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絵本の読み聞かせ

先日、ハハが高校の同窓会で会った友人らと再び(今度は少人数でゆっくり)会うと言って出かけた。そんであたしの絵本をプレゼントしたらば(身内割引で買ってもらってる。すーぐ持ち出したがるのであげてるとキリがない)、ひとりが介護施設などで読み聞かせをしており、それに使用してもよいか、と尋ねてきたのでOKした、と報告してきた。何の異存もないのだけど、その理由ってのが『いまは読み聞かせをするのに著作権とかで作家の許可が必要だったりするのでいろいろ面倒だから』。
この話、以前もどっかで聞いたことがあったなーと思う。「読み聞かせ」でお金とるならともかく、まったくのボランティアなのに許可やお金が必要だったりするのって何かちょっとヤだな。殺伐としたオトナ社会を「絵本を楽しみたい」という純粋な世界に持ち込んでるみたいで。作家自身がそれをどう考えてるのかはわからないけど(人それぞれだろうし)、出版業界とかがあれこれ噛んでる気がしないでもない。単純に考えると「読み聞かせてもらってよかったから自分で買ってまた楽しみたい」と思う人だって少なからずいるはずなわけで、「読み聞かせ禁止」は図書普及の観点からしても逆効果なんじゃなかろーか。

でもってこの「読み聞かせ」、ハハの友人はそれやるために学校に3年通ったのだそーだ。3年?!つーか、そもそも読み聞かせをやるのに学校なんかに行く必要があるのか?(講習会くらいならわかる気がするけど) 
『そこへ行くのにお金が必要よね』『もちろん』『でも読み聞かせはボランティアなんでしょう?』『そうよ』って会話をしたそーだけど、ハハ同様「はぁ~?」な顔になってしまった。
あたしは何であれボランティアという無償行為に対して「金がかかる」ってのがキライだ。ボランティアとして時間と労力を提供するわけだから、そこにさらに金銭を絡めないといけないとなると急速に萎える。交通費が自腹になるくらいならまだしも、それ以上の金をかける必要がどこにあるんだ?なーんか、どっかの何かがおかしい。とは思わないんだろか。「そーゆーもん」なのか?

「読み聞かせ」の話から脱線していきそーだな。
ほんの数年前、某出版社が「読み聞かせ用の絵本」として既刊の人気絵本を大型化したところ、園児たちが輪になってみんなで絵を楽しめるということで評判になり、瞬く間に増刷したという記事を読んだ記憶がある。ちょうど絵本を作り始めた頃だったので“それはいいなぁ”と思ったのだ。著作権だの何だのと言い出したからには、その大型絵本も生産されなくなったのかなぁ。
だとしたらすごく残念だ。

過日、五味太郎氏はこの読み聞かせについて
『バカげてる。絵本を読むスピードは人によって違う。そのスピードを均一化させるなんて強制もいいところだ』
みたいなことを言っていた。なるほど、それは気づかなかったな。ま、確かに一理あるのだけど、読み聞かせってのはあくまでも「絵本世界の入り口のひとつ」なわけだから、そこに突っ込むほどのことでもない気がする。人に薦められたり、自分で選んだりしながら「好きか嫌いか分けてく、そして自分が本当に好きだと思う絵本を見つける」ってのが、大げさに言えば「その後の人生の歩き方」にまで通じると思うしさ。入り口はいろいろいっぱいの方がいいんだ。

先日、甥に描いた絵本『どっかーん』を、友人が『色を塗らないで渡すなんて素敵』とホメてくれた。(義妹にも喜ばれた) でもあれはわざとじゃなくてさ、単に色塗る時間がなかったんよ。瓢箪から駒?(じゃなくて独楽?) 今度「ぬりえ絵本」つくろっかなー。は!ちぎり絵でどーやって…?
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by yukimaru156 | 2008-05-20 01:48 | 我思う | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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