カテゴリ:行った観た読んだ( 463 )

イギリスで最も権威ある児童文学賞であるカーネギー賞を受賞したシヴォーン・ダウトは、3作の作品を残して逝去し、遺作として4作目が出版されたあと、遺された構想ノートを元にパトリック・ネスが濃密な作品に仕上げたのが本書。そしてこの本もまた、カーネギー賞を受賞している。

深夜0時7分、その「怪物」は不意に現れた。そして孤独な少年コナーに告げる。
『いまから3つの話を語って聞かせる。4つめはお前が話せ。お前自身の、真実の話を』
聞けば、何か恐ろしいことが始まってしまう予感に怯え、拒絶するが、怪物は容赦はしない。一晩に1つの、怪談とも寓話ともつかない、「真実」であるらしい昔の話。怪物の話も、彼がやって来る理由も、そして『私を呼んだのはお前だ』という怪物の言葉にもコナーは混乱する。

コナーは、古い教会と墓地とイチイの大木の見える、粗末な家に重症な母親と2人で暮らしている。父は異国で別の家族と暮らして音信も途絶えがち、不当すぎるほど厳格な祖母とは折り合えず、学校ではいじめられ、教師からは何の期待もできない日々。「母の病気は必ず良くなる」ことだけを支えに、諦めと失意をどうにか飲み込む彼には、怪物ですら真の恐怖の対象とはなりえない。本当に怖いのは、夜ごと訪れる悪夢。自分の悲鳴で目を覚ますような、全身の血を凍らせるようなその夢は、まだ誰にも話したことがない。
『第4の物語を聞くときが来た』
厳かに響く怪物の声。拒むコナーは、ならばずっと悪夢の中に漂うことになると告げられる。そしてようやく、彼は語り出す。夜ごとの残酷な悪夢を。そしてその結末を。

ダークファンタジーと括るしかないのかもしれないが、そうとも言えないし、これを「児童書」として位置付けるのもどうなのかと思うが、子供には難しい話というわけでもない。結末まで読んで、そして深い感慨と共に「癒し」とは、「救済」とは何かと思う。「誰にも責められない苦痛」を癒すことができるのは誰の、何だろう? 答えは書かれてはいない。ただ、この幸福とは言えない結末に彼は救われるのだ、という予感と共に終わる。その静かな余韻は心地よく、怪物が現れた理由も、語られた逸話も、そして残酷な悪夢が意味するものもすべてが
腑に落ちる。
『真実を話せばいいのだ』
恐ろしかった怪物の声音が変わるとき、灰暗色だった世界がほのかに明るくなる。それがこの作品の価値をぐっとあげてる。原案のS・ダウトの、そしてこれを書いたP・ネスの著作を読みたくなった。

ジム・ケイの挿絵もまた素晴らしいのだけど、少々多過ぎて(本文にも容赦なく入ってくるのでちょっと鬱陶しい)、読みづらかったのが残念。文庫の表紙は(大ヒットしたらしい)映画のチラシで、そうではない方が欲しかったなーと思ってたら、これは表紙ではなくて「文庫とほぼ同じ高さの帯」であることにあとで気づいた。めくるとジム・ケイの黒い絵。いいなぁ、これ。この禍々しいような、それでいて柔らかいような雰囲気の黒、素敵だわ。読後に見るとまた味が違うんだよねぇ。

余談だけど、これは昨日の北鎌倉の往復の車中で読んだ。帰りの電車の、最寄り駅に着いたところで残り1ページ。キモチ削がれること甚だしく、でもこの1ページを「改札抜けてチャリで帰宅してから読む」という選択肢はなく、喫茶店に入るにはあまりにも少なすぎ、結果、人混みの中、ホームで立ち読みという(ベンチは遠かった)、ちょっと何だかな~、な読み方をしてしまった。帰宅して落ち着いてから、ラスト5ページほどを再読したけどね。







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by yukimaru156 | 2017-11-21 01:41 | 行った観た読んだ | Comments(0)
不意に思い立った…わけではないのだが、26日までの木、金、土日のどこかで行こうと思ってた北鎌倉まで行ってきた。紅葉とか寺とかではなくて、豆本関連のイベントでお世話になってる(そしてこの付き合いがかれこれ10年近いことに唖然とした)MIW@さんと、銀(?)細工で豆本やレリーフを作られてる姉妹ユニットの凱留狗工房さんとの2人展(3人展?)。

北鎌倉まで順調に行ければ1時間半てところなのだけど、たっぷり2時間かかった…とゆーのも、北鎌倉の駅に着いてDMを忘れたことに気づいたからだ! 何とゆーマヌケ! 幸いハハが在宅してくれてたので、机上のDMを読み上げてもらい、たぶんこっちの方…と思って歩き出し(鎌倉街道を鎌倉に向かって歩く、と言われても、街道はわかったけど左右のどちらが「鎌倉」へ行くのかわからん)、このあたりっぽいんだけどな~、と最後の手段としてギャラリーに電話してみた。『いまどちらにいらっしゃるかわかりますか~?』と明るい女性の声がしたので、通りを挟んだ目の前の店の名を言うと『ベンチに座ってます?』『は、はい』『右後ろを振り返ってみてください』。振り返った。小窓から電話を手にして笑ってる女性が手を振ってた。何てこった!! このときのあたしは、紅葉より赤かったに違いない…うぅ、はずかしー。

