カテゴリ:行った観た読んだ( 437 )

ブルックリンの街角にある小さな煙草屋と、そこに集う男たちの、ごくごく普通の日常と他愛のない会話。ほぼそれだけで成り立っているような作品ではあるのだけど、散りばめられた嘘も含めて、観終わったあとにちょっと愛おしく思う。そんな映画だ。
しがない煙草屋の店主、オーギー(ハーベイ・カイテル)の、粗野ではあるが憎めない性格と、妻子をとある事件で亡くしてから自暴自棄気味になっている作家(ウィリアム・ハート)の几帳面さ。本来なら相容れないであろう2人を繋げる「煙草」はただの小道具でしかないが、その「一服」がもたらす心地よさと間合いは「わかる人にしかわからない」…かなぁ。

劇中、オーギーと客が『そのうち、煙草を持ってるだけで一列に並ばされ、銃殺される日が来る』なんて会話を苦笑交じりに交わすのだけど、22年後の現在、そこまではいかなくてもそれに近いような扱われ方してるもんね、喫煙者たちは。「角の煙草屋」てのもどんどん減ってる気がするし。
喫煙者(女性も含めて)が多数出てるけど、煙草礼賛の映画ではないし、煙草にまつわる話ってわけでもない。(冒頭の「煙の重さの測り方」には笑ってしまったけど) そうではなく、「煙に巻かれたような話」とか「煙と共に消えたと思っていた過去」とか、そういう類かな。どちらにせよ、いまじゃ上映禁止の前に撮らせてもらえないかもね。

いくつかの、何の繋がりもないようなエピソードが終盤になって少しづつ集約されていき、そしてオーギーの「クリスマスの嘘」の話で終わるのだけど、その嘘はいかにもクリスマスな、決して褒められることではないけど少しふわっとさせられるような、そんな嘘で、心に残る。嘘をついた方も、つかれた方も承知していて、でもクリスマスだから許されるような悪意のない嘘。もし自分がずっと1人で暮らしてて、そしてクリスマスの夜にこういうことがあったら、それが例えどちらの側だったとしても受け入れてしまう気がする。これを否定できる人は少ないんじゃないかなとも思う。

実はあたしは公開当時にこれを観てる。主演のハーベイ・カイテルが好きだったのだ。すでにいいおっさんなトシではあったけど。(何本も観たけど『レザボア・ドックス』は秀逸っすよ) で、近所の映画館に来るとゆーのでどんな話だったか思い出そうとするのだけど、いくつかの断片的なシーンと、観終わったあとも不快ではなかったな、てことしか思い出せず、結局「初見」となるハハと2人で行って来た次第。
いやぁ~、人の記憶って曖昧だねぇ。ラストシーンだと思ってたのが最初の方にあったり、ふとしたきっかけで知り合った黒人青年が作家の部屋に何かを隠すのだけど、それは覚えてるのにそれが何であったか思い出せなかったり。明らかになってから、そうそう、そうだった! と思い出すのだ。おかげで(?)、初見に近い感じで楽しむことができた。(ちなみにハハの感想は『1人では観ないわね…』と曖昧だった)

煙をくゆらしながらこれを書きたかったのだけど、あいにく切らしてしまったのが悔やまれる。ちょっと前に1本煙にして、残り1本は明日の朝食後用。シゴト帰り、忘れずに買ってこないとな…てなことを書くことすら憚れる時代になってきたよねぇ。

夕方からの上映だったので、珍しく2人で外食。ランチにはよく行くパスタ屋でパスタとピザをシェアして、満腹満足で夜道を歩いて帰った。
映画までの時間はちょっと制作してたけどね、帰宅したらハハに付き合ってフィギィアを見る羽目に…実はあたしは苦手なんだなぁ、これ。みんな一緒に見えるから。みんな似たような滑りして、似たような演技で、どこに差があるのかわからないのに得点が違う。見てて飽きる…と言ったら失礼か。でも流れてくる曲は多種多様で耳に入ってくる分に対しては楽しめた。選曲も大事なポイントだよね。








( ´ー`)y-~~
[PR]
by yukimaru156 | 2017-03-30 00:02 | 行った観た読んだ | Comments(0)
アカデミー賞授賞式で誤って名前を呼ばれるという、前代未聞の出来事で逆に知名度を上げたんではないかと思うけど、どーだろか。少なくともあたしはその事故までタイトルはおろか、内容も知らなかった。ミュージカルだということも!
監督は「古き良きアメリカミュージカルを目指した」のだそーで、そこはまぁ、異論はない。どっかで観たよーなシーンでも「名作のオマージュ」と呼ぶのならそうなのだろう。新鮮味のない内容でも、「それこそが王道の中の王道」と言われれば、頷くしかない。あとは好みの問題、になるのかな。

