ネット依存症と解離性障害
せっせとDM書いて、額絵のコピーに行って(なーんかあまりイイ色でないのが不満…も一度やる気にもなれなかったのだけど)、レイアウトとかつらつら考えてるうちに出勤時間になった。
18歳と58歳が入ってゼロ日で辞めた。18歳は初日現れずそのままバックレ。58歳は前日に「辞退させていただきたい」とお断りの電話。そゆことに慣れてく自分がこあいわ。
帰宅するとまずメールチェックするのだけど、ここんとこゴミメール(迷惑メール)とかしか入ってなくて(最近なぜかまた英文のが多い。それもえらく長い)、う~んざりしてた。たまに友人から入ってるとヤケに嬉しかったり。(で、つい返信が長くなってしまったり) このブログをやってなかったらPCに触らなくなるんではとすら思い始めてたくらいだから、内容はともかくとして「毎日更新してる」ってのはよいことなのかもしれない。友人らにメールすればいいだけの話だけどね、それやると愚痴ったりあれこれ説明したりして結局長くなって“こゆときに何やってんだ!”と自分突っ込みで暗くなりそーでさ。
「ネット依存症」に関する新聞記事で、ちょっと驚いたことがあった。
ネットで別人格になりすまし、その人格を装って発信してるうちに「解離性障害(=二重人格者)」に陥る症例が結構あるんだそーだ。引きこもりの青年が「実業家でお金持ち」を装ってるうちにだんだん「その気」になり、ネットで高価な服だの何だのと買い始め、実際にそのように振る舞い始める。気づいた両親が診断させ、半年ほどで治癒したということだけど、“そういうこともあるのかぁ~”と思ってしまった。
「別人格になる」というのは、ある意味快感だ。「自分の設定」を好きなようにいじれるわけで、どんな人間にも化けられる。実際に会うことがなければ、その嘘はバレない可能性の方が高い。でもその「嘘つき」の快感が二重人格にまで発展してしまうとはねぇ。くわばらくわばら。別人格願望があるということは、「=いまの自分はイヤだ」とココロの奥底で思ってるってことなんだろーけど、ネット依存症でなければそーそー仮想世界にどっぷり浸かってるわけにもいかないわけで、「何でもほどほどが一番」てことか。嘘で遊ぶ境界線て難しいけど。
雪丸とさゆきは同一人物だけど、最初はちょっとだけ違えるつもりでいたのだ、実は。すーぐ「それってメンドくさい」と思ってやめたんだよね。別に嘘をつくつもりはなくて(嘘をつき続けるのって体力いるし)、「プーの雪丸がちぎり屋のさゆきに突っ込む」みたいな形にしよーと思ってたのよ。ひとり漫才みたいな。いまはこの形でよかったと思うけど、「雪丸」を名乗る理由は何もないよなぁと思う今日この頃。愛着あるから変えないけどね。
『デビルマン』はまだ全部観ていないので、観たら感想書きますね~(^^)
「癒される」ものって人それぞれちがうから、その選択が多くなったように思えるのに、なんだか逆にみんな世界が狭くなっている気がしてなりません。
名前ってやっぱり自分が乗り移る一番の言霊ですよね。それをしらずににのっかってどっかに連れて行かれている人もいるのかもしれない、ってまたそっちの話に~!(「雪丸」さんって名前、かわゆくて好きですよ)
あ、『デビルマン』見なくてもいいですよ。忙しいのに時間がもったいない(‐‐;)
「癒し」の選択幅が広がったのに世界が狭くなってる、という意見、すごーく頷いてしまいました。何ででしょうねぇ。「類が友」を呼んで、そこに安住してしまうから「世界が狭く」なってくのかしら…「(自分と違う)いろんなヤツがいるもんだ」が楽しめなかったら、世界は狭くなりますよねぇ。
『デビルマン』、そんなにダメですか(笑) となると益々観たく…(^^;) なーんちゃって。
あ、名前ホメていただき光栄至極でっす。「花車」もちょっと古風なニュアンスでよいではないですか(^^)