そんなわけで無事ギャラリーに辿り着き、MIW@さんと凱留狗り妹さんの方(あたしが夏の豆本展で知り合ったのはお姉さんの方)と会えた。そして作品を拝見。ギャラリーだけどカフェでもある…のかな? そこのとこを尋ねるのを失念してしまったけど。
豆本、ピサンキ(卵の殻に着色…と呼ぶと安易すぎるゲイジツ品)、万華鏡、そして透かし絵…「覗いて触って遊べる展示」がコンセプトだけに、どれも触って楽しむことができる。ヤラレたのは(豆本とはカンケイないのだけど)「肉眼を超えた世界」。いやもー何つーか…印刷された賀状切手の中に「あけましておめでとう」の文字が隠れてるなんてね! お札ならわかるけど、これやることにどんだけ意味が…? とか思ってしまったりもしたよ。

展示もさることながら、MIW@さんとのおしゃべりも楽しかったー。M・ゾーヴァの話が出来る人に会えて嬉しい! あの絵の中のファンタジーとエスプリはもう群を抜いてるとゆーか、誰にも真似できないとゆーか、"ああいう絵が描けた(ちぎれた)らなーっ!"て思うんだよねぇ。あぁ、書きながら画集を開きたくなってしまったわ。一時期よく展覧会してたけど、最近とんと聞かないなぁ、もうやんないのかなぁ。てゆーか、まだ存命だよね? ちょっと不安になってきた…。

と、ここまで書いて一度「下書き保存」して、それからまたつらつらーっと書いて、往復の電車で読了した、パトリック・ネスの『怪物はささやく』について書いてて、ラスト1行で不意に消えた…何でだ!!! すごくうまく解説できてたと思うのに、みんな飛んじゃったよ! ちきしゃう! 明日、改めて書くわ。もーこれについては(今夜は)書ける気がしないので。

長居してしまったギャラリー「おくら北鎌倉」を辞したあと、雑貨屋さんなどを2つ3つ冷やかして、ハハの好物であるみそ煎餅と「鎌倉の塩」なるモノを土産に買い、ほくほく気分で帰路についた。鎌倉まで来て、紅葉も寺も見ないってのもどーかと思うけどね、そっちは人いっぱいで行く気になれんかったのよ。
にしても、東横-井の頭間の、まぁ遠いこと! ハラが立つほど迂回させられて、いつ完成すんのか知らないけど、横浜を遠いと思うのはこいつのせいだ! とマジで思うね。駅周辺が完成したところでこの遠さは変わらないであろうこともハラが立つ。これから銀座線も遠くなるみたいだし、井の頭が伸びる以外に気分よく横浜方面に行ける気がしないわ。

 MIW@&凱留狗工房二人展 ~11/26(日) 11時~17時(月、火、水休廊)
 飛び入りOKの豆本ワークショップあり http://yuu2017.jugem.jp/
 おくら北鎌倉 0467-50-0583






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by yukimaru156 | 2017-11-20 01:49 | 行った観た読んだ | Comments(0)
爆発的ヒットとはならなかったものの、いまだにコアなファンを多く持ち、クリエーターたちに多大な影響を与えた前作『ブレードランナー』から35年(!!!)、その続編が本作。いやはや…ホントにやるとは思ってなかった、てのが1つと、ハンパなもん作ったらファンたちが黙ってないだろから作る方も必死だよな、てのとで期待と不安が交錯する中、1人で出かけた。かくいうあたしも前作のファンなのだ。どのくらい好きかってーと、とてもコアファンを名乗るほどではないにしても、「同じ映画を何度も観ることはほとんどない」あたしが、これだけは最低でも6、7回は観てるし、ベストムービーの不動の1位なのだ。前作の公開後、「ディレクターズカット」とか「完全版」を始めとして何本か作られた(という言い方でイイのかちと疑問だけど)のも全部観てる。なのでまぁ、「頼むから前作より劣るにしてもがっかりはさせないでくれよ」て感じだった。

そしてそれは裏切られなかった。「続編として完璧」という称賛の声も多々あり、おそらくは(また)爆発的ヒットには至ってないけれども、1つの映画として、続編として、いい出来だったと思う。2時間45分とやや長いけどね。

人に労役される存在としての人造人間「レプリカント」、そして彼らの犯罪を取り締まる側にいる捜査官「ブレードランナー」。彼らの闘いを描く…と書くとその響きのチープさに我ながら呆れてしまうな。確かにそうなんだけど、テーマはもっと奥深く、いろんな琴線に触れてくる。
圧倒的な映像美と(当時はまだCGではなく「特殊効果」だった。それでもそのクォリティーの高さと言ったら!)、おそらくは初めて描かれたと言っても過言ではないと思われる「退廃的な(現在の延長線上にある)未来」はそのまま踏襲して、かつ、物語は続編としての要素も充分に備えつつ進む。もし前作を未見のまま観ようとしてるなら、まずは前作を観ることからお薦めする。損はさせない。

正直な話、あたしは今作の主演のライアン・ゴズリンが好きではない。無駄な部分がないとは言えない気もするし、前作の謎は謎のままだったりする。(ここがコアファンの喧々諤々なところ) それでも「良かった」と言えるのは、前作に対する愛とオマージュに溢れつつもしっかりと世界を創りあげてるからだ。
30年前(ということになってる)の事件のあと、レプリカントの製造は一時中断され、そして人に従順で危害を与えることのない新型レプリカントが登場する。ブレードランナーたちが追うのは、旧型。すでに新型は社会に馴染み、最早人との区別はつきがたい。劇中も誰がレプリカントで誰が違うのか判別はできず、また敢えて語られてはいない。子を成すことができないはずのレプリカントから生まれた子供を世間から隠したい(消したい)警察と、使役させるためにその謎を解明したい製造会社と、レプリカント独立の柱としたいゲリラたち。三つ巴の渦中に翻弄されるブレードランナーが、ライアン演じるKだ。レプリカントとしての自分を充分に認識し、行動しながらも、そこには深い悲哀が漂う。彼が愛するのはただ1人、ホログラム+AIという、量産型(?)の恋人だけ。にしても彼女の何と「人間的」なことか! 比べる「人間」がいないのが残念だけど。