物語は、売れない女優の卵と、店を持つことが夢の貧乏ジャズピアニストの、最悪の出会いと鬱陶しいくらいの蜜月と、それぞれの夢と現実との葛藤。
劇中、最も印象に残ったのは主演2人ではなく、男をバンドに誘うかつての友人。男は金欲しさに契約するものの、演奏されているのは(当時流行りの)ロックにジャズテイストを加味したものだった。
『違和感あるだろ、オレだってある。でもお前が行く店を見ろよ、年寄りばっかりじゃないか。お前は「ジャズのために」と言うが、ジャズはいつの時代も変わることで残ってきた。ジャズのためにと言いながら、お前は何もしちゃいないのさ』
ロックにピアノやトランペット、コーラスを入れるのは確かに「ジャズ」だ。友人は流れに抗うことなく、模索しながらも、愛してやまないジャズを生き残らせようとしている。そこがかっこいい。この台詞で、今月初めに観た『ブルーに生まれついて』を思い出した。チェック・ベイカーの哀切極まりない「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」から、『バード』やその他いくつかのジャズ映画を想う。何てことをしてるから余計、当の映画の歌やら何やらが残らなかったのかもしれない。主演2人に何の思い入れも湧かなかったしさ。上手いっちゃ上手い(のかもしれない)けど。
アカデミー云々より先に、どうしてこれがこんなに混んでて、高評価なのかわからん。ここのところよく映画を観てる気がするが、歌なら『ブルーに』の方が断然いいし、踊りなら『p.k』の方がいい。ま、比べるのは間違いだけどさ。

実はこれを書くのは3度めである…ハラたつやら情けないやら、このキモチのやり場はどこへ?! と思う。一体どこのキーを押せば「一瞬にして宇宙の彼方」へ行くのだろうか。そしてそれを戻す方法は? 1度目はともかく、2度目はかなりのとこまで書き進んでて、ショックからしばし立ち直れなかった…もっとずっといい文章書いてたように思うし。

映画を観たのは昨日(22日)。在廊当番だったけど、その前、9時25分の回にハハと行ったのだ。ハハもあたしと同様の意見で、アカデミー候補? これがねぇ~、て感じだった。
にしても映画本編が始まったのは9時40分を過ぎてから。それまで延々と予告…だけならまだしも、くだんないアニメやらCMを見せられてウンザリゲンナリな気分だった。アニメとか3つもあるし。あれ、必要なの? お金払って、何でCMばっか見せられなきゃならないんだ?

今日は朝からどーぶつ病院。皮膚科は混んでたのでやめた。明日は搬出。の前に皮膚科に行ける…かなぁ。2回もブログを消失させてしまったので、2時間以上ここに座ってることになる。疲れたー。明日、どーぶつ病院をお休みにしておいてよかった。










"(-""-)"
[PR]
by yukimaru156 | 2017-03-24 02:09 | 行った観た読んだ | Comments(0)
内容どころかタイトルすら知らず、当然その「村」がどこを指すのかすら知らず、ただ友人に誘われて観に行ってきた。試写会なので公開はこれから(確か3/25)だ。 
2015年のネパールの震災のとき、最も震源地に近いとされた村へ入った写真家がそこで撮影するうちに村の魅力に取りつかれ、「写真ではなく映像で」と思って作られたドキュメンタリー。そのため内容に起伏はなく、ただそこで生きる素朴な人々の震災後の日常が淡々と綴られる。震災前も、おそらくは頑強とは言えなかったであろう家屋はドミノのように倒壊し、4000人あまりの村人のうち、24名が命を落とした。(と言ってたと思うのだけど…M7以上だった割には少なく思えた) 信仰篤い彼らの中には、その理不尽さに嘆く者も大勢いたと思われるけど、でもだからと言って神に祈る、神を祀ることはやめない。倒壊した家屋や粗末なテントに家族で暮らす日常は、震災前とさほど変わらないのではないかとすら思える。

あたしは知らなかったのだけど、彼らの宗教はヒンズーでも仏教でもなく「梵教」。一説にはヒンズー教や仏教の根幹でもあると言われてるようだ。貧しい暮らしの中で神に祈りを捧げ、歌い、舞う。カメラは彼らのそんな日常を追うことに終始する。「一番美しい」のは彼らであるとばかりに。
それは間違ってはいないと思うのだけど、だから何だ、と問わずにはいられない。あたしがネパールを旅したのはかれこれ25年前。彼らのすぐ近くまで行っていた。シェルパを雇い、テントを張って3日ばかり過ごしたのだけど、あのとき見た壮大な自然は映画では観られなかったのが残念だ。

3ヶ月続くモンスーン(雨季)は、地滑りを起こした台地をさらに脆弱なものにし、水は容赦なくテント内に入り込み、眠ることすら叶わない。せめてベットで寝られるようにと、何枚もの板が監督らの手によって運び込まれるのだけど、それがどういうベットになったのか、果たして役に立ったのかもよくわからない。写真家が撮った映画、ということを差し引いても、いろいろ突っ込みたくなる内容ではあった。満天の星空の、呼吸すら忘れてしまいそうなあの素晴らしさを撮らなかったのはなぜだろう。

