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「正義は勝つ」というのは正しいと同時に間違ってもいる。なぜなら「正義が勝つ」のではなく「勝った人が正義」だからだ。あるいはこうも言える。「正義と悪の闘いというのはない。あるのは、自分が正義だと思っている者同士の闘いだ」。
とまぁ、どっかで聞いたようなこと書かせてもらったけど、この作品は単なる法廷モノとはちょっと一線を画す…とゆーか、これが「法廷」なんだけど、「正義が勝ってすっきり」ではない。(だから「すっきり」したい人にはオススメではない) 弁護士が「闘う」のは悪ではなく、また正義のためでも、もっと乱暴な言い方すると真実のためでもない。「本当は、真実はどうだったのか」は、裁判では「どうでもいい」。弁護士も検事も、「勝つ」ために戦略を練り、戦術を駆使し、少しでも有利な方向に行けるよう奔走する。なぜならそれが「仕事」だから。『あんな男の弁護をする必要はない』と言われても弁護するのはそれが「仕事だから」だ。

『弁護士も検事も裁判官も同じ舟に乗っている。司法と言う名の舟に』
という台詞があるが、その通りで、だからこそ敵対しているかのように見える弁護士と検事も膝を突き合わせて「今後の流れ(裁判の進むべき方向)」を裁判官も交えて話をするのだ。そこに違和感を覚えるようでは、ちょっとドラマの見過ぎとゆーか、「正義」に期待しすぎだ。

人を殺して30年服役した男(役所広司)が、雇い主である工場長を撲殺して死体を焼き、あっさりと自白する。「死刑以下」の判決をもぎ取ることが「勝利」である弁護士(福山雅治)がこだわるのが「強盗殺人」ではなく「殺人、窃盗」。この2つは同じように思えて全然違う。怨恨等の「動機」があって「殺人」、そして財布を取る「窃盗」であるなら、私利私欲のため(と判断される)「強盗殺人」より量刑は軽くなる(可能性がある)。
真実がどこにあるか、というのはどうでもいい。人は「信じたいと思う方を信じる」から。裁判員を、裁判官を、いかに納得させるか、心証をどう動かすか。裁判とは「そういうものだ」という揺るぎなさで生きてきたであろうエリート弁護士の仮面が、二転三転する供述に翻弄され、崩されてくさまが何ともおかしく、そして哀れだ。かつて自分があてた刃が見事に返され、己の立ち位置さえ見失い始める彼は、おそらく裁判ののち、以前のエリート弁護士には戻れない。

冒頭に書いたように、結末も判然としないとゆーか、すっきりはしない。ただ、観てていろいろ考えさせられるのは確かで、司法の在り方とか、ホントに本当の真実は誰のためにあるのか、そこにどれだけの意味があるのかとか、そゆことをね、あれこれ思うことになる。わかりやすくはないし、結論が出るモノでもないのだけど、まぁキライではないかな、こゆのは。(好きってわけではないのだけど)

事件そのものに関して、ちょっとツッコミたいとこもあって、そこ崩すとどこがどうなるんだ? とかマジで思ってしまった。夜の河川敷で死体を燃やすのだけど、あんな真っ暗の中でどうやって「工場まで戻って石油持って戻って来れたのか」とかさ。財布にガソリンの染みがついてたのだけど、てことは「石油まいたあとに財布抜いた」んだよね? となるとあとで『自分は殺していない』の説明(目撃者はおらず、自白のみ)と矛盾する。そこはどーなんだ。うーん。

正直、あたしにはその良さがわかんないんだけど、ハハはどーもフクヤマが好きらしい。あのカオがか? てことで『観たい』に付き合ったのだけど、ハハにとっては「あんまり…」だったよーだ。残念だぁねぇ。
帰宅してすぐどーぶつ病院。連休明けってことで結構混んでた上、とっくに診察終わってから『何度電話しても夜間救急に繋がってしまうので…』て理由でにゃんこ連れて来た人がいて、「だからそのための「夜間救急」だろーが!」と思ってムッとしてしまった。診察終わったからってそれは「終わり」ではなく、入院中のわんこにゃんこ診てるんだぞ。泣くくらいなら夜間救急行けよ! と思うんだけど、センセはちゃんと診てあげてた。えらい。でもホントにやめて欲しいと思う。朝から立ちっぱのセンセが10時過ぎてもまだ終わらない、帰れない、てことに対してどう思うんだ? カンゴシさんだって残業じゃん。こゆ人ばっかじゃないにしても、割り切れない気分になるわぁ。







( ̄ー ̄)



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by yukimaru156 | 2017-09-20 01:37 | 行った観た読んだ | Comments(0)
2013年のボストンマラソン、ゴール間際で起こったテロ爆発事件を生々しく記憶してる人も多いだろう。事件は異例ともいえる、わずか102時間で解決した。その顛末を描いた映画ではあるのだけど、何とゆーか…まぁ、違和感がないと言えばウソになるかな、てのが最初の感想。
犯人特定まで、"ホントかぁ~?"ではあるし、派手派手な銃撃戦とか、ホントにこれやったんなら悪いけどあんたらアホだよ、それじゃテロはなくなんないわ、とマジで思ったりした。みなさんのおかげでテロリストは蜂の巣になりました、よかったよかっためでたしパチパチ…が「解決」だと思ってるんなら、オツム単純すぎる。だからああいうダイトーリョが生まれるんだ、とか思ったりもして。