前作について語り出すとキリがないのだけど、本作もキリがなくなりそーだ。ラストシーンの美しさと切なさは、あとからじわじわくる。「謎」の方もまたじわじわくるけどね。あれ、あそこって何だったんだろう? とか、あの人はあそこで何を? とか、そういう類。35年前に主役を務めたハリソン・フォードがチョイ役ではなしに出てくれたのは何とも嬉しい。じーさん体型になりつつもアクションまで披露してくれてさ。彼がブレードランナーを演じたのは「スターウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」の間の、一番脂が乗ってるときだったんだけど、まさかまたデッカードを演じるとは思ってなかっただろーね。でもいま、このタイミングで(前作の数年後とかではなく)やってくれて良かった。

帰宅してすぐ、「ブレードランナー」のサントラを探し出し、PCで聴きながら予告編の特別映像や、今作の前日譚となる短編を堪能した。(こちらも合わせて観ることをお薦めする) 
観る価値は充分にあった。
あ、最後にもひとつ。ハリソンが飼ってた大型わんこ、もふもふしたーい! やっぱ飼うならああいう大型犬だよなー。孤独な男に寄りそう犬はでかくないとね。








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by yukimaru156 | 2017-11-09 00:39 | 行った観た読んだ | Comments(0)
人は、自分が暮らしてる星に対しても、自分自身が属するヒト科に対しても、こんなにも「知らない」ものなのか! と驚嘆してしまう。それに尽きる本だ。と同時に、よくこれを書いたな! てのと、誕生日に「普段買わない類の本を買う」ことを課して、本書を買った自分を褒めたい。これほど多分野にわたってあらゆることを語りつくし、かつ、「いかに自分(たち)が何も知らないか」を教えてくれる本はないと思う。
何からどう書けばこの本のおもしろさを伝えることができるのか途方に暮れるのだけど、まずは訳者あとがきから抜粋させてもらう。

旅行記作家である著者は、何を思ったか突然、科学の世界への探検旅行を試みた。選んだ乗り物は「好奇心」。「宇宙はいつ、どうやってできたのか(できる前はどうなっていたのか)」「地球の重さはどれくらいか(だいたいどうやって測るのか)」「原子は何でできているのか(それに、どのくらい小さいものなのか)」「細胞や遺伝子の中では何が起こっているのか(そもそも何かが起こるとはどういうことなのか)」などという深遠にして根源的な大疑問の数々を引っさげて、一線級の大学者や在野の研究者、好事家の門を叩き、世界各地の博物館や史跡を訪ね、さらには膨大な量の本や資料を読み漁った。対象分野は、天文学、物理学、化学、生物学、地学、数学、医学、力学、地理学、文化人類学、博物学、分子遺伝学等、多岐にわたる。(中略) そしてその旅の成果を同じ門外漢であるわれわれ読者の前に惜しげもなく披露してくれたのだ。

もうここに謎はない、という分野は、たぶん存在しないのだろうと思う。「ひとつの疑問が解けると同時に、それはさらに大きな疑問を呼んでしまう」とは、どこの章に書かれた言葉だったか。でも上に挙げたあらゆる分野でそう言えるのだ。凡人にはわからずとも、それを研究してる人ならわかってるんだろうな、と漠然と考えてたことをきっぱり否定された感じ。あ~、あたしたちって、自分が本当に何者かすらわかってなかったんだなー、と。(哲学の話ではないですよ)

難しく堅苦しい本ではない。むしろ、ページをめくるごとに「へー、そーなんだー、誰かに教えてやりたいな」と思うムズケズ感が続く。
生物(微生物)の誕生を右手中指の先端としよう。そして両手をまっすぐ水平にしたあと、左手中指の先端が現在とすると、ヒト科の歴史は『やすりを2回かければ終わる』程度の長さでしかない。(種としての歴史はとても短い) 地球を取り巻く空気の層は、『地球儀を2回ニス塗りした程度』だ。巨大な隕石が地球に向かってるとしても、その前兆は何もない。『熱を帯びるまでは肉眼では見えないし、そうなるのは大気圏に突入してからで、そうなったらぶつかるまで1秒もない』からだ。これだけ科学が発達して、天文台がいくつもあっても、「わからない」のだ。

マクロの世界もミクロの世界も本当に「途方もない」。知れば知るほどそれがわかるというか。けれど、人は貪欲に「知ろう」と努力してきた。「世紀の新発見」は、常にと言っていいくらい、最初は見過ごされた。
『まずは無視、それから批判、否定、嘲笑。その過程を経てやっと「新発見」になる』
のだそうだ。無名のまま、あるいは他の者に横取りされて、失意のうちに舞台から去った学者、研究者は多い。本書で取り上げられなかったら、後世にも伝わってなかったのではないかと思われるような出来事もふんだんに書かれてる。化石についても火山についても、恐竜についても、天体についても、そして人についても。