そしてこれは「チャリティー」と銘打たれてるのだけど、誰の、何のためのチャリティーなのかはっきりしない。震災によって地盤が緩み、ここに住むのは危険であると警告されているにも関わらず、『そのときはそのとき、受け入れるだけ』と言って、震災前と同じように田畑を耕し、水牛を放牧し、生活する人々に対してなのか、悠久のときを語っていた寺院の再建なのか(どんな寺院だったか知ってるだけに、冒頭で紹介された寺院の無様な姿は切なかった)、あるいは子供たちの学校や教材に対してなのか。ネパールに心酔する日本人は多い。
インドに行ったとき(28年前だ!)、『インドに疲れたらまずはネパールへ行け』と言われ、そのときは意味がわからなかったのだけど、数年後にネパールを訪れる機会に恵まれて、初めてその意味がわかった。いろんな意味で日本人は落ち着くのだ、ここは。だから写真家が惹きこまれたのもわかるのだけど、それを観させられてもねぇ。

上映後のトークショーで、冒険家が『ブータンはネパールの失敗を犯さないように市政を組み立ててる』みたいな話をしてて(つまりこの映画とは何の関係もない)、ちょっと興味深かった。ネパールは「王国」なのだけど、この王室が権力と富を持ちすぎてる、て話。王族の中でとんでもない殺戮があったのは10年くらい前だっけ。あとで友人と『あれはどういうことで、結局どうなったのか』なんて話になったけど、わからないままだった。忘れないうちにちょっと検索かけてみよう。
劇中、子供から大人までが口ずさむ歌があって、その歌を知ってることにちょっと感動してしまった。ポカラで知り合った男の子(シェルパと同行した見習い)から教えてもらった歌だったのだ。あの節回し、まったく一緒だ。宗教的な意味合いのある歌かと思いきや、そんなことはない、ただ流行ってるだけ、みたいな言い方されたように記憶してるのだけど。
♪ イーサン・ピィリーリー、イーサン・ピリーリー
てとこだけが頭ン中でリフレインしてる…この曲に字幕があったらよかったのに。

誘ってくれた友人は大学のときの同級生で、先日「鬼太郎茶屋」へ行ったSTちゃん。この日一番のびっくりは『コンサートには1人で行けるけど、映画は1人で入ったことがない』。逆ならわかるんだけど、映画が1人ではダメとは…(だから試写会が当たって同行者を探してたらしい) あたし、高校のときはすでに1人で観まくってたけどねぇ。ちょっと不思議。








(゜-゜)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-03-16 00:07 | 行った観た読んだ | Comments(0)
1950年代を代表するトランペットジャズの名手、チェット・ベイカー。その甘いマスクと中性的な切ない歌声で多くの人を魅了しながらも、実生活では麻薬に溺れ、トラブルが絶えなかったという。そして最期は原因の定かでない、ホテルからの転落死。
彼のことを知ってたわけではないが(名前だけで、CDも持っていない)、ちょっとジャズに浸ってみようかな、と思いついて近所の映画館へ行って観た。

チャーリー・パーカーとも共演し、マイルス・ディビスにも並ぶ人気を誇っていたものの、あるとき麻薬のトラブルで彼は顎を砕かれ、前歯のすべてを失ってしまう。そこから再起するまでの話でもあるのだけど、親密になった彼女との「クリーンな生活」も長続きはせず、結局また麻薬に手を出すことになる。
その理由が語られるわけではないのだけど、敬愛するディビスに
『白人にジャズがわかるものかよ』
というひと言に打ちのめされてしまうほど繊細だったのかなとも思う。当時はいまよりずっと「ジャズは黒人音楽」という不文律みたいなのがあったからねぇ。(余談だが、ちょっとしか出てこないこのディビスはあまり似てないのだけど、貫禄とゆーか存在感があってよかった) 

トランペット吹きにとって顎を砕かれるとか前歯を失うなんて致命的ではあるけど、そこからまた「自分の音」を求める姿は痛々しくも美しい。
『昔の彼の方が技術はあったが、いまの彼の方が切なく憂いがあっていい』
耳の肥えた聴衆にそう評されるほどにまで快復して、彼は再びステージに立つ。
終盤近く、彼が歌う「マイ・ファニー・バレンタイン」は、これだけで観る価値があると思うほど素敵だった。あたしが持ってる同曲はサラ・ヴォーンだけなので、てっきり女性が歌うものなのだと思ってたけど、男性が歌うとまた違う印象になるんだね。「私の奇妙な恋人」から始まるこの曲は、相手をけなしてるかのごとく悪口が羅列されるのだけど、最後に「お願い、1ミリも変わらないで、ずっと私のそばにいて」という歌詞は男性が歌う方がぐっとくる(気がする)。

正直な感想を言えば、もっといっぱいジャズが聴けると思ってたのでちょっと残念てのと、終始淡々としてるので起伏がないように思えてしまうのが惜しい、てとこかな。でもイーサン・ホークの歌はよかった。トランペットの哀切な響きと彼の掠れた声が耳に残る。チェット・ベイカーのCDが欲しくなった。劇中で歌われたこの曲は、彼の代表作でもあるらしい。コンポがいかれたままなので、そこから何とかしなきゃだなぁ。

ひっさしぶりに部屋に掃除機を入れたので、空気がキレイになった気がする。ついでにPC部屋の方もキレイにした。(豆まきしたときの豆が出てきた!) これでモノが処分されて減ってたらさらにいいんだけど、なかなかそこまで到達できない…愛着だけの問題じゃあないんだよねぇ。

映画から帰宅してすぐどーぶつ病院。明日はやっぱり出ることにした。「早番」で「遅番」。遅番はともかく、早番でヘマしないかどーかが心配…フォローしてくれるカンゴシさんたちがいないので。無事に済んでくれますように!