「テロに屈しない」「悪魔に対抗できる武器は唯一、愛だけだ」というフレーズに新味はないけど、否定するつもりはない。無差別テロリストに寄り添え、とも思わない。でも「さらなる力でやっつければいい」というのはどうなのかな、というのが正直な感想だし(だからどうすれば、というアイディアはないのがこのテロ問題の難しいところなのだけど)、それが決して少数意見ではないと思いたい。

事件についてあれこれ書く必要はないと思う。2013年の事件だから、もう4年前になるのか。爆破事件後、早々に「これはテロである」と断定し、そこから倉庫を丸々借り切ったどでかい捜査本部が設置され、その広さを感じられないほど大勢の人間が出入りして、多種多様な角度から事件解決へのアプローチを試みる。この間、わずか数十時間。
これを観る人の大半が思うのではないかと思う。自分の街でこんな事件が起きたら、警察はここまで迅速に動いてくれるんだろうか、と。あたしは思ったね。東京マラソンでこうならない、なんて保証はどこにもないのだ。でもこれが東京だったら、縦割り弊害とか、縄張り意識だとか、誰をトップに立てるのかとか、そんな、ハタから見たらどうでもいいような、それで解決が早まるわけではないだろが! とツッコミたくなる状況に陥る気がする。そゆ意味では彼ら(州警察とFBI、そしてラスト間際に登場したのはテロ専門家?)の連携は悪くなかった。

主人公は、殺人課の刑事で、ワケありでボストンマラソンのゴール際警備に当たっていたM・ウォールバーグ。好きな役者の1人だったんだけど、おっさんになったねぇ…てことはともかく。彼が迅速に救急配備し、道路の封鎖、人員の確保等々の指揮をとったおかげで混乱しかけた体制も整うのだけど、「実話」としながらこの彼が「映画のオリジナル」てどゆこと? これはあとで(さきほど映画検索して)わかったことなんだけど、そうやって「実話だけど捏造入り」な映画を作られると、例え感動したとしても何かが崩れてく気がするな。それにこの話自体、特定された「白い帽子の男」が犯人だったからよかったものの、違ってたらと思うと空恐ろしい。そしてその可能性は多分にあったのだ。だってあの大観衆の中で「逆方向を向いて」歩いた、てだけなんだよ? 容疑者の1人ではあるにせよ、「誰かを挙げなくては国民の不安、不満は収まらない」て空気、怖すぎるわ。

そーそ、東京でこれが起きたら、て話に戻るけど。
「テロに屈しない」は、まぁそうなると思うけど、外出禁止とか窓際に近づくなとか警官以外の人間が訪ねたら応対してはいけないとか、ああいう戒厳令はまず無理だろうな。むしろ興味本位でうろつく奴がいっぱい出て来そうな気がする。そんで警官の手間がさらに増えて、混乱が増すんだよ、きっと。東京って、震災なんかも含めて「痛い目」に遭ったことがないからねぇ。ホントの警戒も恐怖も知らないよね。もちろんあたしもだけど。

早番シゴトのあと、ウチん中を片付けてるうちに時間になり、さっと観に行ってきたのだけど、すぐ近所なのに何かくたびれた…何でだろなぁ。イイとは思えなかった映画についてあーだこーだ書くってのも疲れるってことかもな。








( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-09-15 00:38 | 行った観た読んだ | Comments(0)
ウソのよーなホントの話、だ。それってどのくらいの確率? とか思ってしまう。
大好きな兄に引っついて一緒に出稼ぎに来たものの、駅で待つように言われたのに気づくと深夜。周囲に誰もおらず、寝ぼけまなこで乗り込んだ列車は大陸を3日かけて横断する列車で、着いた先は人だらけの上、言葉が通じない。(インドではあってもヒンドゥー語ではないのだ) 自分がどこから来たのかも言えない彼、サルーは当然のようにホームレスとなり、やがて施設に入所する。劣悪な環境ではあるけど、そこで知り合った養子縁組の仲介をしている女性の口利きでオーストラリアの夫婦の元へ行くことになり、晴れて彼らの息子となる。貧困層にいる少年少女たちの中で、突然(何の特技や特徴があったわけではなく、本当に「運」として)、これほどの幸福を得られる子供がどれほどいるだろうか。温かい食事と立派な家、親切な養親との何不自由ない生活。

だがサルーは、貧しくはあったけれど、決して「不幸」ではなかったのだ。やさしい母と兄、かわいい幼い妹。自分は「捨てられた子供」でも「親や親類を失った子供」でもないという事実が、青年となったあとで、彼を苦しめることになる。生みの親を探すことは、育ての親を裏切ることになるのではないかという苦悶。だがいまだ自分を探しているかもしれない母親や兄のことを考えると、せめて自分は無事だと伝えたい…。

そう思うに至ったのは、学生となった彼が招かれたホームパーティで、インド料理を振る舞われてから。一度食べてみたいと願ってた「揚げ菓子」がそこにあったのだ。思い起こされる数々の記憶。オーストラリアからインドへは飛行機で行けるが、果たして自分の故郷がどこにあるのか、幼いころの記憶だけでははっきりしない。(迷子なったとき、地名を言っても『そんな町はない』と言われてしまったのだ) 簡単に探せるものではない、と諦めようとしたところへ友人が言う。
『グーグルアースで探してみればいいんじゃないか?』
当時の列車の速度を調べ、発見された駅から逆算して範囲を絞る。駅から給水塔が見えたのなら、そこでまた絞ることができる…一度は諦めたものの、どうしてもその言葉が離れないサルーは、やがて学業もおろそかになるほど「実家探し」にのめり込んでいく。