いかにも人間的なエピソードも多いし、そこがまたおもしろい。13歳の現地人と駆け落ちしてしまったために研究が続行できなかったとか、いがみ合ってた考古学者2人が競い合ったために膨大な成果があがったとか、博物学に興味を示した甥に『世界中から好きなだけおもしろいものを集めて来い』と言ってまず博物館を建てた男とか。ニュートンもアインシュタインも登場するけど、彼らに劣らない異彩を放つ人々の何と多いことか。それだけでも読む価値がある気がする。ちらりとでも興味持たれた方、ぜひ。
あ、余談ですが、昨日は本書タイトルを間違えました、ごめんなさいね。

今日はバザー用のダン箱を2つ作った。それと、封筒作って手紙書いて、シゴト行っておしまい。も少し何つーか、「実りある」1日を過ごしたいもんだわ。








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by yukimaru156 | 2017-11-07 01:56 | 行った観た読んだ | Comments(0)
ゆかさんとは、実はこーこーの同級生である。卒業後、何となく音信不通になってて、再会したのはかれこれ15、6年前。ぱったり会ってびっくり、お互い「作家」してて(作家として会ったので)さらにびっくり、みたいな。そっからまた交流が始まって、互いの個展を訪ねたりしてた次第。
そーいえば最近、その類のお知らせがないなー、と思ってたら、今回のDMに「11年ぶりの個展」とあったので、これはぜひ行かねば! と思ってたのだ。

ギャラリーは、夏に豆本展をやった、京橋の「メゾンドネコ」。オーナーと会うのも夏以来で、3人でちょいとおしゃべりしてたら、ゆかさんの友人たちがいらして、その中の1人が顔見知りだった。まぁ、作家仲間では「よくあること」なんだけどね。ゆかさんはあたしたちが知り合いとは知らなかったので、明大前のギャラリーオークで知り合ったのが最初だ、と言ったらば、彼女(動物イラストのひろみサン)が『でも私はその前から知ってる』
『え、そうなの?』
『昔、高円寺のハート・トゥ・アートで実演してたじゃない。うわっ、ちぎってるこの人! と思ってずっと印象に残ってて』
そ、そーだったのか…知らなかった…やはり世間は狭いわ。

ちなみにあたしとゆかさんはどういう知り合い? と訊かれたので、『高校のとき漫研だったのだ』とゆーと、ゆかさんが『ぎゃあー』と叫び、『それは言わないで!!』 いや、黒歴史と呼ぶほどのモノではないと思うのだけど。(ちなみにあたしは漫研ではなく、漫研に友人が多かったので入り浸ってた、たまに描かせてもらった、て感じ) 
ま、ね、彼女のふんわりファンタジー色の強い水墨画(圧倒的に猫が多い)を好む人たちにはあまり知られたくないかもだけど。
『でもさ、私たちの年代って、マンガに関わらずに生きてきた子の方が少ないとゆーか、絵が好きだったらマンガ描くのも当然みたいな感じだったよね』とひろみサン。うんうん、そーだよね。いわゆる「薄い本」作ってたわけではないし、みんなでわいわいするだけの、かあいいもんだったよね。

ゆかさんの絵のモチーフは猫が多いのだけど(そしてそういう依頼も多い)、やっぱりあたしは竜とかの方が好きだなぁ。以前、でっかいのを描いて展示してたことがあってね、それがすごく印象に残ってるのだ。彼女自身もキライではないと思うのだけど。でも(以前は紙や皿に描いてた絵を)、和紙に墨で描くようになってより幻想的になってきた気がするな。イラストではなく絵になった、みたいな。

今日が最終日とあって、次々にゆかさんの友人や知り合いの方が来たので、ひろみサンとギャラリーを辞した。あたしはこのあとシゴトだったのだけど、彼女が『すぐ近くのギャラリーで木製の魚がいっぱい飾ってあったのでちょっと観て行く』とゆーのでお付き合い。工房木魚さんの展示会で、木製とは思えないほどの素晴らしい光沢をたたえた魚たちが壁面いっぱいに飾ってあった。作家さんの奥さまがいろいろと教えてくださり、話を聞いてるだけで楽しかった。美しい木目の入った木(槐から何からいろいろ)を手に入れるために奥深い山ン中に行くとか(ご夫婦は山口在住)、作家さんであるご主人はかつては海洋生物の生態調査をしていたのだそうで、だからどんな魚でも実に緻密で正確。これはオスよりメスの方が尾ひれが短いとか、なまずの顔はこうなのだとか。木目の出方(出し方)がまたとてもキレイなので、水面のきらめきがそのまま映ってるように見えるんだよね。

ちっさい魚たちもいて、マンボウも惹かれたけど、ハコフグもまた愛らしくてよかった。山口の方ではフグは「フク」と呼ぶのだそうで、それは同時に「福」でもあり、縁起物として飾っておくのだとか。
にしても木の切り出しから選択(使える木目は全体の3%程度だとか)、そして削りの手間暇を思うと、この値段(1~4、5万程度)は安いなぁ。安いと思うけど買えなくてごめんなさい、だけど。

帰宅してすぐどーぶつ病院。何で?! と思うよな激しい混み具合の上、出血が止まらないわんこの世話もあって、なかなかしんどいものがあった…昨日は8時半には帰宅したのに、今日はあやうく日付けが変わるところだったんよ? ちょっと飼い主にモノ申したいとこもあったのだけど、それはまた別の話になるのでいずれ。

  木のさかな 高松和弘作品展 ギャラリーモーツァルト 03-6228-6848
  ~10/29(日) 11時~19時(最終日17時)