(´_ゝ`)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-03-07 00:54 | 行った観た読んだ | Comments(0)
失礼ながら、あたしは養老孟司氏が何者なのか知らなかった。どこぞの学者か教授だろうなー、てだけで、昆虫に関するエッセイか何かを目にしたこともあったから、昆虫学者かな? とも思ってたけど。東大名誉教授の解剖学者であった。でもって昆虫は「趣味」。趣味だからこそあんなに語るのか。少年時代から昆虫採集にハマり、以来それが続いてるという。

宮崎駿との共著みたいな書き方になってしまったけど、これは2人の対談集。年が近い(宮崎の方が4つ若い)てのと、考え方に似てるところがあるってだけで仕事とかでの接点はないようだ。
制作の合間にちらちらと読んでて、読了後、『バカの壁』が読みたくなった。つか、養老氏の著作が、かな。いや、昆虫はどーでもいいのだけど。(でも昆虫の話を通して、いろんなモノが見えてくるんだろうな。そういう語り方をする御仁なのだ)

2人を結んだのは趣味でも何でもなく、新潮社が仕組んだことで、そこでざっくばらんにあれこれ語ってる。(養老氏が宮崎作品を全部観てる、てのはちょっとびっくりだ) この対談は『もののけ姫』公開中のことで(つまり1997年。20年前になるのか!)、それについての2人の話から、現代のワカモノや子供たちに話は飛ぶ。当時の「子供たち」はいまはとっくに成人してるわけで、彼らが憂いた現状はさらに持続してる…のかな。
『ウチの子は「トトロ」が大好きで、もう100回は観てます、と言われ、それはやめてくれと思った。あんなのは年に1回でいい。「トトロ」を観てどんぐり拾いに行きたくなった、はいいけど、100回も観てたらどんぐり拾いに行こうなんて思わないでしょ。それは困る』と宮崎氏。ふむふむ、その感じ、わかるわ。

『もののけ』と『ポニョ』を抜いた『君の名は。』は、「聖地巡礼」とか言って映画で描かれた街やら駅やら階段やらに人が集まってるらしいけど、つーことは対談当時よりは「外に出る」ようになったんだ、と思っていいのかね? ポケGOのおかげで(?)ゲーマーも町へ出るようになった、なんて話も聞くけど、何かちょっと違う気がしなくもない。そりゃ、出かけた方がイイに決まってはいるんだけどさ。いわゆる「ご当地」でお金落としてこれば、それだけ活性化するけどね。へし切り長部(信長の愛刀)の展示見るためにオナゴ共がわんさか来てるらしいし(オトゲーの「刀剣乱舞」の影響ね)、地味なとこにスポットが当たるのは悪いことじゃない。先日ちらりと書いた、外国人女性が初の棋士になった、彼女が将棋に興味を持ったのは『NARUTO』から、て話みたいに、どこへ拡がりを見せるかわからないこと考えると、案外これでイイのかもなぁ。
対談集は、貰い物で(自分から買うような本ではない)、そういう意味でちょっと珍しさもあったのだけど、20年前と言ってもそんなに古い話のようには思えず、含蓄もあり、悪くなかった。今度古本屋行ったら『バカの壁』を探してみよう。

シゴトのあと、展示レイアウトについてあれこれ考えてたらいつのまにか寝てた…座椅子で腕組んで。しっかり30分…以上は寝てたみたいだ。まぁ、忙しかったのもあるけどね。こんな形で寝てたら風邪ひくのに。
夜には、もう一枚の絵の方を完成させた。ちょっと魚たちがでぶになってしまった。チラシの柄を意識すると、どーしてもちょっと大きめになってしまうんだよなー。







( ̄▽ ̄)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-03-03 00:15 | 行った観た読んだ | Comments(0)
俗に「出る杭は打たれる」と言う。そして「出過ぎた杭は打たれない」とも。彼が前者だとしたら、かのライブドア事件、逮捕、懲役を経た現在は後者になるのだろう。読後、そう思った。
幼稚園のときから百科事典を読み、教科書に書いてあることがなぜ答えられないのだろう、一度読めばわかることなのに…と不思議に思うような少年は、決して恵まれた環境の中で育ったわけではなかった。すぐ感情的になり、こちらの言い分に耳を傾けることのない母親と(故に彼はすぐ感情的になる人が苦手になった)、夜はナイターとビールの、平凡を絵に描いたような中産階級の父親。不幸な、とまではいかなかったかもしれないが、持って生まれた資質というものを存分に育める環境ではなかったと言える。