何度か泣かされる場面はあるのだけど、何と言っても秀逸なのがN・キッドマン演じる、サルーの養親だ。彼女が遠く離れた異国の地の子供をなぜ引き取ろうとしたのか、その理由が明らかになったとき、驚きと共に、その「懐の深さ」を思い知らされた。
おそらく、大抵の人が「養子縁組」と聞いてイメージするのは、何らかの理由があって子供ができない、あるいはいない、といったことだろう。でも彼女らは違うのだ。あぁ、こういう理由で養子縁組をする人もいるのだ、その上それがどんな子であっても、どれほど大変な生活となっても「受け入れる覚悟」をこんなにもしっかりと持ってるのだ…実はあたしが一番感動したのは、25年ぶりに生みの親と再会できたということより、この養親のような人たちがいる、ということだった。

敢えて「肌の色の違う子供」と養子縁組をする人たちがいる、という記事を昔読んだことがある。明らかに見た目が違う方が「説明が省ける」とか、子供にもわかるとか、確かそんな理由だったと思う。でもきっと、この養親たちのような人もまた、大勢いるのだろうなぁ。
しかし何だ、グーグルアースってすごいと思ったけど、同時に怖いとも思ったのはあたしだけじゃないだろうな。その良し悪しについて語れるほどの言葉を持ってないのだけど、観終わってふと、先ごろ観た『スノーデン』を思い出してしまった。「情報」をどう使うかは、結局「人」次第だよねぇ。

今日、金曜の午前中は、マジかと思うほど忙しなく、またちょっとやばかった…ポカもやったし(フォローもしてもらえた)、久々に『落ち着け自分、落ち着け自分』と唱えてしまった。アレやりながらソレやってそのあとコレして…と思う中でばんばん電話が鳴り、するとその内容にまた振り回されることになり…て感じで。
終わって、行きたかった映画も行けて、ほっとして力が抜けた。明日からまたやること山盛りだけど、とりあえずは爆睡だー!








(≧◇≦)
 

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by yukimaru156 | 2017-09-02 02:20 | 行った観た読んだ | Comments(0)
読了したのは2週間近くも前なのに、そー言えばこの本について書いてなかった、と思いだした。日本豆本協会会長さんの本である。懇意にしていただいているのに、過日の「豆本の宇宙展」で雑誌に掲載されてる田中さんの対談を読んでて、そこで初めて本を出してたことを知った。04年初版なので、かれこれ13年も前のことになる。(1年で4刷。すごい)

本、古本が好きで好きで好きで…てだけでなく、「本にまつわるモノすべて」が好き、なことがよく伝わってくる。ヒマさえあれば古本屋を巡り、蔵書印が作りたいがために篆刻習ったり、書皮(書店がつけてくれるブックカバー。あたしは会う度にプレゼントして感謝されてる)蒐集が高じて同士を集めたり、書店員勤めながら校正の学校へ行ったり(いまは校正の仕事をされてる)、そして自ら立ち上げた「豆本協会」の会長でもある。子供のころからこれだけ「好きなモノに一直線」に進んで来たら、それはそれは充実した、中身の濃い~ジンセイだと言えるのだろうなぁ、とふと思ったりした。

本書は、かつての同僚で、古本屋の主人となった彼と出会って結婚後、「セドリ」として全国各地の古本屋を巡ったその軌跡が書かれてる。(セドリというのは、「他店の本を自分の店で売るために買う行為」のことで、自分の店でつけようと考える売値より安い価格の古書があれば買い、自分の店で売る。その差額が儲けになるのだ)
すごく簡単そーだけど、古書についての知識、市場価格、在庫の有無、修復可能かどうかから何から、頭に入ってなければならないことが山盛りあるわけだから、ハンパなことでは勤まらない…と思う。そのあたり、さらりと書かれてるからまた逆にすごいと思ってしまうのだけど。
セドリとして、と言うより「子連れセドリ」としての苦労話でもある。セドリしてるだけで大変なのに、その上子連れときたらさらに大変だ。菓子を与えて黙らせておいてもすぐ食べ終わるとか、『わかった、もういなくならない』と言いながら手を振り払ってどこかへ消えるとか、笑えるけど当人としては「妊婦のころの方がどれだけマシだったか…」とぼやくのもわかる。にしても、ベビー用品しこたま持参の上、100冊以上の本まで持って遠方へ出かけてくそのパワー、本人を知ってるだけに(155cmのあたしよか小さい人なのだ)、なお驚く。「好き」の持つ力の凄まじさよ!

セドリしつつ、ちゃっかり(?)、自分の目当ての本も見つけてうはうはする気持ちはすごくわかるのだけど、そのコアなラインナップには嘆息するしかない。タイトル書かれてても、全然わかんないんだもん、その「凄さ」が。でもそゆとこも含めて楽しめたのも確か。
いまはセドリはしてなくて、とゆーのもご主人が経営してた古本屋がなくなってしまったからなのだけど、これはすごく残念。読み始めたころから"今度この古本屋の場所を訊いてぜひ訪ねよう!"と思ってたからだ。うむむ。でもこれだけ好きなんだから、またどこかで始めてくれるんではないかなぁ。ベビーカーで『またほんやぁ~?!』とグズってた子も、いまでは大学生だそーだしね。いまなら好きなだけ本を…てわけにもいかないか。いい話をめっきり聞かなくなった業界だし。

