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東西の壁が崩壊したベルリンで、日本の剣道の防具が発見されるところから物語は始まる。一式全てがきちんと揃った、防具として完璧なその防具の裏側には赤漆に黒の筆文字でこう記されている。
「贈 ヒトラー閣下 大日本連合青年団理事長 島崎龍一郎 皇紀二千五百九拾八年四月」
決してありえないことではない。第二次世界大戦で、日本はドイツと手を組んでいたのだから。この話は、この防具とともにあった、日本人青年の膨大な手記という形で進む。彼はドイツと日本人のハーフとして日本に生まれ、士官学校を卒業したのち、軍部に所属していたが「ドイツ語を話せる」ということからベルリンの武官事務所勤務になる。1938年、大日本連合の通訳として随行し、まさかの謁見が叶い、ヒトラーに『日本に、ドイツ人のようにドイツ語を話す日本人がいたとは』と驚愕させる冒頭からどきどきしっ放しだ。彼、香田とヒトラーがどう関わっていくのか…もちろん小説だが、「もしかしたら本当にこういうことがあったかも…」と思わせるのが小説の醍醐味でもあり、作家の腕の見せ所でもある。

日独双方に縁者を持つ香田は、青年将校としての顔を持つ一方、「ここは自分が憧れたドイツではなく、ナチスドイツだ」という想いを嫌が上でも増していく。ヒトラーは破竹の勢いで近隣諸国を攻め立て、同時に揺るぎない信奉者を集めて「ドイツこそが優良人種」と“洗脳”する。日本人もまた、ヒトラーこそが理想の指導者であり、欧米列強国と対等になるためにはドイツと手を組むしかないと考えるようになる。
香田だけが冷静なのではない。ドイツに生まれ、根を張り、職を得たユダヤ人たちを友としたドイツ人たちは大勢いて、彼らがある日突然いなくなるのを「理不尽だ」と感じていたのだ。ただ、それを口にするには、既にヒトラーの力は大きくなりすぎていた。
ヒトラーユーゲント(少年少女で編成された親衛隊)たちの行進を見て香田は思う。自分たちも幼年学校時代、軍人になるべく教育され、文武両道と心身を鍛えられたが、自分たちは偉いのだと驕りたかぶることはきつく戒められていた。それが彼らの尊大さはどうだ。街道を歩く人々は異質なものを見るような目で彼らを見、息を潜めてやりすごすではないか。軍人と民間人のこの距離感はおかしい、と。
彼の姿勢の正しさ、視線のまっすぐさ、心根の正しさは読んでいて清々しい。ページを追うごとにドイツが崩壊してナチスドイツが誕生するさまは痛々しいが、こういう日本男児がいた(かもしれない)と思えるだけでちょっと救われた気分になれる。

ヒトラーは突如現れた怪物ではない。第一次世界大戦後、疲弊したドイツに追い討ちをかける欧米の途方もない賠償金請求と、国そのものを無力化させようとする動き。行き詰る経済と高い失業率。閉塞感と市民のやり場のない怒り。それらが混然となった中から誕生するものは怪物でなくて何だろう?ヒトラーを生んだのはドイツだけの責任ではないし、今後、彼のような人間が生まれない保証もないのだ。いまの国際情勢は当時からどのくらい成長したといえるだろう?と思ってしまった。

本書には、背筋が凍りつくようなホロコースト(ユダヤ人虐殺)場面は出てこない。当時のドイツ人は「どこかへ強制移住させられている」と思っていたし、収容所の噂はあるにせよ、虐殺の実態を知ったのは終戦間際になってだろう。ただ、徹底的に破壊され、食料もままならず、行き場を失くした彼らにはいなくなったユダヤ人を考えるゆとりなどなかったはずだ。
香田の目を通して語られる、日独の戦況から市井の人々の生活までは“実際にそうだったのだろうな”と思えることばかりで、それだけでも読む価値があるように思う。
著者は、現役の精神科医でもある。(それでこれだけの本を書いてるってのはすごい!) もちろんペンネームだけど(ははきぎほうせい、と読む。あたしも購入するまで読めなかった)、先生やりながらよく書いたもんだ。香田はもちろん実在の人物ではないが、「ヒトラーの防具」は実在している。1945年ベルリン陥落時にフランス人将校によって参謀本部から持ち出されたそれは、コレクターの手を次々と廻ったあと、89年に日本に戻されたそうだ。

