怪物はささやく  シヴォーン・ダウト原案 パトリック・ネス著

イギリスで最も権威ある児童文学賞であるカーネギー賞を受賞したシヴォーン・ダウトは、3作の作品を残して逝去し、遺作として4作目が出版されたあと、遺された構想ノートを元にパトリック・ネスが濃密な作品に仕上げたのが本書。そしてこの本もまた、カーネギー賞を受賞している。

深夜0時7分、その「怪物」は不意に現れた。そして孤独な少年コナーに告げる。
『いまから3つの話を語って聞かせる。4つめはお前が話せ。お前自身の、真実の話を』
聞けば、何か恐ろしいことが始まってしまう予感に怯え、拒絶するが、怪物は容赦はしない。一晩に1つの、怪談とも寓話ともつかない、「真実」であるらしい昔の話。怪物の話も、彼がやって来る理由も、そして『私を呼んだのはお前だ』という怪物の言葉にもコナーは混乱する。

コナーは、古い教会と墓地とイチイの大木の見える、粗末な家に重症な母親と2人で暮らしている。父は異国で別の家族と暮らして音信も途絶えがち、不当すぎるほど厳格な祖母とは折り合えず、学校ではいじめられ、教師からは何の期待もできない日々。「母の病気は必ず良くなる」ことだけを支えに、諦めと失意をどうにか飲み込む彼には、怪物ですら真の恐怖の対象とはなりえない。本当に怖いのは、夜ごと訪れる悪夢。自分の悲鳴で目を覚ますような、全身の血を凍らせるようなその夢は、まだ誰にも話したことがない。
『第4の物語を聞くときが来た』
厳かに響く怪物の声。拒むコナーは、ならばずっと悪夢の中に漂うことになると告げられる。そしてようやく、彼は語り出す。夜ごとの残酷な悪夢を。そしてその結末を。

ダークファンタジーと括るしかないのかもしれないが、そうとも言えないし、これを「児童書」として位置付けるのもどうなのかと思うが、子供には難しい話というわけでもない。結末まで読んで、そして深い感慨と共に「癒し」とは、「救済」とは何かと思う。「誰にも責められない苦痛」を癒すことができるのは誰の、何だろう? 答えは書かれてはいない。ただ、この幸福とは言えない結末に彼は救われるのだ、という予感と共に終わる。その静かな余韻は心地よく、怪物が現れた理由も、語られた逸話も、そして残酷な悪夢が意味するものもすべてが
腑に落ちる。
『真実を話せばいいのだ』
恐ろしかった怪物の声音が変わるとき、灰暗色だった世界がほのかに明るくなる。それがこの作品の価値をぐっとあげてる。原案のS・ダウトの、そしてこれを書いたP・ネスの著作を読みたくなった。

ジム・ケイの挿絵もまた素晴らしいのだけど、少々多過ぎて(本文にも容赦なく入ってくるのでちょっと鬱陶しい)、読みづらかったのが残念。文庫の表紙は(大ヒットしたらしい)映画のチラシで、そうではない方が欲しかったなーと思ってたら、これは表紙ではなくて「文庫とほぼ同じ高さの帯」であることにあとで気づいた。めくるとジム・ケイの黒い絵。いいなぁ、これ。この禍々しいような、それでいて柔らかいような雰囲気の黒、素敵だわ。読後に見るとまた味が違うんだよねぇ。

余談だけど、これは昨日の北鎌倉の往復の車中で読んだ。帰りの電車の、最寄り駅に着いたところで残り1ページ。キモチ削がれること甚だしく、でもこの1ページを「改札抜けてチャリで帰宅してから読む」という選択肢はなく、喫茶店に入るにはあまりにも少なすぎ、結果、人混みの中、ホームで立ち読みという(ベンチは遠かった)、ちょっと何だかな~、な読み方をしてしまった。帰宅して落ち着いてから、ラスト5ページほどを再読したけどね。







( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-11-21 01:41 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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