2017年 09月 02日 ( 1 )

ウソのよーなホントの話、だ。それってどのくらいの確率? とか思ってしまう。
大好きな兄に引っついて一緒に出稼ぎに来たものの、駅で待つように言われたのに気づくと深夜。周囲に誰もおらず、寝ぼけまなこで乗り込んだ列車は大陸を3日かけて横断する列車で、着いた先は人だらけの上、言葉が通じない。(インドではあってもヒンドゥー語ではないのだ) 自分がどこから来たのかも言えない彼、サルーは当然のようにホームレスとなり、やがて施設に入所する。劣悪な環境ではあるけど、そこで知り合った養子縁組の仲介をしている女性の口利きでオーストラリアの夫婦の元へ行くことになり、晴れて彼らの息子となる。貧困層にいる少年少女たちの中で、突然(何の特技や特徴があったわけではなく、本当に「運」として)、これほどの幸福を得られる子供がどれほどいるだろうか。温かい食事と立派な家、親切な養親との何不自由ない生活。

だがサルーは、貧しくはあったけれど、決して「不幸」ではなかったのだ。やさしい母と兄、かわいい幼い妹。自分は「捨てられた子供」でも「親や親類を失った子供」でもないという事実が、青年となったあとで、彼を苦しめることになる。生みの親を探すことは、育ての親を裏切ることになるのではないかという苦悶。だがいまだ自分を探しているかもしれない母親や兄のことを考えると、せめて自分は無事だと伝えたい…。

そう思うに至ったのは、学生となった彼が招かれたホームパーティで、インド料理を振る舞われてから。一度食べてみたいと願ってた「揚げ菓子」がそこにあったのだ。思い起こされる数々の記憶。オーストラリアからインドへは飛行機で行けるが、果たして自分の故郷がどこにあるのか、幼いころの記憶だけでははっきりしない。(迷子なったとき、地名を言っても『そんな町はない』と言われてしまったのだ) 簡単に探せるものではない、と諦めようとしたところへ友人が言う。
『グーグルアースで探してみればいいんじゃないか?』
当時の列車の速度を調べ、発見された駅から逆算して範囲を絞る。駅から給水塔が見えたのなら、そこでまた絞ることができる…一度は諦めたものの、どうしてもその言葉が離れないサルーは、やがて学業もおろそかになるほど「実家探し」にのめり込んでいく。

何度か泣かされる場面はあるのだけど、何と言っても秀逸なのがN・キッドマン演じる、サルーの養親だ。彼女が遠く離れた異国の地の子供をなぜ引き取ろうとしたのか、その理由が明らかになったとき、驚きと共に、その「懐の深さ」を思い知らされた。
おそらく、大抵の人が「養子縁組」と聞いてイメージするのは、何らかの理由があって子供ができない、あるいはいない、といったことだろう。でも彼女らは違うのだ。あぁ、こういう理由で養子縁組をする人もいるのだ、その上それがどんな子であっても、どれほど大変な生活となっても「受け入れる覚悟」をこんなにもしっかりと持ってるのだ…実はあたしが一番感動したのは、25年ぶりに生みの親と再会できたということより、この養親のような人たちがいる、ということだった。

敢えて「肌の色の違う子供」と養子縁組をする人たちがいる、という記事を昔読んだことがある。明らかに見た目が違う方が「説明が省ける」とか、子供にもわかるとか、確かそんな理由だったと思う。でもきっと、この養親たちのような人もまた、大勢いるのだろうなぁ。
しかし何だ、グーグルアースってすごいと思ったけど、同時に怖いとも思ったのはあたしだけじゃないだろうな。その良し悪しについて語れるほどの言葉を持ってないのだけど、観終わってふと、先ごろ観た『スノーデン』を思い出してしまった。「情報」をどう使うかは、結局「人」次第だよねぇ。

今日、金曜の午前中は、マジかと思うほど忙しなく、またちょっとやばかった…ポカもやったし(フォローもしてもらえた)、久々に『落ち着け自分、落ち着け自分』と唱えてしまった。アレやりながらソレやってそのあとコレして…と思う中でばんばん電話が鳴り、するとその内容にまた振り回されることになり…て感じで。
終わって、行きたかった映画も行けて、ほっとして力が抜けた。明日からまたやること山盛りだけど、とりあえずは爆睡だー!








(≧◇≦)
 

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by yukimaru156 | 2017-09-02 02:20 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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