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by yukimaru156 | 2017-10-25 01:48 | 行った観た読んだ | Comments(0)
殺しても死なない人間、亜人。最初の亜人が見つかったのは26年前のアフリカ。以降、何体か確認され、いまでは…何人とあったかな。数十人程度。て冒頭の解説から始まり、マンガ、アニメとは別の、研修医という設定の永井圭の人体実験のシーンとなる。たまたま交通事故に遭い、「轢かれたのに死ななかった、生き返った」てことで「亜人」と認定され、政府の管理下のもと、非道な人体実験で(これでもかってくらい何度も)殺されてるのだ。そこへ現れるのが同じ亜人である「佐藤さん」と「田中さん」。(2人ともいかにも偽名なんだけど、ホントに佐藤と田中だったら笑える)

ここからの、佐藤さん(綾野剛)のアクションが素晴らしい。アクション好きのあたしにとってはわくわくだ。で、見事永井の救出劇となるのだけど、10巻以上(?)続くマンガや2シーズンたっぷりやったアニメのままやるわけにはいかないのでいろいろと端折ってはいる。(高校生だった永井が研修医になったのも含めて) この端折り方、悪くないと思う。むしろすっきりしたというか、わかりやすくなったんじゃないかな。

マンガではどうだか知らないけど、アニメを観ててわからなかったところ(つまり亜人とは何なのか、とか)は、映画でもわからないまま。もしかしたらマンガでもそこにはまだ触れられていないのかもしれない。
ま、それはともかくとして。
亜人には「死なない」てことの他にもうひとつ特徴がある。IBMと呼ばれる(映画ではこの名称は使ってなかった)、黒い霧のような巨人が体内から放出でき、かつ、それらを動かすことができるのだ。もっとも、操れるのか、というとどうもそうではないような、意思に反するわけではないけど思うように出せるものでもないらしい。ここんとこもアニメ同様謎のままだ。

永井が体験したような壮絶な拷問ともいうべき人体実験を、それ以上の過酷さで味わってきた佐藤と田中は、人間に対する復讐心でいっぱいで、国家戦略としてそれを容認してきた政府や関係者らへの憎悪はあっても、無関係な人は巻き込みたくない、なるなら穏やかに過ごしたいと考える永井とは決裂。そして対決することになる。「死なない人間」vs「死なない人間」となるわけで、それって終わりはあるのか? とか思うとこでもある。いや、終わるけどね、いちおー。

映画「るろうに剣心」のスタッフが再集結し、「いままで誰も見たことのないアクションをやろう」という意気込みで挑んだ本作。確かに素晴らしいし、佐藤vs警察の特務機関SATの見応えは充分。神経針打たれたら即座に自分の腕を切り落とすとか(すぐ再生する)、窮地に陥ったら自分の頭ふっ飛ばして「リセット」して反撃するとか、息もつかせないアクションの連続でSATたちが次々と倒れてくのは爽快ですらある。佐藤は元軍人という設定なので(映画では触れられてなかったけど)、キレキレのアクションも説得力がある。よくぞここまで鍛えてくれました、綾野剛。キミのマッパには思わずニヤけてヨダレが出てしまったぞ。

ただ、それでねぇ~、ラストは亜人対亜人、佐藤と永井の対決となるわけだけど、2人の果てしない闘い、かとゆーとちょっと違うんだな。前述のIBM(永井はユウレイ、政府側にいる亜人の女の子は黒ちゃんとか呼んでる)がいるから、アクション+CG合成、となるわけよ。となると、あたしが見たいと思うアクションとはちょっと違ってくる。それが惜しい。
惜しいと思うとこは他にもいくつかあって、いちいち書かないけど、それぞれの人物をもう少し掘り下げて描いてもよかったんじゃないかなーと思う。それを描くことによってせっかくの勢いが削がれる場合もあるけどね、ちょっとしたシーンや台詞で厚みができる場合もあるからね。

マンガでは佐藤はもーちょい年配とゆーか、一緒した友人と以前「やるなら小日向文世」とか言ってたんだけど(堺雅人もかな?)、綾野はがんばって似せてた。小日向があのキレキレのアクションやってくれてたら惚れてたと思うけどね。

夕方帰宅して、それからせっせと制作と値札付け。貼り替えなくてはいけないのもあったのだけど、マステ使用を義務づけられてた豆本のマステを剥がしたらべたべたで参った。あってよかった、シール剥がし。
そんでいま、納品書を書き終え、それぞれのパッキングも済み、あとは一筆書いて梱包するだけ。明日、早番なんだけど、やっちまう方がいいかなぁ。午後は雨とゆーしな。








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by yukimaru156 | 2017-10-12 00:50 | 行った観た読んだ | Comments(0)
さて、魔の水曜日、である。頼むから消えたりしないでおくれ! 早番前日の「ブログ消失」が一番こたえるのだよ、ホントに。内容はどってことないことでもさ。

海野十三の『蠅男』を読了したのは昨日なのだけど、昨日はまぁいろいろあったのと、作品解説や巻末エッセイとかまでは読めなかったのでね。
いやはや…戦前にこれだけのSFを書いてた、てだけですごいなと感心してしまう。当時は「SF」という括りはまだなくて、探偵も出ることから「異色探偵小説」と呼ばれていたそうだ。でも彼の作品のタイトルだけ見てもそれが「空想科学」であり、当時の少年たちが目を輝かせて夢中になってた様が見える気がする。
『火星兵団』『浮かぶ飛行島』『殺人光線』『太平洋魔城』『海底大陸』『人造人間殺害事件』…乱歩より数年後輩とは言え、早大理工科から通信技師となった彼の足跡からも、その知識の深さが同時代の作家たちと異なることがわかるな。テレビ、原子力、宇宙探検、そして腎臓移植。まだ一般には知られていない題材が次々と彼の筆にかかり、それらがやがて、筒井康隆、小松左京、眉村卓らを生むのだ。

