『怪談 』試写会 と トークショウ
三遊亭円朝の「真景累ケ淵」を原作にした映画『怪談』を、ペン画の花車さんが試写会&トークショウに誘ってくれたので観に行った。『リング』の中田秀夫監督作品で、ホラー色がどんだけ濃いのかなぁ~、と思ってたのだけど、意外にもホラー色は薄め。これを期待するとちょっと外すかもだけど、映画としてはよいのかも…いや、いいのかどーか実はよくわかんないな、とゆーのが正直なとこだ。
「累ケ淵」ってどんな話だっけー、と思い出そうとすると「四谷怪談」になってしまうので「別物だよねぇ…?」とおそるおそる訊くと「そうだよ」の答え。このあたりの話、彼女はメチャ詳しい。落語も好きみたいだし(てゆーか、彼女は何でも詳しい。敬服する)。でも似てる気がするのは、顔がお岩さんみたいになっちゃうとか、女が死んで化けて出るとか、つまるところ怪談て基本はこうなのかな、と思ってしまうからかもしれない。男が化けて出る怪談てあったっけ?第3者を巻き込んじゃうよーなやつ。知識がないのでわかりましぇん、すいません。
俗に『女は怖い』となるのは、奥さんが浮気すると旦那は奥さんを責めるけど、旦那が浮気すると奥さんは旦那の相手に矛先が向かうからではなかろーか。責めるなら旦那を責めろよ、といつも思うのだけど、「恨めしやぁ~」と言いつつ、恨むのは旦那ではなく、何も知らない(ときには清純で非のない)相手の女の方なのだ。女の敵は女ってことか。だから怖いのか。とか何とかそんなことを思ってしまう。お岩さんが伊衛門を殺して終わったら、ホラーではなく単なる復讐劇だし、誰も同情しないし怖くないし。
映画は「親の因果が子に報い」と「男女の情念」が絡み合う話で、一方的にどちらかが悪いわけではない(という描き方をしてる)。だから「怖い」なのかもしれない、とは続くトークショウでも監督とホラー作家のお歴々も言ってたな。もーひとりの主人公、累は死んでても死んでなくても、その想いの強さ故に怖い存在だ。「想いの強さ」はそれが愛であれ、恐怖の対象になる。
海外のホラーは「襲ってくるから怖い」のであって、「そこに立ってるだけで怖い」は基本的にないのだそーだ。(あ、でも『ハムレット』ってこれに該当するよな…あれは復讐か) 立ってるだけで怖い(サイレントホラーと言うらしい)というのは、身に覚えのある人が想像する怖さと、身に覚えのない人が体感する怖さで成り立ってる。男が恐怖のあまり錯乱して化けて出た女を殺したら、それは関係ない第3者だった、という疑心暗鬼が生む恐怖。第3者にとってはとんでもない迷惑。ホラーではなく怪談の基本てここなんだろな。
時代劇とも言えるこの映画、日本の情緒が美しく描かれていて、血に染まる雪も降りしきる雨も葬列に吹きすさぶ風もとてもきれいだ。そのきれいさが怖さになる「撮りかた」みたいなのがあると思うのだけど、きれいがきれいなままだったのがちょっと残念な気がした。
トークショウも楽しかったのだけど(尾上菊之助の足の細さに目を奪われてしまった。まるで『ナイトメア・ビフォー・クリスマス』のジャックみたい。その上、おじさま4人衆を圧倒する好男子ぶり!)、花車さんとの中華粥&お喋りも楽しかった~。誘っていただき光栄至極。過日の個展ではあたしの顔色の悪さ(そんなに悪かったか…)で心配かけてしまったようで、ちと申し訳なかった。またぜひご一緒しませう。
浮気したら、どうしてその男を殺そうとしないのか。男だったら浮気した女を殺すのに。多分、男はいっそ殺して女を自分のものにと思い、で、女は愛する花にたかる虫は許さないって心理なのかな~と。私なら浮気した男はバッサリ鎌(かま)で切り殺してやるのにな~。なんて強がっておるこの頃です。
女が浮気した男を殺さない(で周囲に向かう)のは、結局は「未練たらたら」だから「殺したいけど殺せない」になるのかしらね。新吉はそのあたりを見越しててカマかけて挑発してたのかも(^^;)、とあとでいろいろ深読みしちゃいました。