彼がパソコンを手にし、そこから拡がる無限の可能性を見出してからは、彼が彼自身をプロデュースする以外に道はなかった。当時(90年代)はまだインターネットという概念すら曖昧で、東大在学中に始めたバイトを通してその想いを強くしていった彼はやがて起業し、IT業界の、あるいは時代の寵児のように呼ばれることになる。そこまでの道筋も、彼に明確な未来図が描けていたからだ。彼の不幸は、IT業界というモノが一律にうさん臭い仕事のように見られてたことと、彼と同じ目線で未来を見る者がいなかったからではないかと思う。
球団を買うとか、放送株を買うとか言った言動が、いきなり突拍子もない、成金が何言ってる、という反発を買ってしまい、それが「拝金主義」のように(つまり悪役のように)世間に広まってしまった。でも本書で語られてるように、それは別にただの思いつきでもなく、金があるから買うのだ何が悪い、という話でもなく、むしろITバブルが弾けることすら視野に入れて、異業種との融合による「新しい未来」を描こうとしていたにすぎない。

どーも日本人てのは、才覚というものを評価しない傾向があるような気がする。彼自身の努力と才能によって勝ち得た地位を、まるで濡れ手で粟で掴んだかのような物言いで評価する。
効率と合理性、機能性そして論理的な手法を重視すれば、そこに義理や人情が入る隙はくなってくる。
『上場した会社は社長ではなく株主の物。株主への責任として会社を経営し、成長させなくてはならない』
これは誰もが認める正論ではないかと思うのだが、仕事が出来ない者、古株と言えども会社に利益をもたらさない者は切り捨てる、となると猛反発を喰らう。彼が欲するのは「同好会的会社」や「家族的会社」ではないのだが、それを求める人は少なくないのだ。「大きくなるために必要なもの」としての変革は理解できても、それが自分の地位に関わると途端に委縮する。球団や放送の買収に対する彼へのバッシングがいい例だ。彼はこれを「老害」と呼んでいたが、その通りなのだろう。

『戦後、何もない時代から積み上げてきた人たちは、若い者がシステムを変える、新しい者が古い者を駆逐するという経験をしたことがない』
そうだよな、と思う。彼と対峙するには感情論は不要だ。そこを排して初めて建設的な意見交換ができるはずなのに、マスコミからして公平な立場に立とうとしない。「我が闘争」。なるほどのタイトルだな、と思った。ライブドア事件のとき、何が何だかよーわからんな、と思って見てたけど、つまるところは彼への偏見と嫉妬とが膨張した結果、なんだな。
彼に対しては特に何の感情も抱いてなかったけど、本書でひとつわかった。彼の至ってシンプルな考えに対して、とやかく言う人がやたら多い、てことだ。反論が反論ではなく感情論になる時点で誤りに気付かないといけないのにね。

今日はシゴトのあと経堂まで出て、甥っこへのチョコを買った。(去年のWデーに何ももらってないのに!) 自分にも買った。大好きなのに最近はとんとお目にかからなくなってしまった、「アフターエイト」。そんな話はまた改めて。







( ̄▽ ̄)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-02-11 02:30 | 行った観た読んだ | Comments(0)
発売されたころから気になってはいた。好きだった爆風スランプのヒット曲「ランナー」にある一節は「風はいつも強く吹いてる」なのだ。あれとカンケイあるのかないのか。彼女は爆風を好きなのかどうか。あの曲を知ってるのかどーか。ま、どーでもいい話ではあるのだけどさ。あたし自身は「ランナー」より「涙の陸上部2」の方がずっと好きで、でもどっちにしろ「走る人」の歌だなー、と思ったり。つか、走るって行為そのものが「青春」だよねぇ。

ズブの素人と言っても過言ではないメンバーが大半の10人で、弱小どころか存在すら知られてなかった寛政大の陸上部が箱根駅伝を目指す。何つーかもー、それだけで内容がわかってしまうよな作りではある。メンバーの確執とか友情とか、駅伝の凄さ(あらゆる意味で)とか、無事襷を繋げることが出来るのかどうか、とか。
わかってて読み始めたのは、これを『しをん作品のイチ押し』とする人が何人かいたからだ。そーか、だったらちょっと読んでみようじゃないの。そんなキモチで読み始め、思ったとーりの展開であるにもかかわらず後半からは一気に加速して読了。駅伝が始まってしまったら、メンバーの故障とか病気とか(駅伝は10人で走るので寛政大では誰も欠くことが出来ない)、ヒヤヒヤさせられることも、でも何とかなるのだろう、てこともわかってるのに読み終わるまで手を放すことが出来なかった。