ある大阪の大富豪のもとに殺害予告が届く。差出人は「蠅男」。厳重な警備をかいくぐって殺人は遂行され、探偵・帆村壮六がこの難事件に挑む。と書くと「密室殺人、探偵もの」と判断されそうだけど、この蠅男の存在はもうホントにSF。人間の、必要最低限のパーツだけを残し、あるものは移植して(身体も小さくして)、その分、脳の働きを最大限にする…なんてことがSFでなくて何かね? て感じだけど、かつてのSFが「そうでなくなったもの」について考えると、一笑に付すこともできないかもしれない。

物語としてはツッコミどころもあり、回収されない伏線もあり、手放しで褒めることはできないのだけど、それでもなかなかおもしろくて、ほとんど一気読みに近かった。講談調の文章もまた、古くて新鮮? みたいな。「何たる無念!」とか「恐るべし蠅男の奇略!」とかね。紙芝居的な「煽り方」だよね。わからない言い回しなんかもあって、あとで検索かけたりもしたよ。
『そう思ってくれると知ったら蠅男が灘の生(き)一本贈ってくれるよ』
『ぼくは甘党なんですがね』
「灘の生一本」てね、兵庫の上等な清酒なんだって。だから甘党を理由に断るのもわかるね。当時の子たちには当たり前の慣用句だったのかもな。そーそ、「東京弁で怒鳴り散らす」なんてのもあって、さすがにいまはこうは書かないな、と思うとちょっとおかしかった。

海野の出身地、徳島にある彼の文学碑には、作品からの抜粋としてこんな言葉が刻まれているそうだ。

「全人類は科学の恩恵に浴しつつも、同時にまた、科学恐怖の夢に脅かされている。恩恵と迫害の二つの面を持つ科学、神と悪魔の反対面を備える科学に、我々は取りつかれている。かくの如き時代に、科学小説がなくていいであろうか」

日米開戦の11か月前、軽井沢に別荘が建つほどの金額を投じて防空壕を作らせたり(最大14人が生活でき、換気扇等も完備してたそうだ。まだあるのかな…? 自宅は世田谷の若林だったそうだけど)、ラバウル方面に従軍してた際、暗夜なのに米軍から正確に狙われ、それがレーダー(電波探知機)なるものによると知ったとき敗戦を意識したとか、単なる空想科学を夢想するのではなく、先見の明がある人だったのだと思う。機会があったら別の作品も読みたいかな。乱歩も読みたくなってきてしまったな。

カレンダー語録があと1つ! までになったんだけど(でも「もともとだめもと」の絵も決まらない!)、頭が廻らないのと、何か手を動かしていたいのと、今回のDMはハガキと一緒に戸越神社の豆本市の案内も送るので封筒が足りない、てことでカレンダーの日付け部分を裏にしてせっせと封筒作り。こういうの、なーんでか飽きないんだよねぇ。







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by yukimaru156 | 2017-09-28 00:42 | 行った観た読んだ | Comments(0)
「正義は勝つ」というのは正しいと同時に間違ってもいる。なぜなら「正義が勝つ」のではなく「勝った人が正義」だからだ。あるいはこうも言える。「正義と悪の闘いというのはない。あるのは、自分が正義だと思っている者同士の闘いだ」。
とまぁ、どっかで聞いたようなこと書かせてもらったけど、この作品は単なる法廷モノとはちょっと一線を画す…とゆーか、これが「法廷」なんだけど、「正義が勝ってすっきり」ではない。(だから「すっきり」したい人にはオススメではない) 弁護士が「闘う」のは悪ではなく、また正義のためでも、もっと乱暴な言い方すると真実のためでもない。「本当は、真実はどうだったのか」は、裁判では「どうでもいい」。弁護士も検事も、「勝つ」ために戦略を練り、戦術を駆使し、少しでも有利な方向に行けるよう奔走する。なぜならそれが「仕事」だから。『あんな男の弁護をする必要はない』と言われても弁護するのはそれが「仕事だから」だ。

『弁護士も検事も裁判官も同じ舟に乗っている。司法と言う名の舟に』
という台詞があるが、その通りで、だからこそ敵対しているかのように見える弁護士と検事も膝を突き合わせて「今後の流れ(裁判の進むべき方向)」を裁判官も交えて話をするのだ。そこに違和感を覚えるようでは、ちょっとドラマの見過ぎとゆーか、「正義」に期待しすぎだ。

人を殺して30年服役した男(役所広司)が、雇い主である工場長を撲殺して死体を焼き、あっさりと自白する。「死刑以下」の判決をもぎ取ることが「勝利」である弁護士(福山雅治)がこだわるのが「強盗殺人」ではなく「殺人、窃盗」。この2つは同じように思えて全然違う。怨恨等の「動機」があって「殺人」、そして財布を取る「窃盗」であるなら、私利私欲のため(と判断される)「強盗殺人」より量刑は軽くなる(可能性がある)。
真実がどこにあるか、というのはどうでもいい。人は「信じたいと思う方を信じる」から。裁判員を、裁判官を、いかに納得させるか、心証をどう動かすか。裁判とは「そういうものだ」という揺るぎなさで生きてきたであろうエリート弁護士の仮面が、二転三転する供述に翻弄され、崩されてくさまが何ともおかしく、そして哀れだ。かつて自分があてた刃が見事に返され、己の立ち位置さえ見失い始める彼は、おそらく裁判ののち、以前のエリート弁護士には戻れない。