は~、いっぱい書いたな。歴史小説はいいものに当たると、知識や教養が深まった気がして気持ちいい。にしても、も少し簡潔にびしっと解説したいもんだ…。
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by yukimaru156 | 2007-05-31 02:24 | 行った観た読んだ | Comments(1)
国立の「naksi」 はアジアンテイストの雑貨屋兼カフェだ。以前は国立駅の北口にある「熱帯雨林」というお店だった。すっごい昔だけど一度訪れたことがあり、そこのカレーが評判で食べたこともある。と思う。ちょっと記憶が定かではないのだ。

ここで初開催といわれる「カード展」に出品させてもらっていて、あたしの大事なお客さまのひとりであるREさんが「自転車で行ける距離」と言うので連れて行ってもらった。途中、大学の池を観察に行ってもいいかと言うので全然まったく何の問題もないあたしは「にわか助手(でも何でもないのだが)」として同行し、緑豊かなキャンパス内にある小さな池を一緒に観察した。ヤゴがいて、それを小さな網で捕まえる。(傍から見たらきっと結構怪しい…) もうトンボになって抜け殻だけになったものもいくつかあり、その半透明な、けれどしっかり「トンボ」してる姿にちょっと感動してしまった。トンボは卵を池にではなく、池の上にまでかかっている木の葉に生みつけ、それが池に落下するようにするのだそーだ。初めて知った。さすが自然観察の先生だ。街中を一緒に歩いていても、勉強になることがとても多い。ありがとう、REセンセ。新緑、気持ちよかったですね。みなさん、池の淵に立つ木は大事にしましょー。葉陰が池に落ちるよう、刈りすぎないようにね。

で、naksiに到着。国立から歩くと15分ほどなのかな…ひとりではないのでちっとも気にならなかった。ターコイズブルーのドアがとても洒落ていて、素敵なお店だった。背の高い棚で仕切られた半分のスペースにカードが飾られ、その壁一面にカードが飾られている。親子共演がいくつもあって微笑ましい。美術学校の生徒さんらの作品も縦長カードに統一されていてイイ感じだった。友人らのカードを見てたら、参加されている作家さんが来て、あたしのメッセージカードを見てひとこと。
『ご職業はコピーライターなんですか?』
な、なんて嬉しい誤解なんだ!思わず否定するのをやめよーかと思ってしまったほどだ。否定したけど。(ちっ) それで『原画なのになぜこんなに安いのか』という、かつてはよく訊かれた質問を受ける。もちろん「買って使って欲しいから」なんだけど、額に入った絵ではなくこっちを飾ってくれてる人も多くて(額に入ったのは高いからだ)、その差は何だとゆーと、「sayuki 1/1(いちぶんのいち)」の有無でしかない。作りはカードより凝るけど。それでイイと思ってるのだけど、ホントかなぁ~、と揺らぎ始めてる気もする。「手紙人口」って減ってるしな。

お店もオーナーも素敵で、隣がカフェになってるもんだからつい話し込んでしまった。火曜と金曜のみ、府中のパン屋の美味しいパンがあるそうで、いつもあっという間に売り切れるパンが少し残っていて(何てラッキー!)、美味しくいただく。天然酵母のパンだけど、固すぎず柔らかすぎず、もちもちっとした食感がよかった。

ところで今日のサプライズはこのブログ。連日20件前後のアクセスがあって、週に一度30件近くあるのが微妙におかしかったのだけど、本日は一気に増えて55件のアクセス!雪丸人気急遽沸騰?!とびっくりしたのだけど、もしかしたら昨日、固有名詞を書いたせいかも、とふと思い当たる…ヘンなこと書いてないよな…と不安になって読み返した。大丈夫…よね?いい俳優サンだし。でももしかしたらホントに雪丸ブログ人気…とか何とか、都合のいい解釈を3%くらいは抱いておこう。
深夜、黒澤明の『野良犬』を観てしまってまたまたこんな時間…やれやれ。
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by yukimaru156 | 2007-05-30 02:09 | 行った観た読んだ | Comments(0)