走ることが何よりも好きで、だからこそ「規則や上下関係に縛られたくない、学校や監督や両親からの期待に応えるためになんか走りたくない、タイムも関係ない」と考える蔵原走(かける)。ただ走り続けたいと願う彼の願望に応えるかのように現れた、夢物語としか思えない箱根駅伝へ誘う清瀬灰二(ハイジ)。彼がねぇ~、ほんっとにイイ奴すぎるとゆーか、こんなに人心掌握術上手くてこれからどーなんの、てくらい「人をその気にさせる」のが上手いのよ。最初は軽いノリで付き合ってた連中も、個々に即した練習メニューや、ここぞとばかりにかけられる言葉のひとつひとつが「やる気」を引き出すのね。彼自身もまた走者なんだけど、欠点なさすぎ。ハタチの学生でいるかよ、こんな奴、と思うのだけど、でもいなくはないよな、たぶん。
大学ンとき、何つーか「人を見る目」てのがある先輩がいて、委員長とかしてたんだけど、傍から見てても"この人ってよく見てるよなー"と感心してた。抑制しないと暴走するとか、叩かないとやる気にならないとか、追い込んだらダメになるタイプとか。

勝負事は(ホントはだけではないのだけど)、とかく根性論や気合いとか精神力とかで語られがちだ。もちろん日々の鍛錬の上に。で、その鍛錬の前後に関しては「自分でどうにかしろ」となる。根性の出し方も気合いの入れ方も人によって違うし、当人ですらわからないことが多いのに、それも含めた精神論で突破せよ、みたいな切り口になる。だからそこに反発したり混乱したりしてしまえば、あとは崩れてくしかない。
「無能な軍隊というのは存在しない。無能な指揮官がいるだけだ」
てのは確かアメリカの諺だけど、スポーツであれ仕事であれ、要は上に立つ者次第、だよなー。

駅伝は「究極の個人競技にして団体競技である」という言葉があった。確かにその通りだと、読んでて思う。襷をつなぐこと。ただそれだけを主軸とした個人競技。信頼しているから渡す、渡された者はその想いを引き継ぎ、そして繋ぐ、団体競技。不思議なスポーツだ。だからこそ、人をこんなにも見了する。ドラマのない駅伝などないことを知ってるから。
心臓が破裂するとか思うような苦しさ、なぜ走るのかという疑問。そしてそれらを乗り越えた者だけが見ることのできる世界。憧れない人なんているのだろうか。出来る出来ないの話ではなく。

読了して、あ~、やっぱいいわーと思いつつ、あそこんとこはもー少しとか、監督ってホントにすごい人だったのかなとか、灰二って名前はねーよな(少なくとも陸上の英才教育を施す親が付ける名前じゃあない)、細かいツッコミはいくつもあるのだけど、よかった。「しをん作品の一番」かどーかはわからないけど。

皮膚科でもらった塗り薬がカラになってしまったのでもらいに行った。前回の処方箋に「ケース代 50円」とあったので、カラケース持参で50円浮かせようと思ったら受付の人が苦笑しながら『先生が詰めますのでそれは捨ててください』と言った。だったら50円とか書くな! つか、どー考えてもこれ50円もしないっしょ。1週間分のはずが3日で使い切っちゃったのだけど、これがあと半年も続くようならどんだけカラケース積むことになるんだか。

思いがけず読書の日となってしまったので、猛省。明日こそはちゃんとする!







(;・∀・)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-01-17 02:09 | 行った観た読んだ | Comments(0)
笑って、泣いて、また笑って、泣く。深読みしたり、ふと、いまいる「現実世界」の状態というのを考えてみたり、自分なりの答えを探してみたりする。
映画って、そういうものだと思う。共感や感動を得たいがために観る、そういう人もいっぱいいるだろう。でもそこまで求めないで、ただ笑ったり泣いたりすればいいんじゃないか。そして胸の奥ンとこに何かが芽生えたらそれはとても幸運だ。

「pk」がどういう映画なのか、ひと言では説明しづらい。単なる娯楽映画とも言えるけど、人によっては奥深さを感じることだろう。あたしは何の予備知識もなく、ただ前回映画館にいたとき(「シンゴジラ」だった)、前にいたおじさんが『アレも観たいと思ってたんだ』と指さしたのがこの「pk」のポスターだったのだ。観に行った理由はただそれだけ。あとで「きっと、うまくいく」の映画監督であることを知った。これ、行きたいと思ってたのに未見。

だだっ広い荒野に突如降りて来るUFO。そして現れるマッパ(真っ裸)の男。胸には不思議な石のペンダント。身に着けてるのはそれだけ。そしてそれはいともたやすく盗まれてしまう。それがないと故郷の星へ帰れないのに!
どこの誰ともわからない人に奪われ、おそらくは売られてしまっているだろう「リモコン」を探し続ける彼は、尋ねた男に投げつけられた言葉、
『俺は警官で神様じゃないんだぞ!』
のひと言に開眼する。そうか、リモコンの在り処は神さまが知ってるんだ! かくして彼の「神さま探し」が始まる。