冒頭に書いたように、結末も判然としないとゆーか、すっきりはしない。ただ、観てていろいろ考えさせられるのは確かで、司法の在り方とか、ホントに本当の真実は誰のためにあるのか、そこにどれだけの意味があるのかとか、そゆことをね、あれこれ思うことになる。わかりやすくはないし、結論が出るモノでもないのだけど、まぁキライではないかな、こゆのは。(好きってわけではないのだけど)

事件そのものに関して、ちょっとツッコミたいとこもあって、そこ崩すとどこがどうなるんだ? とかマジで思ってしまった。夜の河川敷で死体を燃やすのだけど、あんな真っ暗の中でどうやって「工場まで戻って石油持って戻って来れたのか」とかさ。財布にガソリンの染みがついてたのだけど、てことは「石油まいたあとに財布抜いた」んだよね? となるとあとで『自分は殺していない』の説明(目撃者はおらず、自白のみ)と矛盾する。そこはどーなんだ。うーん。

正直、あたしにはその良さがわかんないんだけど、ハハはどーもフクヤマが好きらしい。あのカオがか? てことで『観たい』に付き合ったのだけど、ハハにとっては「あんまり…」だったよーだ。残念だぁねぇ。
帰宅してすぐどーぶつ病院。連休明けってことで結構混んでた上、とっくに診察終わってから『何度電話しても夜間救急に繋がってしまうので…』て理由でにゃんこ連れて来た人がいて、「だからそのための「夜間救急」だろーが!」と思ってムッとしてしまった。診察終わったからってそれは「終わり」ではなく、入院中のわんこにゃんこ診てるんだぞ。泣くくらいなら夜間救急行けよ! と思うんだけど、センセはちゃんと診てあげてた。えらい。でもホントにやめて欲しいと思う。朝から立ちっぱのセンセが10時過ぎてもまだ終わらない、帰れない、てことに対してどう思うんだ? カンゴシさんだって残業じゃん。こゆ人ばっかじゃないにしても、割り切れない気分になるわぁ。







( ̄ー ̄)



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by yukimaru156 | 2017-09-20 01:37 | 行った観た読んだ | Comments(0)
2013年のボストンマラソン、ゴール間際で起こったテロ爆発事件を生々しく記憶してる人も多いだろう。事件は異例ともいえる、わずか102時間で解決した。その顛末を描いた映画ではあるのだけど、何とゆーか…まぁ、違和感がないと言えばウソになるかな、てのが最初の感想。
犯人特定まで、"ホントかぁ~?"ではあるし、派手派手な銃撃戦とか、ホントにこれやったんなら悪いけどあんたらアホだよ、それじゃテロはなくなんないわ、とマジで思ったりした。みなさんのおかげでテロリストは蜂の巣になりました、よかったよかっためでたしパチパチ…が「解決」だと思ってるんなら、オツム単純すぎる。だからああいうダイトーリョが生まれるんだ、とか思ったりもして。

「テロに屈しない」「悪魔に対抗できる武器は唯一、愛だけだ」というフレーズに新味はないけど、否定するつもりはない。無差別テロリストに寄り添え、とも思わない。でも「さらなる力でやっつければいい」というのはどうなのかな、というのが正直な感想だし(だからどうすれば、というアイディアはないのがこのテロ問題の難しいところなのだけど)、それが決して少数意見ではないと思いたい。

事件についてあれこれ書く必要はないと思う。2013年の事件だから、もう4年前になるのか。爆破事件後、早々に「これはテロである」と断定し、そこから倉庫を丸々借り切ったどでかい捜査本部が設置され、その広さを感じられないほど大勢の人間が出入りして、多種多様な角度から事件解決へのアプローチを試みる。この間、わずか数十時間。
これを観る人の大半が思うのではないかと思う。自分の街でこんな事件が起きたら、警察はここまで迅速に動いてくれるんだろうか、と。あたしは思ったね。東京マラソンでこうならない、なんて保証はどこにもないのだ。でもこれが東京だったら、縦割り弊害とか、縄張り意識だとか、誰をトップに立てるのかとか、そんな、ハタから見たらどうでもいいような、それで解決が早まるわけではないだろが! とツッコミたくなる状況に陥る気がする。そゆ意味では彼ら(州警察とFBI、そしてラスト間際に登場したのはテロ専門家?)の連携は悪くなかった。

主人公は、殺人課の刑事で、ワケありでボストンマラソンのゴール際警備に当たっていたM・ウォールバーグ。好きな役者の1人だったんだけど、おっさんになったねぇ…てことはともかく。彼が迅速に救急配備し、道路の封鎖、人員の確保等々の指揮をとったおかげで混乱しかけた体制も整うのだけど、「実話」としながらこの彼が「映画のオリジナル」てどゆこと? これはあとで(さきほど映画検索して)わかったことなんだけど、そうやって「実話だけど捏造入り」な映画を作られると、例え感動したとしても何かが崩れてく気がするな。それにこの話自体、特定された「白い帽子の男」が犯人だったからよかったものの、違ってたらと思うと空恐ろしい。そしてその可能性は多分にあったのだ。だってあの大観衆の中で「逆方向を向いて」歩いた、てだけなんだよ? 容疑者の1人ではあるにせよ、「誰かを挙げなくては国民の不安、不満は収まらない」て空気、怖すぎるわ。