『甘い人生』

05年 韓国
「韓流」という言葉が巷に溢れ出した頃に来た映画で、タイトルとは全く逆の、「ちっとも甘くない人生」だ。イ・ビョンホン主演てことで騙された!と思った人も多いのだろーと思う。あたしはおおよその内容は知ってたので「そりゃ甘くないだろな」と思って、だから観たいと思っていた。
表向きは一流ホテルの支配人の片腕だが、ウラの顔は暗黒街のボスと、腕利きのナンバー2。スーツをびしっとキメた「武闘派」で、涼しい顔してめっちゃ早い飛び蹴りをまっすぐ決めるあたりにココロ揺さぶられ、頬緩みっぱなし(放っといてちょーだい)。
「公私」の「私」の部分が欠落したような男が、ボスの若い情婦の見張りを言いつけられ、『男がいるようだったらカタをつけろ』と命令される。(これがハリウッドだったら「見張りの男と哀れな情婦が惚れあって逃避行」になって「無事逃げおーせる」というワンパターンに陥る(はず)) 懸念通り女には情夫がいて、ふと情けをかけて逃がすところから、順風満帆だった男の転落が始まる。このあたり、相当きつい。これから観ようと思う方はお覚悟あれ。

どんな形であれ、暴力を描く映画には、「血糊の美学」が存在するとあたしは思っている。ンなこと言うのはあたしだけかもだけど、欧米の映画と香港や韓国、そして日本ではその描き方が違うと思うのだ。生々しいとかリアルという問題だけではなくて、例えば白い壁に飛んだ血飛沫を撮るか撮らないか、どこから撮るか、とか。欧米だのアジア圏だのとは関係なく監督のこだわりのようでもあるけど、やっぱり微妙に違う。邦画のそれは「血糊くっつけてます」的な感じで“その程度でそこからそんなに血は出ない”という突っ込みが役者の演技を台無しにしてることすらある。一方、欧米だと格闘やナイフより先に銃になる歴史のせいか、血糊そのものに重点が置かれることがあまりない。どちらの映画も「リアルな血を描くことで生々しい暴力描写になることを意図的に避けてる」気がする。韓国映画は避けない。意図的に避けてないふしもある。

あたしはスプラッター映画は苦手だ。ここまで書いておいて何だ!と思うだろーけど、そーなんだからしょーがない。血糊は噴き出せばいいわけじゃあない。頭から血を流し、痛みを押し殺しながら眼光鋭く相手を見つめ返す、その「反撃一歩前」を観るが好きなのだ。逆転できるにせよ、できないにせよ、「死の淵ぎりぎりに立つ男の美学」にシビレるのだ。

この映画は説明不足な部分も多い。なぜ清純な音大生にしか見えない女の子が情婦やってるのかとか、男がなぜ、いかにしていまの地位につき、「忠実な犬」をやってたのかとか、そこにいたるまでの過去とか、ボスはなぜそこまで執拗に部下を貶めるのか、とか。多分こうなのだろう、という推測の域を出ないが、それでいいのかもしれない。
ラストに「甘い人生」とされたタイトルの意味がわかる。ここで書いてもいいかと思ったが、やめておく。ネタばれでも何でもないけど。ただ、切なく痛い。
あたしはイ・ビョンホンのファンではない。というより、まともに観たのはこれが初めてだ。で、どうだったかと言うと、「意外に悪くない」。殆ど笑顔のない役だけど(「韓流スター」として振舞う笑顔は新庄をホーフツさせるといつも思ってた)、泥だらけもヨレヨレも泣き顔もイイ男だった。ファンが多いのもわかる。

ところで今日は何をしてたかとゆーと、ジダラクな日でした。
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by yukimaru156 | 2007-05-29 01:00 | 行った観た読んだ | Comments(0)

いぐさゴザとえび

ホットカーペットをいぐさゴザに替える…と書くと簡単だけど、ホットカーペットを片付けるには机と棚(の端っこがちょっとかかってるのだ)を移動させねばならず、机を移動するためには机の上を片付けねばならず、かつ、その上にあるものを一時的にせよ置いておく場所が必要でもあるわけで、衣替え近いこの時期、ちょっとした労働行事ではある。棚も4つの引き出しを全部ベランダに出し、そんでその上に棚本体を乗っけて(当然ぐらくらしてる)崩れる前に移動をすませるという技も重要だったりするのだ。もひとつの移動式の棚は中身が重すぎて動かないし。動かしたけど。