「神さまはご存知」「神さま次第」「神さまの思し召し」「神さまにしかわからない」…誰も彼もが「神さま」を語るのに、誰も直接会ったことのある人はいない。寺院も教会も遺跡にも回廊にもいない。ではどこにいるのか? 祈れば聞いてくれると言うから祈る。お金や供物を寄進し、儀式に参加し、洗礼を受け、叫び、歌い、身体を清め、地面にひれ伏す。ありとあらゆる宗教を体験しながら、「リモコンの在り処」を知ってるはずの神さまを探す。だが神さまはいない。こんなにも切実に願っているのに!
かくして彼、pk(インドでは「酔っ払い」という意味)は、「神さまは行方不明、ご存知の方は連絡を」というビラをやたらめったら配り歩くようになる。

映画のキーワードは「かけ間違い」。意思伝達のために人の心を読む、故に言葉を持たない彼がそれを習得するまでの悪戦苦闘や、騙したり助けたり笑ったりする人たちとの出会い、ビラが単なる「ちょっとおもしろいネタ」としか思えず、彼を追ううちにいつか真剣に彼の話に耳を傾けるようになるレポーター。彼が真剣であればあるほど可笑しさは増すのだけど、同時に考えさせられもする。
そして終盤、きれいに丁寧に回収されてく伏線に唸り、泣かされる。単なるエピソードのひとつではなく、ここに繋げるための伏線だった、とわかるのは快感だ。一番心地いいと思える瞬間とも言える。いい映画だ、上手いね、監督、と顔がにやついてしまう。
惜しむらくは、このpkが「ミスター・ビーン」そっくりなことかな。周囲が巻き込まれてくさまは映画『K-PAX』とかとぶったりもするし。でもそこに宗教は絡まなかったから、そこが斬新なのかも。

あたしは神さまの存在を信じてるか、と問われたらはい、と応える。どの神さまとかではない。ただ、創造主たる神さまはいると思うからだ。そして、いまだ根強い、神の名のもとに行われるあらゆる粛清、虐殺、破壊行為に対してはこう言う。
『神さまはいる。でも「神さまの代理人」というのは存在しない』
と。それら行為を繰り返す人に、あんたの神さまは他宗教が認められないほど懐が狭い人なのか、と問いたい。何を以って代理人と名乗るのか確かめたいくらいだ。そんな想いがあったからか、この映画も言わんとしてることは一緒だな、と思えてちょっと嬉しかった。敬虔な宗教徒は、これを観てどう思うんだろか。

今日あったこといろいろ書きたいのだけど、これだけ書くのにえらく疲れた…今夜はすっごく月がキレイだった。宇宙の広大さと宇宙人の存在を思い知るくらいに。そしてこけれからは、光を抱いた厚く大きな雲を見る度に、あれは宇宙船かも、と思うのだろーな。







( ̄▽ ̄)
[PR]
by yukimaru156 | 2017-01-14 02:50 | 行った観た読んだ | Comments(0)
「ゴジラ」シリーズなるものが一体これまでに(海外作品も含め)何本撮られたのか知らないが、あたしは1本も観たことがない。そりゃ、テレビや映画予告なんかではちらちらと観てるし、その生い立ち(?)もまったく知らないわけでもない。とは言え、作品として観たことはないので、それぞれがどういう結末を迎えてるのかも知らないわけだ。
この夏、『君の名は。』同様、かなりの話題になってたときも、多少興味はあっても行こう、て気にはならなかったのだけど、近所の映画館で上映されるとハハが『ちょっと行きたい』とか言いだし、まぁそれなら付き合うよ、てことで観た。

突如、何の前触れもなく現れた「未確認生物」に対してのオエライさんたちの右往左往ぶりってのも話題のひとつだったけど、確かにこーなるだろーなー、ではある。至極真っ当なこと言ってる割には想定外を理由に責任回避しまくってるようにしか見えないあたり、先の震災やらこれから起こりうる可能性のあるテロなんかでも、実際「こんな感じ」かもと思わせる。そこんとこが「リアル」だぁね。

特撮大好きな監督だから、そこら中にこれまでの特撮技術をリスペクトした描写があり、数年前、彼の大規模な展覧会に行ったときのこと思い出した。(タイトルを忘れてしまった…このブログの「行った観た読んだ」項目の中にあるはずだけど) 
彼が愛してやまないのは、実は特撮ではなく、いわゆるオタクと呼ばれる人たちなんではないかと思う。実際のところ、混乱したまま一向に収拾のつかない官邸とは別に動き出した、「出世に無縁の者、組織の鼻つまみ、学会の異端者、偏執狂、オタク」たちによるチームの方が柔軟に対処し、冷静に分析し、連携を取って最も効果的な最適解を導き出す。だから彼らが主軸になるべき、ではなく、「それらを吸い上げることのできる人間」が必要なのだ。「前例がない」を言い訳にする(が言い訳になる)組織の人間には縦割りを改めることが出来ない。みんなそう思ってるはずなのに、なーんで出来ないかねぇ。てことも言いたいに違いない。

中盤に差し掛かって、やっと自衛隊のお出ましとなるのだけど、彼らの攻撃を見てて思った。

  天敵のいないゴジラにとってあの強度な外殻は必要なのか?