今日は早番で、暑すぎるせいでわんこにゃんこの来院も少なく、それでもシゴトはそれなりにあるのだけど、すんなり帰ることが出来た。
週末がまた千葉なので、週明けに荷物を発送するためにはやること山盛りで「もっと焦っていい」はずなのに何だ、このいい加減さは! いや、制作その他、してはいるんだよ? それが遅々として進まないのに、焦るキモチもあるはずなのに、進行がめったくそ遅い…やっぱね、この暑さがいけないんだと思うの。動き鈍くなって当たり前じゃん? 最高気温が何℃なのか知らないんだけど、もー朝からどんだけ水分補給してんだか! てくらい水(氷水道水だ、あたしの場合。もしくは熱いお茶か熱い珈琲)飲んでるのに、飲んだ先から乾いてるし。塩飴も良くない気がするね、あれ舐めると絶対水分欲しくなるよ。それがフツーなの? 塩飴ってあんまり舐めないから知らないんだけど。







(^▽^;)

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by yukimaru156 | 2017-08-25 00:24 | 行った観た読んだ | Comments(0)

  乱  1985年 日本

毛利元就の「三本の矢」を下敷きに、シェイクスピアの「リア王」を戦国絵巻として描いた作品、て程度の認識で、そーいや未見だったなと思い立って近所の映画館へ行った。ここの年会費の支払い期限も迫ってたしね。(更新すると招待券が3枚ももらえる。この券で観ることができた)
デジタルリマスター版ができたのは2015年だそーで、もしかして混んだりするのかな? と先に(早番シゴトのあとに)整理券をもらっておいたら番号札は2番。しかも入場開始時刻に間に合わなかったのに余裕で座れたという…整理券をもらいに走ったイミはなかったみたいだ。

なるほど「リア王」で、しかも全編ほぼ、主役の仲代達矢の独壇場。32年前の映画なので鬼籍に入った役者さんも多く、また存命ではあるけど「若い! わかんなかった!」と思う役者さんも多いのだけど、彼らをもっとよく観たいと思うのに観られず…当時、「大抜擢」などと称されたピーターは良かったし(キレイなだけでなく、もともと日舞とかもしてた人だからね、所作も美しかった)、長男の寺尾聡(全然わかんなかった!)の嫁である原田美枝子も中盤にちょっと意表を突いてくれて良かった。
が。「映画」としてはどーなのかなぁ~? て気もしなくもない。確かに豪華だし(業火も含め)、圧巻だし、ロケも衣装(ワダミエさすが)も合戦もお金かけてんなー、なんだけど、先に書いたように「主役の独壇場」なんだよねぇ。いや、彼はもちろん素晴らしいよ、いまや日本を代表する俳優と言っても過言ではないし、何度か舞台も観に行ってるしね。

ただ、たぶん監督が彼と自分を重ねすぎてるんじゃないかと思う。(実際、自分を投影してると言ってたみたいだ) 三兄弟、それぞれの重鎮、従者、かつては舅に家族を殺された嫁、それぞれの思惑や真意や善意、欺瞞や疑心暗鬼が交錯する中で連鎖してしまう「悲劇」。それが1人にスポットを当てすぎたために、映画としてのバランスを欠いてしまってる…そんな気がしてしまうのだ。
兄弟の確執はほとんど触れないまま合戦となってしまうようなもんだし(唐突にさえ思える)、舅を恨む嫁、恨むのをやめた嫁の心情も何つーか「後付け」っぽい。(ぽく見えるだけだけどさ)

楽しみにしてたシーンがある。燃え落ちる城から秀虎が出て来るシーン。炎の中から1人出て来るとあって、スタッフも監督も(彼に何かあっては大変と)ピリピリしながら待ってるのに、GOサインを出してもなかなか出てこない。何かあったのか、撮影を続行すべきか否か、監督が半泣き状態で『出て来てくれ!』と叫んだ、と言われてる。(のちに仲代は『舞台俳優は足元さえ確かであれば動ける。まだ大丈夫だと思った』と語ってる) そのシーンがどれほど迫力あるのかと期待してしまってたので、え、て感じだったのだ。思うに、カメラ位置や角度、あるいは「撮り方」が良くなかったんじゃないかな。炎上する城と中から出て来る秀虎の両方を捉えようとしたがために却って迫力が欠けてしまった気がする。

それと残念だったのが「血糊」ね。赤ペンキにしか見えない、てのは美術スタッフが悪い。(以前、そゆことをちらりとしてたので「これは美術スタッフの責任」とか思ってしまうクセがあるよーだ) 惜しいなぁ。昨今の映画はもっと上手だけどね、32年前ではまだだったか。も少しリアルな「血」であったなら、印象もまた違ったのに(なんてゆーのはあたしだけか)

帰宅して、夕飯はあさりパスタ。もらったパスタが何か茶そばみたいで(実際、色も茶なのでそばに近いのかも)、やつぱフツーのがイイよなー、とか思ってしまった。
それで、千葉べったくから持ち帰った、私物ダン箱を処分すべく、開ける。中に何が入ってたかとゆーと…長くなるので明日以降にね。







( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-08-19 01:04 | 行った観た読んだ | Comments(0)
シリーズ3作目なのだそーだけど、前2作、あたしは未見だ。にもかかわらずなぜこれを観に行くことになってしまったのかはとりあえず置いといて。(たいした理由ではない。見てなくてもわかりそーだ、てのも理由の1つ) 
怪盗グルーてのが改心して悪党を辞めた、てのが2作目だったよーで、そっから「反悪党同盟」(何て単純な名前だ! しかもわかりやすい!)の諜報員(?)になり、今度は悪党を追っかける側になったのがこの3作目。このグルーについての知識が皆無だったので、終わってから友人にあれこれと説明してもらった。ムスメが3人もいる? それで再婚? と思いながら観てたら、どうやら孤児を引き取った、てことで、やはり諜報員の奥さんとは初婚なのね。

バナナの化身だか何だかよくわかんないあの「黄色いわらわら」、ミニオンたちはこれに納得いかない様子。彼らの言い分としては「悪党の子分」であって「諜報員のお手伝い」ではない(らしい)。いやぁ~、キャラクターとしては認知度高い彼らだけど、知らなかったよ、

  彼らがピングーしゃべり(=しゃべるけどちゃんとした言語ではない)とはね!