カーペットは丸洗いできるものなんだけど、洗濯機に入れるのにまたひと苦労。干すのも大変。がらごろ廻してる間にいぐさゴザを引っ張りだしてきて床に敷いて「夏が来るぅ~!」という気分になった。いくら電源を入れてないとはいえ、カーペットは暑いから、やっと落ち着けた感じ。またひと苦労してカーペットを干して、本日特売の牛乳を買いに行ったら晴れてるのに降り出してびびる。戻るべきか、ちゃっちゃっと買って帰るか、微妙な中間点。後者を選択し、店を出たらやんでた。よかった~と思ったけど、帰宅して買い忘れに気づき、再び店へ。そんなこんなであっちゅー間に夕方。もっと早く起きればよいのだ、つーか、もっと早く寝るべきなのだ、と思う。

話変わって。
ウチではエビを飼っている。「またまた~」とか思ったあなた、マタマタでもハタハタでもありません、正真正銘のエビよ、エビ。マジよ。ただし、養殖して洋食にとか思ってるわけじゃなくて、『メダカと一緒にしとけ』とオトート1号がG.Wに持ってきてくれた、体長1センチほどの半透明の何たらエビとゆーやつ。連中は水槽につくコケを食べるので、水槽がキレイになっていいそうなのだ。へへー、そーなんだー、と思ってたら、何か最近えらく水槽がきれいになってね、あちこちについてた緑色のコケみたいなのがさっぱり消えてるのよ。ちょっとびっくりした。ココロなしか、いや気のせいでなく大きくなってるし。いま体長1.5センチほど。このままでかくなってくのかなぁ。ちなみに甥に電話したときに『おっきくなってるぞ、今度食べるか?』と聞いたら『食べるぅ~』と言ってた。後ろで義妹が『ええっ~、やだぁ』と叫んでるのが聞こえ、『やっぱやめとくー』になったけど。(とーぜんだ、食わせるものか)
メダカってすいすい泳いでるだけなんだけどさ、このエビたち(2尾いる)は愛嬌があっていいのだ。カラダひっくり返して水面のエサ(メダカ用)食べてるし、手?足?を器用に動かして藻と遊んでるし。見てると和むのでしばし観察。今度名前をつけよう。どっちがどっちかわからんけど。

今日、タイガイドブックの見本が届いた。出来の良し悪しに対してはまだちょっと複雑な気分…店頭に並ぶまで約半月。さて周囲の反応はいかに。
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by yukimaru156 | 2007-05-28 01:12 | そんな1日 | Comments(0)
兼業主婦である友人は多い。仕事しながら家事もする、というだけで尊敬に値するのだけど、大抵の人はこう応える。『ちゃんと主婦してる人はすごいよ、私はいい加減だから』。手抜きしてる、ということなのだろうけど、手抜きでも一応はちゃんと掃除や食事、洗濯を(毎日きっちりではなくても) してるわけで、それが日常とはいえ、やっぱり偉いなぁと思うのだ。

どっかで読んだのだけど、主婦の労働というのを金額に換算すると月額約30万になるのだそうだ。それだけの給料を旦那からもらっている人というのをあたしは知らないが(もしいたら教えてください、タカリに行きます)、帰宅すれば公私が切り替えられる男の人に比べて、主婦には終りがないとも言えるわけで、そう考えると30万て決して安い金額ではないのかもしれない。兼業主婦の友人らもこう言うのではないかな。『家事一切を手抜くことなくきっちりやれば、そのくらい当然の額かも』と。家事、とひとことで言っても家計をやりくりする算段から、税金や保険、養育といった将来設計も考える頭がいるわけで(それはまあ、主婦だけの仕事ではないけど)、「家庭を維持する仕事」ってのは大変だ。

『自分が働いて得たお金でないと、好きな買い物やコンサートにも行けない気がする』
と過日友人が言っていた。旦那の稼いだお金でライブに行く気になれない、と言うのだ。経済的に決して不自由ではなくても、そう考える人は多いのだろうと思う。あたしは兼業でも専業でも主婦であった経験がないので、「旦那の金でライブに行けるかどうか」はわからない。その良し悪しもよくわからない。「旦那の稼いだお金の一部は自分の給料」と考えることもできるわけだし。
ただひとつ言えるのは、主婦という肩書き、もしくは職業を旦那がどう認識してるかによって家庭が変わる、ということだ。家事分担をしない、できないのなら「それに見合う何か」を家計費とは別に差し出さなきゃいけないんではないだろーか。「兼業だろーと専業だろーと、家庭内のことを奥さんがするのは当然」とふんぞり返って滅私奉公させているよーでは、男の資質が問われるってもんだ。ということをちゃんとわかってる男がどのくらいいるのかね。