これまで外部から攻撃されることは皆無であったと思われるゴジラに、どういう理由で進化する必要があるのかとか(第4形態まで進化するのだ)、そこんとこをちょっとマニアな人に訊いてみたい気がした。
官邸の無能ぶりや各国(主にアメリカ)の思惑から、ただ歩いてるだけのゴジラの残す甚大すぎる被害とかその様子とか、なるほどよく出来てて、そこんとこはすごくリアルに感じられた。(どーでもいい話だけど、最後に登場する「特殊建機」は実在するんだろか…凄すぎるんだけど) ゴジラの出現を示唆していた博士の行方とか、気になることもあちこち点在するんだけどね。娯楽なんで単純に楽しめたっす。

午前中は台所の大掃除。ハハは床、あたしはガス台と壁。まだやっと半分、てところ。流しも磨いてないしね。ホントはやるつもりでいたのだけど、映画の時間となってしまったので。
映画のあと、父のカメラ2台を査定に出した。1つ100円だった…そんなもんだと思ってたけどね、それでもちょっとショックだわね。じっさまのタイピンに純金のモノがあったので、そこそこいい値段にはなったけども。

夜は賀状作り…気ぃ狂いそーになった。何でうまくいかん! てところで。そんな話はまた後日。








( ̄▽ ̄)
[PR]
by yukimaru156 | 2016-12-22 00:13 | 行った観た読んだ | Comments(0)
大学時代の古い友人がオペラの先生についてボイストレーニングを始めた、て話は聞いてたのだけど、ついに初舞台! と聞き、んじゃ行ってみよーか、と軽いノリで行くことになった。彼女(ENちゃん)とはもーずーっと会ってなくて、どんくらい会ってないのかもわからないくらい会ってない。たぶん共通の友人の結婚式以来なのだけど、それって25年前くらい? な感じなのだ。お子さんは立派に成人してるしね。

ENちゃんとみちゃおとはしばしば会ってるらしいのでお誘いが来たのだけど、みちゃおがいなかったらとてもじゃないけど行く気になれないくらい遠かった…本厚木からバス、は聞いてたけど、まさか45分も揺られることになろーとは…ここどこ? てくらい遠くて、ちょっとした遠足気分。近くに山々が連なって見えるし、周りはなーんもないし。よくここに公民館建てたな、て感心してしまうくらい。

とは言え、到着したらあちこちにこのWKOT2(若者たちの音楽祭)のノボリが立ってて、ちょっとだけど食べ物屋台(マルシェ)もあって、15組のバンド(ほとんどがワカモノで、ENちゃんたち「オトナ組は2つ3つ)の仲間やら何やらでそこそこの人ではあった。身内ばっかかな、ではあるけどね。
久々に会ったENちゃんは変わってなくて(あたしも同様らしい)、何がびっくりって、この初舞台は『10年後のステージのための布石』と銘打ってるところだ。10年後の誕生日(つまり今日!)、ライブをしたいと思っていて、今日これからが『そのための第一歩』なんだそーだ。すごい。そゆこと、考えたことなかったなー。てゆーか、10年後、「ちぎちぎ」してんのかどーかさえ疑わしいわ、自分。

12時スタートだけど、ENちゃんたちの出番は3時半なので、まずは近くのファミレスでランチ、てことでみちゃおと2人でてくてく。『10分くらい先』なんてもんじゃあなかった…天気よかったからよかったけど、そーでなかったらメゲてたね。工場と駐車場とが連なり、どこ歩いてるかわけわかんなくなったりもして。ま、2人でだらだらとしゃべりながらだったので、退屈ではなかったのだけど。

ENちゃんのステージはオペラではなくポップ。(ボイトレの先生がオペラの人、てだけでオペラがしたいわけではないらしい) 一青窈の「ハナミズキ」とか歌って、へー、イイ声なんだな~、普段は甘ったるいよな、穏やかな話っぷりなのにな、と思ったり。
その前のバンドと、その後のバンドとを聴いて(つまり15組中、3組だけ)、「音楽祭」としてどうなのか、と考えると「若いな~」てのと「(作り方が)素人すぎる」てのとで、何だかなぁ~、だった。進行役のMCは背中向けたらイカン! とか、その照明は雑すぎるだろ! とか、まぁ、昔取った杵柄とかでいろいろ思ってしまったりしたわけだけど、そこからどんだけ成長するか、できるか、が「若さの特権」でもあるてことかなー。

途中退場にもかかわらず、帰宅は8時。一昨年の賀状を見ながら、10年後の自分とゆーものを考えた。想像つかなかった。還暦だよ、還暦?! 何してんのかなぁ~。ちぎってるかなぁ。その「ちぎり」がただの趣味ではないと認知されるだけの拡がりを見せてくれてるといいのだけど。つか、そもそもちぎってんのか? と思ってしまうな。他にもっと「やりたいこと」が出来てるかもしれないわけだしさ。それならそれで嬉しいことかもしれないけど。







(゜-゜)
[PR]
by yukimaru156 | 2016-12-19 01:13 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


by yukimaru156