかしくないような扱いを受けてるペットもいるわけで、それらの記事に考えたり胸痛めたりしながら、それでも意識的に記事を読むようになったしね。
何らかの寄付を募ってる団体は山のようにあるし、その中には「うさん臭さ」漂うところもあるだろう。そこを見極めるのは難しいけど、でも多少なりとも縁を感じたここを寄付先に決めて正解だったな、と思った。
去年の今日、父が亡くなった。「もう一度復活してくれるのではないか」という期待も空しく、最後の2日は意識が戻らないままだった。見舞ってもすぐ寝てしまったり、脈絡があるのかないのかわからない会話だったりで、自分がどうあれば父を父らしく保てるのか、毎日悩んで反省して「正解のないこと」に苦しみ、それをうまく吐き出せないことでまた苛立ってた気がする。身内も他人も距離的には大差なかったしな。
週4、5日、病院までチャリを走らせながら、こんな生活をいつまで? と思うとやるせなくて、しんどくて、『いつかは終わるのよ、悲しいことだけど』と言った介護経験者の言葉を反芻しながら、あたしはあとどれくらいがんばれるだろうか、あと1年? 5年? 10年続けてる人だっているのだ、と思ってた矢先の出来事でもあった。父に見透かされて、
『もういいよ、ラクにしてあげるよ』
と言われた気がして、ごめん、そんなつもりでぐるぐるしてたわけじゃないんだ、と叫びたかった。あたしが苦しかったのは、父さんのせいではないのに。
昨日の一周忌では供えられなかった(失念してた)ので、今日、仏壇に珈琲を供えた。最期にちゃんと飲ませてあげたかったし、「甘いもの」も食べさせてあげたかったなぁ。
(゜-゜)