そーそ、東京でこれが起きたら、て話に戻るけど。
「テロに屈しない」は、まぁそうなると思うけど、外出禁止とか窓際に近づくなとか警官以外の人間が訪ねたら応対してはいけないとか、ああいう戒厳令はまず無理だろうな。むしろ興味本位でうろつく奴がいっぱい出て来そうな気がする。そんで警官の手間がさらに増えて、混乱が増すんだよ、きっと。東京って、震災なんかも含めて「痛い目」に遭ったことがないからねぇ。ホントの警戒も恐怖も知らないよね。もちろんあたしもだけど。

早番シゴトのあと、ウチん中を片付けてるうちに時間になり、さっと観に行ってきたのだけど、すぐ近所なのに何かくたびれた…何でだろなぁ。イイとは思えなかった映画についてあーだこーだ書くってのも疲れるってことかもな。








( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-09-15 00:38 | 行った観た読んだ | Comments(0)
ウソのよーなホントの話、だ。それってどのくらいの確率? とか思ってしまう。
大好きな兄に引っついて一緒に出稼ぎに来たものの、駅で待つように言われたのに気づくと深夜。周囲に誰もおらず、寝ぼけまなこで乗り込んだ列車は大陸を3日かけて横断する列車で、着いた先は人だらけの上、言葉が通じない。(インドではあってもヒンドゥー語ではないのだ) 自分がどこから来たのかも言えない彼、サルーは当然のようにホームレスとなり、やがて施設に入所する。劣悪な環境ではあるけど、そこで知り合った養子縁組の仲介をしている女性の口利きでオーストラリアの夫婦の元へ行くことになり、晴れて彼らの息子となる。貧困層にいる少年少女たちの中で、突然(何の特技や特徴があったわけではなく、本当に「運」として)、これほどの幸福を得られる子供がどれほどいるだろうか。温かい食事と立派な家、親切な養親との何不自由ない生活。

だがサルーは、貧しくはあったけれど、決して「不幸」ではなかったのだ。やさしい母と兄、かわいい幼い妹。自分は「捨てられた子供」でも「親や親類を失った子供」でもないという事実が、青年となったあとで、彼を苦しめることになる。生みの親を探すことは、育ての親を裏切ることになるのではないかという苦悶。だがいまだ自分を探しているかもしれない母親や兄のことを考えると、せめて自分は無事だと伝えたい…。

そう思うに至ったのは、学生となった彼が招かれたホームパーティで、インド料理を振る舞われてから。一度食べてみたいと願ってた「揚げ菓子」がそこにあったのだ。思い起こされる数々の記憶。オーストラリアからインドへは飛行機で行けるが、果たして自分の故郷がどこにあるのか、幼いころの記憶だけでははっきりしない。(迷子なったとき、地名を言っても『そんな町はない』と言われてしまったのだ) 簡単に探せるものではない、と諦めようとしたところへ友人が言う。
『グーグルアースで探してみればいいんじゃないか?』
当時の列車の速度を調べ、発見された駅から逆算して範囲を絞る。駅から給水塔が見えたのなら、そこでまた絞ることができる…一度は諦めたものの、どうしてもその言葉が離れないサルーは、やがて学業もおろそかになるほど「実家探し」にのめり込んでいく。

何度か泣かされる場面はあるのだけど、何と言っても秀逸なのがN・キッドマン演じる、サルーの養親だ。彼女が遠く離れた異国の地の子供をなぜ引き取ろうとしたのか、その理由が明らかになったとき、驚きと共に、その「懐の深さ」を思い知らされた。
おそらく、大抵の人が「養子縁組」と聞いてイメージするのは、何らかの理由があって子供ができない、あるいはいない、といったことだろう。でも彼女らは違うのだ。あぁ、こういう理由で養子縁組をする人もいるのだ、その上それがどんな子であっても、どれほど大変な生活となっても「受け入れる覚悟」をこんなにもしっかりと持ってるのだ…実はあたしが一番感動したのは、25年ぶりに生みの親と再会できたということより、この養親のような人たちがいる、ということだった。

敢えて「肌の色の違う子供」と養子縁組をする人たちがいる、という記事を昔読んだことがある。明らかに見た目が違う方が「説明が省ける」とか、子供にもわかるとか、確かそんな理由だったと思う。でもきっと、この養親たちのような人もまた、大勢いるのだろうなぁ。
しかし何だ、グーグルアースってすごいと思ったけど、同時に怖いとも思ったのはあたしだけじゃないだろうな。その良し悪しについて語れるほどの言葉を持ってないのだけど、観終わってふと、先ごろ観た『スノーデン』を思い出してしまった。「情報」をどう使うかは、結局「人」次第だよねぇ。

今日、金曜の午前中は、マジかと思うほど忙しなく、またちょっとやばかった…ポカもやったし(フォローもしてもらえた)、久々に『落ち着け自分、落ち着け自分』と唱えてしまった。アレやりながらソレやってそのあとコレして…と思う中でばんばん電話が鳴り、するとその内容にまた振り回されることになり…て感じで。
終わって、行きたかった映画も行けて、ほっとして力が抜けた。明日からまたやること山盛りだけど、とりあえずは爆睡だー!








(≧◇≦)
 

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by yukimaru156 | 2017-09-02 02:20 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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