みんなしてわらわらとじゃれ合ってるんだか何してんだか、意思疎通が取れてるんだか取れてないんだかわかんないんだけど、とりあえず「見限って出てく」ことは共通したみたいで、グルーの家から出て行って、その後の話…は伏線みたいなもんで、主役はあくまでもグルー。(だからこのタイトルは「ミニオン人気」にあやかってミニオン好きのガキどもを取り込もうとするオトナの小賢しさの象徴) グルーが一度、もうちょっとのところで取り逃がした悪党と、彼が盗み出した世界一のダイヤを奪還するための攻防がメインのお話。

とにかくスピーディによく動くんだけど(早すぎて目が追いつかない場面も多数)、二転三転しても、やっぱりお子さま向けなんだなー、て感じ。それよか隣に座ったガキのバタバタとうるさいことと言ったら! びしっと言ってやるべきだった、とあとで激しく後悔した…その隣の母親の方が何も言わないんだもん。正面に陣取った中坊たちはラインしてたみたいだし。(それは気づかなくて友人があとで『目障りだった』と怒ってた)

出かけるとき、0円で出したものの最後まで残ってた鉢植え5つと、湯飲みやマグカップなどをいくつか、昨日2度往復した「くるくるひろば」に持参した。渋谷に出るときはこの駅を利用するのでね。昨日置いてったでかい扇風機(父がリハビリのときに使ってたので型は古いけどまだまだ使える)は、『今日のうちに誰かが持って行くと思います』と言われてたのにまだ店内にあって、見ると「備品」の紙が貼ってあったので笑ってしまった。暑いからねぇ。『お役立ていただき何より』と言ったら改めて礼を言われた。

ここにきて8月の予定がばたばたと決まりだし、どーぶつ病院のシゴトの兼ね合いもあってちょっとやばそーな予感…なるよーにしかならん、とハラくくるしかない。
とりあえず明日は「片付け」は置いといて自分の仕事しなくては。








( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-07-30 01:20 | 行った観た読んだ | Comments(0)
小栗旬の「マンガ実写化映画」を観るのは、これで何本目だろーか…いっちゃん最初はドラマの「コナン」だったと思うけど、これは悪くなかった(よーに思う)。『岳』とか『ハーロック』とか観てここに感想書いた記憶あるけど、あとは何か観たかな…思い出せん。彼がやたらとこの「マンガ原作実写化」に主演するのをやめてくれ、と言う人も多いけど、それを言うなら「そもそも実写化をやめろ」だよなー、と『亜人』や『ジョジョの奇妙な冒険』なんかの予告を観ながら思ったりした。

あたしは長年の「銀魂」ファンであるけど(CDとストラップ以外のグッズは持ってないし興味もない上、漫画は未読だけど)、そゆこと置いといて「どのあたりで楽しませてくれるのか」あたりに興味を持って観た。(タダ券があったからで、なかったら観てないと思う)
原作にあるのかどーか知らないけど、話はアニメでファン投票1位だった「カブトムシ編」(あたしはこれはちとおかしいと思う。内容ではなく、話数がまださほどいってないときのアンケート結果だからだ)に、「紅桜編」を強引に織り込んだモノ。強引といえば、そもそも「紅桜編」に真選組はあまり絡まないので、真選組フアンのためにねじ込んできた感アリアリ。

それなりに達者な役者揃えてるので、そゆとこは安心して観られる。佐藤二郎とかムロツヨシとか、彼らの絶妙なハマりっぷりはそれだけで嬉しいし、銀さんとの掛け合いも楽しい。誰がダメだ、て話じゃあないのだよね。んじゃ何が、とゆーと「なぜ紅桜編か」て気がした、あたしは。そもそもこれはすでにアニメの劇場版でやってるのだ。アニメでやった長編の1つを劇場版にして(違いはあまりわからん)、それと同じ話を実写でやる、てのが意味不明。何で知ってる話をまた観なきゃいけないんだ?! 『ハーロック』ばりに変えろたー言わないけど、300話は超えてる話ン中でこれを選ぶ理由がわからん。

そのチープな作り具合がイイ感じにハマってた『勇者ヨシヒコ』の監督だから、チープさやいい加減さ、そしてアニメ(しか知らないので原作との比較はできん、すまん)がおちょくる数々のマンガパロの部分はクスクス笑える。それがラストまで続かないことで目くじらを立ててる人もいるみたいだけど、それも『銀魂』の持ち味のひとつだからねぇ。ゆるく笑わせる部分と、「攘夷志士」だったかつての彼らの過去を絡めた、ちょいと神妙な気分になる部分がある、というのは。

チープとは言えない作りに仕上がってたそれぞれの見せ場としてのアクションは、CGも使って役者もがんばって悪くなかった。けど! アクション好きのあたしとしては気に入らない部分も多数。この「多数」てのは、あまりにもアニメ「銀魂」のアクションに沿ったモノだったからだ。剣でやり合いながらシャツを掴んでぐるん、とか、足踏むとか、刀の上に立つとか、そこはオリジナルアクションで魅せてくれよ! と思ってしまった。カメラアングルとかもね、そーじゃなくてさ、とかいろいろあったりして。あたし的にはそこんとこが一番のNGだった。実写でアニメの「紅桜」なぞって何がしたかったんだろう? どーせなら「吉原炎上編」とか「歌舞伎町四天王編」とかして欲しいわ。お登勢は夏木マリあたりでさ。