いろいろ考えながら書いてたらとんでもなく時間がかかってしまった…今日は家事をあれこれやったけど、日給換算すると(手抜き分を引くと)5千円にもならんかもな。
タイ本の原稿が戻ってきたけど、同封されてくるはずの見本が入ってなかった…どういう意味なんだろう。
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by yukimaru156 | 2007-05-27 03:10 | 我思う | Comments(2)

浦和へGO

浦和近辺に住む友人ら2人と浦和で会い、まずはランチ。浦和ってうなぎが有名らしい。(理由はわからん) でも食べたのは洋食。そのあと、木版画家の風鈴丸の絵を観る。ちょーど伊勢丹でやっていて、作家本人とも会えた。かれこれ10年以上前、彼女の木版画を購入したことがあるのだ。浮世絵と同じ多色刷りの鮮やかな色使いと、童話的なイメージ世界は健在。もっと気の利いたこと言えばいいのに、当たり障りのない話に終始してしまったとあとでちょびっと後悔。

で、楽風。入ってすぐの左手に配置してくれてあり、自分の絵を見ながら、まだまだだよなぁ~とタメ息をつく。くりくり以外(の名称とゆーのが必要だとかねてから思ってるのだけど、なかなかいい言葉が見つからない)は発展途上どころか、焦点が定まっていない気がする。むぅ。

参加されてる作家さんはみんな面識がなく、ガラスの器やアクセサリー、手ぬぐい、そしてシーサーなどを拝見する。シーサーは焼き物なのだけど、なかなかいい味を出しててちょっとそそられた。器等も作っているのだけど、オーナーいわく『お皿がまだ乾ききっていない状態で窯に入れたのでみんな爆発』してしまったのだそーだ。何てこったい!この時期、ちゃんと乾いたのかどうか見極めるのが難しいらしい。チラシを誤ってちぎっても泣けるけど、陶器やガラスや木工といった他素材の作家の工程中のミスってなぜかもっと泣ける。そこに至るまでの過程を想像しちゃうからだろーな。

ハケンのとき一緒だった友人たちで、会うのはちょっと久しぶり。マジな話とどーでもいい話のちゃんぽんが尽きず、気づいたら陽はとっぷり暮れ(ってずっと雨だったんだけどさ)、帰宅したのは7時。今日からリョーシンは千葉某所へ出かけたので、夕飯は何にしよっかな~と昨夜から考えてたのだけど、楽風では絵本や額モノが全然出ず(ちょっと自信のあったうちわも売れてなくてがっかり…と思ったら友人のTKさんが買ってくれた、さんきう~!)、カードを1600~1800円分詰め込んだ「enjoy pack」なるものが本日完売して(行ったらオーナーに『いま完売のfaxをしたところです』と言われてしまった)、急遽、作ることにしたので近所でお惣菜を購入。かっこんですぐ取り掛かった。今日送っても到着は日曜だし、最終日まで日、月、火の3日しかない。補充の必要があるかどうか微妙…他にもあるし、そもそも「追加したものは売れない」とゆー妙なジンクスもある。けど作った。単純に「あたしの気が済む」から。在庫処分的な意味のpackだったから改めて作るものじゃないんだけどねぇ~。4袋作ってなるっべく平たい形(厚さ1センチ)にしてコンビニのメール便(便利な世の中になったもんだ)で80円で送る。雨の中出かけて、帰宅は11時過ぎ…疲れた。あんま寝てないんだった、今日は。

昨夜から『プリズン・ブレイク2』が始まったってのがひとつと、箒木蓬生(ははきぎほうせい)の小説『ヒトラーの防具』の上巻があとちょっとで終りで、浦和到着前に読み終わりそーで2冊持って歩きたくないから「読んじゃえ」と思って読んでたら4時過ぎになったってのが理由。起きたのは8時半。ねみーはずだぜ。
てことで明日は昼まで寝ます。
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by yukimaru156 | 2007-05-26 02:04 | そんな1日 | Comments(1)
大掃除再開。てほどのことではないのだけど、チラシの山と格闘する。やってもやってもやってもやってもやっても終わらない…こんだけのチラシ量に対して廃棄はこれだけかよっ?!と突っ込みつつ、とにかく「少しでも今後作業がしやすいよーに」と思って何とかしよーとするのだけど、以前のぐっちゃらの中から記憶を頼りにチラシ探しつつちぎってた方がよかったかもしれない…。とはいえ机周辺はすでにのっぴきならない状態にまで陥っていて、積み上げたチラシ箱はいつ崩れてもおかしくなかったので「必要な作業」と割り切ることにした。

