原点回帰 と「ライフワーク」

昨日に引き続き、シーグラスその他をいろいろいじくる。正方形の木片を墨で黒く塗って(アクリル絵の具とかでもよいのだけど、墨で塗る方が木目の感じが出る気がして、木を黒く塗るときは墨なのだ)、その木片の中にシーグラスや貝、ガラスタイルなどを組み合わせて乗せてみたり。まだ「ちぎり」の作業に入っていないので、何かコラージュ作品を作ってるみたいだ。かれこれ12、3年前くらい、もちろんまだ「ちぎり絵」をやる前、一度「コラージュ教室」なるモノに出たことがあったなぁ、と思い出した。

雑貨屋でチラシを見たら近所でやってて、ちょっと顔を出したら何と(雨だったせいもあって)生徒はあたしひとり。センセはおばさま2人。机にはガラクタ(としか呼びようがない)がいっぱいあって、それらを使って自由に色紙に貼り付けてく、というものだった。美術は好きだったけど、そういう手作業を(イタズラ描きも含め)久しくやってなかったので、「自由に作る」という、至極単純なことがすごーく新鮮だったのを覚えてる。厚めの色紙に丸めた英字新聞だの針金だのあれこれくっ付けた。(恥ずかしいことにいまでもベットサイドにある) これが「最初」だったのかなぁ、と思ったりもした。何か原点回帰してる気分だ。ホントの初期作品には貝殻貼り付けたりもしてるし。とにかく「自由に楽しみたいけど、そのために絵の具だの何だのと備品を(わざわざ)買うのは嫌だ、と思ってはいたから(いまでもか)、その「ガラクタで作るコラージュ」というのが合ってたのだと思う。『筋がいい』とホメられたのも、いまの自分に至ってる理由のひとつだ。
そのセンセたちの作品展にも行ったな、そういえば。“え、これに1万円つけるの?んーむむ”と内心唸ったのを覚えてる。いまのあたしは、人に同じ思いで唸らせてるかもしれない。

話変わって。
先日、作家の栗本薫氏が亡くなった。何冊か読みはしたけど、そんなに思いいれはなくて、乳癌を患ったことも知らなかったのだけど、あの膨大な小説『グイン・ザーガ』が未完である、というのがちょっと残念だった。いや、読んでないんだけど、これ。あたしが高校生の頃は本屋に行くと平積みでどどっと並んでて(表紙のよさもあったはずだ)、周囲に読んでる人も少なくなかった。当時あたしは「SFマガジン」を愛読してて、たまに彼女の『グイン・ザーガ外伝』が載ったので読む程度。(なので本編は何がどうなってるのかわからない。そしてなぜかあまり読む気にもならなかった) 
残念だと思うのは、いまだに続いてた『グイン・ザーガ』を(確か130巻近く。ギネス申請して「同じ小説とはいえない」と却下されたらしい。申請は知ってたけど却下は知らなかった)、どう終わらせるつもりだったのか誰もわからないままなのだな、ということだ。手塚治虫の『火の鳥』しかり、石ノ森章太郎の『009』しかり。何年どころではない、何十年という年月をかけて作られる(書かれる)作品を生み出す力ってのはすごいものだと思うけど、未完で終わらせざるをえなくなる状況というのはそれこそ「死んでも死にきれない」悔恨の産物だと思う。無念の一語に尽きるんではないだろーか。ま、無事に完結すれば、それはそれで「ライフワークの終り」を意味するのだろうから、また複雑なのかもしれないけど。でも手塚氏や石ノ森氏のように「ノートに最終章の構想があった」とは聞いていないから(あったのかもしれないけど)、本人がどう終わらせるつもりかまだ考えてなかったのかもしれないな。まだ20年は書くつもりだったかもしれないし。
ともあれ「ライフワーク」って、作る醍醐味はあるけど終わらせるのは難しいよな。ちょっとやってみたい気もするけど。

横浜赤レンガ倉庫の「什器申し込み」のお知らせがきた。既に参加費は払い込んであるのだけど、まだ金がかかるのかぁ~とちょっとげんなり。かといってテーブル持ち込むには遠すぎるから、借りずにはいられない。うぅ~、今年もまた「自転車操業」の1年になるのか…。
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by yukimaru156 | 2009-06-03 01:57 | そんな1日 | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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