帰りに「まんだらけ」に寄って、グッズあれこれを売ってきた。半分はお金になんなかったんだけど、意外なモノが売れたりもして、ほほぅ、だった。にしても…外人さんの多いことよ。知ってたんだけどね、とんとご無沙汰してたので実際に見たことはなかったんよ。英語でない言語もだいぶ飛び交ってたし、"そんなに目ぇキラキラさせて棚を見ないでくれ、恥ずかしいではないか…"とか思ったりして。まぁ、「クールジャパン」が評価されることは純粋に嬉しいんだけどさ。






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by yukimaru156 | 2017-07-27 00:35 | 行った観た読んだ | Comments(0)
監督がこの映画のために出資者を募ったこと、それが口コミで広がって4000万円もの金額が集まったこと、最初は上映館も少なかったのにじわじわと増えていき、評判が評判を呼んでかなりの好成績となったことなど、映画にまつわる話はよく聞いた。それでも取り立てて「観たい」と思うほどではなかったのだけど、何か観ることになった。

戦争が暗い影を落とす中でも、人々の「日常」は続く。日常を破壊するのは戦争だけど、その戦争も始まってしまえばまた、「日常」になる。非日常とは突発的な事態を指すわけで、常態となってしまえばそれも日常、なのだ。

絵が好きという以外、特に何かがあるわけではない、むしろ「いつもぼーっとしてる」ような、驚き方ですらちょっとぼんやりした印象の少女、すず。海苔製造の家業を手伝いながら、厳しい兄、楽しい妹たちと過ごしてた彼女は、18のとき、請われて呉へと嫁ぐことになる。(当時としてはさして早くはなく、また珍しくもないことだ) 嫁いだ先でも、むしろそれまで以上に戦争の影は色濃くなってくのだけど、日に日に少なくなってく配給や、不足する物資をうまく工夫しながら、苦を苦と思わずに過ごす彼女らの「日常」が丁寧に描かれていて好感が持てる。
すずの旦那(周作)が若いのに戦争に取られていないのは何でかなぁ~? とか思うのだけど、軍関係の仕事してたから、みたいだ。ともかく彼のやさしさが全編にわたる救いともなるのだけど、ぼんやりすずは気づかない。本当の「夫婦」となるのは、すずが立派になった同級生と再会したあと、だ。すずよ、キミはとてもいい男のとこへ嫁いだんだぞ、やっとわかったか、て感じ。周作、その葛藤と苦渋の決断、語られずともぐっときたぞ、あたしは。

否応なしに「戦争」を突き付けられる事件のあと、すずは変わる。どうしようもないことではあるけど、その「どうしようもなさ」を受け入れるまでの格闘と、見守る以外に術のない家族。やがて戦争は終わり、「戦争のない日常」が戻る。以前のそれとは形を変えて、ではあるけれど。戦争が終わっても、しばらくは「あらゆるものが不足している」状態が続く。癒しきれない傷を抱えた多くの人たちが、それでも懸命に生きようとするのは戦中も戦後も変わらない。

戦争を、市井の人々の暮らしから見つめ、語られた映画は多い。中には、本作同様に声高に戦争の理不尽さを叫ぶことなく、淡々とした暮らしの中から切々と訴えかける名作もある。アニメだって例外ではない。それらに勝るとも劣らない名作の1つになったと思う。
ただ、これを子供たちが観たとして、どこまでわかったかな、というのはある。配給とか闇市とかだけでなく、官憲の横暴さとか遊郭とか、「???」なとこも多いんじゃないのかな。そして終戦を知ったすずの、号泣と慟哭。その涙と叫びの意味するところは、ただ単に「戦争に敗けた」だけではない。それまで、武器を持たずとも「戦って」きた者に対する「否定」なのだ。あたしら、戦争を知らない大人世代ですら、たぶんきちんとは理解できない。けれど、そうあることが実は一番望ましいことなのだと思う。戦争を体感としてではなく、リアルな想像をすることで戦争の醜悪さと理不尽さを知る。それが大事なのだ。すずのこの場面を入れたから名作になった気がする。

劇場を出たところで若いおとーさんがムスメに『わかった?』と尋ねて『よくわかんなかった』とか言ってた。どこがわかんなかったのかわからないけど、そこはちゃんと説明してあげてね、とか思ってしまった。説明できたかなぁ。
そーそ、あたしもひとつわかんないとこがあった。冒頭の、すずが絵を描いて説明するシーンは創作なのか、ホントにあったことなのか、だ。ここで出会ったのが周作、であるならホントのことなんだろうけど、ちょっと現実味が薄すぎる。

実はこの映画はハハは友人と行く予定してたのだ。それがNGになって、付き合おうか? と言ったらよろしくされたので朝イチ(10時)に間に合うよう出かけたのだけど、行ってみたら今日から時間帯が変更になって14時からだとゆーのでやれやれ…だった。終わったらどっかで美味しいもの食べよう、て話だったのにそれもおじゃん。ランチには早すぎるし、どこかで時間を潰すにも4時間は長い。整理券だけもらって帰宅することにしたけど、何か買って帰らないと昼ごはんないよ? てことで、普段は行かないスーパーへ。そしたらあさりが半額とゆー激安さで思わず『あさりパスタにしよう!』てことになった。
我ながら美味しく出来たよ、あさりパスタ。そんで映画観たあとはその足でシゴト。こっちは…くたびれた…土曜って何であんなに気忙しく混むかねぇ。それにどーしてシバってああやかましいんだろーか。怖がりが多いのかなぁ。爪切るだけなのに。