なまじ時間があるとつい脱線しそーになって困る。チラシの不要な部分(文字や記号ロゴなど)を抜くときに“でもこの背景の色はちょっと捨てがたいんだよなぁ”とか思ってしまうと、延々とその「行間」をまっすぐにちぎる作業に没入してしまうのだ。(このまっすぐなラインはあとでレターセットの封筒などに活用する) あるいは、ジャンクシール(と呼んでいる)の素にするために1センチ四方足らずのチラシだけ集め始めるとか。このジャンクシール、作り始めると妙にハマってしまい、くりくりカードより楽しいかも~とか思ってしまう。てんで売れないのだけど。(でもこれ以外に用途がないのだ)

ときどき、なぜこんなにも「ただのチラシ」が愛おしいのだろうと思う。不可解ですらある。
ガラスを扱う作家はガラスを愛おしいと思うだろうし、陶器の人は土を、木工の人は木を、それぞれ愛おしいと思うだろう。それはわかる。なんでチラシなんだ。紙ではなく。
紙にもいろいろある。和紙とひとことで言っても素材が異なれば紙質も異なり、もっと細かく言えば水でも変わる。気の遠くなるような地道な作業工程を経て作られる手漉き紙には独特の風合いがあり、存在感がある。千代紙も同様だ。あの色彩の細やかさ、意匠の素晴らしさは世界に誇れると思う。でもちぎりたいとは思わない。何故だろう。手漉き紙も千代紙も素晴らしいと思うけど、愛おしいとは思わないのだ。
と、ここまで書いてきてふと思った。これって、木工作家が『桜の木はいいけど樫の木はちょっとね』って言うのと同じだろーか。だとすると、まんざらあたしだけヘンてわけでもないよな、と思えてきた。世の中に数多ある紙の中で、広告紙という素材を好むというだけなのだ、と。

で、なんでチラシなんだよ。ちっとも答えになってないじゃんか。前世がハムスターだったとしても説得力に欠ける(って誰に説得してんだ?前世が何だったら説得力があるとゆーのだ!) なぜチラシだけがこんなにも愛おしいのか、自分で言うのも何だけど、謎だ。この謎が解明される日はあるのか?
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by yukimaru156 | 2007-05-25 01:20 | 我思う | Comments(0)

いちご事件

過日、たまたま家族3人でテレビを見てたら、「レンジで作る簡単いちごジャム」なるものをやっていた。
まず苺を手でつぶす。それから砂糖をかけ、ラップをしないでレンジで15分。出来上がり。ハハとあたしは別に興味はなく、まあ「手で潰すのはキモチよさそーだから今度作るとき(ウチでは鍋で作るので)ちょっとやってみようか」と思う程度だった。そして昨日、唐突にチチが「いちごジャムを作る」と言い出し、本日は台所でごそごそ。間違えようのないモノを作ってる割にはごちゃごちゃやってるなぁ、というのが正直なとこだった(あとで聞いたら、器が小さすぎて溢れさせてしまったらしい) 外出するのに階下に下りてくと、テーブルには出来上がったいちごジャム…ではなくて煮詰まったほかほかのいちごの山があった。

ハハ『だからレンジする前に潰さなくていいのか、って言ったのに』
チチ『出来てから潰すのだと思ったんだ』
あたし『こんな熱いの手で潰せるわけないじゃーん!』
チチ『……そうか…』
ハハは『ったく、私が言っても絶対きかないくせにムスメの言うことは聞くんだから!』と拗ねて別室に行ってしまった。
『ちょっとはさぁ、おかーさんの言うことに耳を傾けて考えようとか思わないわけ?』
チチは無言のまま意味もなくほかほかのいちごを(なぜか爪楊枝で)かきまわしていた。自分に都合が悪いこと、明らかに自分が悪いと思われることに関しては弁明も釈明もせず(たまにするけど)、無言を貫いてしばしたそがれる。これが我が家系ダンシの共通項である。オトート1号とその息子YGもまったく一緒で、以前、義妹のCHは『何でこんなにそっくりなのっ?!』と悲鳴に近い感嘆の声をあげていた。時折とてつもなく迷惑なのだが、笑えるっちゃー笑える。

