電子手紙
ロスに滞在中の友人からメールをもらった。手紙やカードと違って「いま○○です」と書かれていない限りわからないのはつまんないな、と思ってたのだけど、やはり時間差なくやってくる電子手紙はそのときの緊張感とか気持ちをほぼオンタイムで受け取ってるとわかる分、エアメールとは違うよさがある気がする。臨場感があるっていうのかね。
タイ滞在中、なるべく手紙を書きたいと思ってたのだけど、そんな時間的な余裕があまりなく…という言い訳もさることながら、ふと「土産買う方が安い」と思ってしまったってのもあった。ポストカードは1枚5B(バーツ。大体15円くらい)で、切手代が15B(45円)。20Bで可愛いミニポーチが買えたりするから結構悩むもんだ。って、こうして書くと「どっちも買ったって120円じゃん!」と突っ込みたくなるけどね、30Bで屋台メシ食べて“満腹満足~っ!”という日常を送ってると、考えるモンなんだよ。
ホント、あちらは何でも安いから「安いわ~」とまとめ買いする醍醐味も味わえるのだけど、それはあくまでも日本で生活してる人の基準であって、タイの人にとっては1度の食事と同じ金額のものを10も20も買う人は「別世界の金持ち」。そういう人と見られたくなかった、というのはちょっとあった。なるべくあちらの人と同じ視線でいたいな、という。
話がそれた。
海外からの手紙は「エアメール」で、電子手紙は何と言えばよいのだろう。「エアエアメール」とか。全然意味わかんないし。そもそも海外からの手紙がエアメールってこと自体がおかしくないのか?(おかしいのは電子手紙がメールってことか?) 一番最初に英訳した人の苦労って底知れないよなぁ。
雑学ひとつ。「president」を「大統領」と訳したのは、当時「プレジデントってどのくらい偉いのか、大工の棟梁くらいか」「もっとだろう」「では大棟梁だな」という会話から生まれたのだそーだ。ホントの話。(と聞いてる) ちなみに庶民の中で最も偉いのは(社長なんて言葉はなかったので) 家を丸ごと一軒建てることのできる大工の棟梁だった頃の話。江戸時代くらいかね。
そーそ、昨日、イベリア女史の試作品を「ちょっとコミカル」と書いたけど、あれはあたしの間違いでした、すいません。だってぐるぐるしてるのが目玉に見えたんだもん…それを装飾の一部として見れなかったなんて不覚!2人展のタイトル考えられそーなモンなのにさ。このタイトル、いましばらくお待ちくださいませませ。よいですのよー、うふふ。