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by yukimaru156 | 2017-06-25 01:37 | 行った観た読んだ | Comments(0)
行くなら今日だなー、晴れてるし! てことで国立でやってる、ルチュの個展に行ってきた。(明大前にはらどーなつが出来ててちょっとびっくりした。今度何か買って帰ろう) 毎年、きっちりちゃんとここ(スペースユウ)で個展やってる、てことがすごいなーと思う。あたしもそうありたいと思ってて、2年に一度はやってたけど、15周年をやったきりだ…。て話はちょっと置いておいて。

彼女の作るガラスは形ではなく「色」重視、みたいなとこがある。基本、ドロップ型だし。(もちろんそーでないのもある) テーマカラーみたいなのをメインに据えるときもあるけど、今回はどちらかというといろんな色で遊んだ感じ、かな。透明感ある色彩が持ち味ではあるけど、意外に濃い目の、一見重く見える青や紫が透かすとまたイイ感じでよかった。珈琲豆を模したガラスもかあいくて素敵だったしね。これは初めて見たなー。

先客が帰られてからは、2人でしばしガラス談義…ではなく梅談義。先週、個展前で忙しいのを承知の上で『青梅いる?』とメールしたらば『欲しい』てことだったので送ったのだけど、『梅干しを漬けたいけどどうしようか、と迷ってたところへのメール』だったそーで、悪くないタイミングだったらしい。『午前中着で』という返信をもらたときはすでに発送してしまってたのだけど、運よく午前9時には着いたみたいだし。
『紫蘇を入れないで「白梅干し」にしようと思う』
と言ってて、へへー、そんなのあるんだー、知らなかったー、とあとでハハに言ったらば、むしろ知らなかったことを笑われてしまった。単にウチでは毎回必ず紫蘇を入れる、てだけの話らしい。
ジャムも喜んでもらえて(もっと持参できればよかったのだけどタッパーが無かった…)、代わりに(?)、英国紅茶をいただいてしまった。昨年訪英したのだそーだ。それも3週間(4週間?) いいなー。外国も久しく行ってないや。

そーそ、ガラスと関係ないけど、『こんな細いボールチェーンがあるんだね』と言ったらば、『それ、私が作ったんだよ』とゆー返事にはびっくりした。作れるってこと自体知らなくてさ。まぁ、アクセパーツでもチェーンでも作れるものなんだから、ボールチェーンだって「作れる」のだろうけど。でもすごいな、とか思ってしまった。

あまり長居はせず(でもちゃんと見たぞ)、行って帰ってくるまで2時間半。チャリ置き場で「だったら3時間無料の駐輪場へ停めるべきだった!」と悔やむ。自分でもこんなに早く帰ってこれるとは思ってなかったからねぇ。
帰宅して早々に豆本に着手。「さぼてんくん」はひとまず置いておいて(コピーに行かねばならんので)、紐付きしおりに付ける諺豆本の方。こちらはすでにコピーしてあるので、まずはカット、それから製本、なんだけど、細かすぎるので(何せ1cm×1.5cm)、他の本のように「全部カットしたあと、全部折って、それから1冊ごとに製本」の段階が踏めない。いや、踏めないってこともないんだけどさ、ちょっとの風でも飛んでしまうので、全部折ってからなんてことしてると飛ばされたときに集めてページ確認するのがメンドいのよ。なので1冊ごとにカット、折り、製本。シゴト行くまでの時間に出来たのは5冊…やれやれふぅ。在庫がゼロに等しいので、20…いや30は欲しいとこなんだけどねぇ。

6時半過ぎの時点で待合室のわんこにゃんこがいなくなり、これは今日は早くあがれるかも~と思ってたら、7時の閉院間際に駆け込みが3組、4組…レントゲンだ血液検査だワクチン証明書だ何だとバタバタしてたら8時過ぎた。で、さーて一気に片付けを! とか思ってたらいきなりドアが開いて『まだいいですか?!』と来客。センセが『すでに診察は終わってるので「夜間診療」になりますが』とゆーと『かまいません!』
『いま! すぐそこで! 知らない犬に噛まれて!』
と連れてきたのはもこもこのわんこ。散歩の途中、歩道の向う側を歩いてたわんこがいきなり飼い主とリードを振り切って駆け寄り、噛みついてきたらしい。ぱっと見たところケガをしてる様子はなく、奥さんの興奮をよそに当のわんこは尻尾ふりふりで「???」な顔してた。

診察しても外傷はなく、「噛まれてすぐなら唾液もついてるはずだがその様子もない」てことと、奥さんもびっくりしてすぐわんこを引き寄せたから『実際に噛まれたかどうかはわからない』てことだったので『大丈夫でしょう』ということになった。(ホントにケガしてたら大変だけどね、わんこもあちらの飼い主も) 
『(噛みついてきたわんこは)飼い主さんいわく「犬嫌いの犬」らしくて、誰彼かまわずすぐ噛みつくそうで…』
犬嫌いの犬ねぇ…そんなわんこがいるのか。まぁ、「人間嫌いの人間」もいるからね、不思議ではないのかもだけど。でも「体当たり」だけで済んだみたいだからよかった。急患(?)のおかげで帰宅も遅くなったけど、「稼げたってことでヨシ」としよう。

