没後20年 特別展 星野道夫の旅

写真の良し悪しというのは、実はよくわからない。何を以って「良い」とするのかはつまるところは見る側が「好きか否か」でしかない気がするからだ。でも本展を見てて思った。あたしたちは写真家の「目」を通して、その人の見た世界を見るわけだけど、それは「視線の方向」ではなく「眼差しの行方」なんだな、と。ただ視線が捉えた世界なら、たぶん誰でも撮れる。(それなりの技術はいるけど) ぶっちゃけ、そこにホッキョクグマがいれば誰でもホッキョクグマを撮れるわけだ。でも写真家の眼差しは、視線とは違う。「そこ(視線の先)にいた」のではなく「眼差しで追った」もの。愛おしいと思うものを追い、眼差しで捉え、焼きつける。だから見る側も次々に追いたくなる。その人の眼差しの行方を。

とか何とか、何か小難しいよーな書き出しになってしまった。昔、彼の写真展を見た記憶があるのだけど、それがいつどこでだったのかさーっぱり思い出せず、没後20年ということはあたしは30なわけで、そのころとしたら亡くなってからだなぁ。それ以前、てことはない気もする。あたしがハケンしてたころかな。
あ、これ見たことあるな、てのもいくつかあったのだけど、ほとんどは知らなかった。動物写真(特にアラスカの)で有名な人だけど、動物以外にもいろいろ撮ってて、彼の「眼差し」の先に、霜のおりたブルーベリーや、朽ちかけたトーテムポールや、無邪気な子供たちの笑顔があったりすることにほっと和む。ホッキョクグマの写真だって何だって和むけどね。そーいや今日どーぶつ病院に来たレトリバーもこんな顔してたなー、とか。(しかし重かった…48.6キロだよ? Tシャツにぐりぐり顔を押し付けてくるので、袖のとこが唾液でべろべろになってしまったよ)

おばあさんが屈んで何かを採ろうとしてるのか何なのか、な写真があったのだけど、キャプションにこうあった。
「ねずみの巣穴にあるエスキモーポテトを取る代わりにドライフィッシュを置くおばあさん」
いいなぁ、それ。ねずみもびっくりするよね、芋がある日突然、干し魚に化けてさ。「ここに置いておけば芋は魚になる!」とか思ってるかもしれん。思うのだけど、自然が厳しいところほど、こういった「他者との共存意識」が強く、自然に対して謙虚だよね。都会になるほど意識が薄れるとゆーか。だからときに手痛いしっぺ返しを喰らってしまうわけだ。

彼はカリブー(トナカイみたいな、大集団で移動する動物)を好んで撮ってたようだけど、半端ない頭数の移動を空撮で捉えたものより、群れから外れたような、1頭だけで佇んでる写真とかの方がより強い「想い」みたいなのを感じる。わかる気がするな、ちょっと。数あるポストカードからあたしが買ったのもそういうのだし。(それと、霜のおりたワイルドベリーね。素敵なんだ、これがまた) カリブーの群れの写真もそりゃあ見事なもんだけど、悲しいかな、カードサイズになってしまうと豆粒にしか見えないんよ。展示されてる写真は「大判」どころではない、半畳くらいに伸ばされてるから、迫力も見応えも充分。立派な写真集になってるのもそれなりに素敵だけど、やはりこれはこのサイズで「体感」して欲しい。(前から思ってたんだけど、写真てどんなサイズになっても「オリジナル」で通るけど、「絵」てのはそれ1枚だけが「オリジナル」で、あとは拡大しようが縮小しよーが「コピー」となるのは悲しいねぇ)

銀座へ出たついでに(すっごい久しぶりだった。なるほどガイジン(チュウゴクジン)が多かった…それでもだいぶ減ってきたらしいけどね)、以前ちょっとお世話になった長谷川画廊を覗き、挨拶し、イトーヤへ行って薄葉紙(ここではカラートレペと呼んでた)のあまりの種類の少なさに憤然としつつも2枚買い、帰宅。そして夕飯後はひたすらちぎちぎ…についてはまた明日にでも。

  星野道夫の旅 ~9/5(月) 銀座松屋8階 10時~20時(最終日17時)








(^-^)
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by yukimaru156 | 2016-09-03 01:46 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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