友人からのメールで『三回忌が終わってほっとしたでしょう』とあった。『私はそうだった、やっと落ち着いたよ』とあったけど、自分ではよくわからないな。それよか梅31キロを始末できたことの方がよっぽどほっとしたよ。出費もかさんだけどさ。








(^_^;)

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by yukimaru156 | 2017-06-20 01:45 | 行った観た読んだ | Comments(0)

  エリック・カール展

横浜在住のSTちゃんが『エリック・カール展に行かないか、チケットがある。土曜日だと100円で缶バッチが作れるワークショップがある』と言うので、缶バッチはどーでもいいけど、カール展には行きたいかな、つかわざわざ横浜から出て来るんだ! とか思ってオツキアイすることにした。(その後、急遽、姪のHRがウチに来て梅の実採りをすることになった。一緒できなくて残念)

駅で待ち合わせ、バスじゃなくて歩く方がイイよ、遊歩道は気持ちイイよ、と誘っててくてく。あたしのお気に入りでもあった、世田谷美術館へ行く遊歩道脇のちょっとした噴水や小川の流れる側溝は、ただのタイル道になってた。昔は子供たちがきゃいきゃいとここで水遊びしてたけどねぇ。いまは流さないのかな。
STちゃんが『嬉しい、楽しい』を連発しながら世田美に着。結構混んではいたけど、見づらいほどではなく、子供たちのはしゃぎ声も耳障りではなく、楽しみながらエリック・カールの絵を観ることができた。

彼の絵は、薄い紙にアクリル絵の具を刷毛で色塗りしたあと、ハサミやカッターで切ってコラージュにする手法。アンリ・マティスやレオ・レオニらとも親交があり、彼らに影響を受けたと思われる作品や捧げたオマージュも展示されていた。
最も有名な絵本は『はらぺこあおむし』だと思うけど、あたしがこれを読んだのは成人してから。でもそれではない絵本をいくつか知ってたので、そちらに対しての懐かしさが強かった。『はらぺこ』はねぇ…でも子供たちは「知らない子はいない」感じで喰いついてるね。グッズもいっぱいだし。

チラシちぎり絵と手法は異なるとは言え、「絵描きの絵」よりは近しいものがあるのも事実で、そこんとこはちょびっとフクザツかな。比べるのもおこがましーのは充分承知の上でだけど。(レオ・レオニに対しても同様かもしれない。彼の作品も読んだのは成人してからで、とゆーより「ちぎり屋」始めたころ『似てますね』と言われて本屋に走って知ったのだった)
こういう絵本が作りたいか、と自問すると、ちょっと違うな~、とも思うのだけど、何がどう違って、ではどんな、と訊かれるとよくわからない。ただ、彼の「確かなデッサン力」あってこそのこの絵だと思うので、ちぎり屋もかれこれ20年になろうとしてるけど、相変わらず「拡がり」はないなー、振り幅せまいよな、とは思う。何が足りないかなぁ。

ワークショップは1時からで、15分前に行ったらもーだいぶ並んでた。100円じゃあ、みんな並ぶよな。それでも意外にもスムーズに作業につけて、STちゃんは缶バッチ、あたしは絵本の方を選んだ。何をどうさせようとしてるのかよくわからなかったのだけど(ボランティアスタッフのおばさまたち、がんばってたけど説明わかりづらすぎ)、よーは「エリック手法で描かれた色塗り済みの紙」で、好きなように切って缶バッチに加工してもらうか、絵本台紙にこの切り絵で絵を入れ、登場人物を描いて(何でも可だったので「くりのすけ」にした)をマグネット加工してもらい、絵本の中で自由に移動できる仕様に仕上げる、というモノ。(この説明でわかってもらえるかしらん)
とても単純な図柄にしたつもりだけど、缶バッチの方が早く、そっちにすればよかったと後悔した。エリック風「くりのすけ」缶バッチだったら見せびらかすことも出来たのに。

終わって、地下のカフェに入ったのは2時過ぎだったのだけど、人いっぱいな上、ランチメニューはすべて完売。諦めて外に出、『売店で何か買って芝生で食べよう、こゆこともあるかと思ってレジャーシートを持ってきた』と提案すると、STちゃんは大喜び。で、売店に行ったはいいけど、こちらも並んでる上、メニューが豊富すぎて激しく滞ってた。たこ焼き、やきそば、串焼き、ホットドック、けんちん汁、カレー、牛丼、唐揚げ等々に加えて、各種ドリンク、ソフトクリーム、カキ氷にビール、だもんね。しばし待たされるのも道理。とは言え、『駅まで行ってどこかの店に入るよりずっとイイ』とご満悦のSTちゃんと、芝生にレジャーシートを拡げてナンドックを頬張るのは気持ちよかった。暑すぎないいい天気で(たぶん、午前中はもっと暑かった)、風も心地よくてね。これで「帰ったら速攻で仕度してシゴト」でなければ、もっとのんびりくつろげたのに。

帰宅は4時過ぎ。姪のHRは7時からバレエの練習で帰らなくてはならないので双方ともバタバタした。ちょっとしか会えなくてホントに残念。来週の父の三回忌には出られないと知ってもっと残念だった。でも梅採りは楽しめたようで何より。今年の収穫は31キロ!! だってさ。明日は「ちぎちぎ」の予定だったけど、この31キロをどーにかしないといけないよなー。どーぶつ病院の仕事もくたびれたし(9時過ぎには帰れたけど)、ゆっくりしたいけどちょっと無理だわね。






(*_*)
エリック・カール展 ~7/2(日) 世田谷美術館 Wショップは毎週土曜のみ1時から


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by yukimaru156 | 2017-06-11 01:22 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


by yukimaru156