朝4時までカード作ってたのに出来上がらず、こりゃラチがあかんと思って寝たらば何故か7時近くまで眠れないまま10時には起き、朝食後に仕上げて出かけるときだったので打ちひしがれてる(よーに見える)チチにかまってる余裕はなく、コンビニへメール便を出しに行った(厚さ1センチにおさえて80円でOKと思ってたのに通らず、160円だった、ちぇっ) 帰宅するとハハが鍋で煮直したいちごジャムをチチが満足顔で美味しそうに頬張っている最中だった。あたしも食べた。レモン汁を入れたらしく、ほどよい甘酸っぱさがいい感じだった。
ウチって平和だ。
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by yukimaru156 | 2007-05-24 01:18 | そんな1日 | Comments(0)

お約束の日

2日にかけて普段掃除してないところを掃除したのものの、普段掃除してるところは掃除してないままなので見た目は全然変わらない…つーか、見方によっては以前よりひどい。何だかな、ったく。と愚痴っても仕方ないので今日はその普段やってるところを掃除…せず放置して「ちぎり三昧」。25日着で送らねばならんので。ホントは今日仕上げるはずだったのだけど、やっぱり明日までかかる模様。くりくりをちぎる方が断然早いのだけど、だけじゃないモノを作りたくなってるもんだから進みがのろいのだ。んんー。価格は同じ。てことは時給は下がるわけだ。いっそのこと値上げするかね。土台となる再生紙も値上がりしたことだし。駄菓子菓子。所詮は広告紙だし、高いカードって使いにくい気がするんだよね。ただでさえ使用人口減ってるのに。

本日はお約束の外食日。チチの万馬券でさ。遠出は2人とも嫌がるので近場の中華で、あれこれ頼んで(カキの黒豆ソース炒め、というのがめっちゃ美味かった)、微妙にあまる料理はみんなあたしに押し付けられ、『もー食べられない!』と音を上げてもしっかり「手作り杏仁豆腐」は注文する。当然でしょう。ちょっと濃い目の料理も、これを食することでさっぱりするし。(この「味付けがちょっと濃い目」な料理を食べるたび、ご飯て偉大だと思う。中華であれイタリアンであれ、ご飯を食べることで中和され、かつ美味しくいただけると思うのだ)

夜、懐かしい友人から電話をもらってしばしお喋り。3歳の愛娘TGちゃんが中1の男の子に『じろじろ見てるんじゃねーよ!』とのたまい、叱責する日々にほとほと疲れてる様子…でもTGちゃんのファンになるなぁ。将来、大物になるよ、きっと。(と思って踏ん張るのだ、MK!)

ちょっと見てみようかと思ってたNHKの『プロの仕事』という番組を、ラスト数分だけ見る。ある装丁家の話で、第一人者と呼ばれる(手がけた本は売れる、ということで依頼が殺到する人らしい)人なのだけど、『プロとは何か』という質問に対して『次の仕事が来ること』と応えてた。な~るほどぉ~、と唸る。喰える喰えないではなく、「次の仕事」か。
『代わりはいくらでもいる』と言われてから、その屈辱をバネに来た人ならではなの発言だろうけど、「安かろう、悪かろう」でお互い納得して(?)仕事してる人たちも少なからずいるわけで、それが全体のモチベーションを下げてるという側面もあるのだから、「こういう人たちを心情的にはプロと呼びたくない」人にとってはちょっと頷きかねる定義でもあるなとあとで思った。どの業界、ということでなく。

ところでここまで書いてジャスト30分でした、MK。いや、どのくらい時間がかかるモンなのかと聞かれたのでね、測ってみたのさ。もっと遅いときとか、ラスト数行で止まって考えちゃうときとかあるのだけど。まあ、戯れ言ひとりごとだからそんなもんだよ。
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by yukimaru156 | 2007-05-23 01:47 | そんな1日 | Comments(0)

緑との共生

ウチの裏の家の椎の木がやたらと大きくなっていて、屋根にかかってるのはともかく、落ちた葉がトイを詰まらせたり側溝を塞いだりと大変だった。ハハと仲良かったおばあちゃんがいた頃は植木屋が入ったりして適度に刈ってくれたり、片付けてくれていたりしたのだけど、仕事をしているおばさんは忙しすぎるのかそういったことに無頓着なのか、『ちょっと手入れして欲しいけど会って言う機会がない』状態。
それがやっと、なのか植木屋が入って、どうもばっさりと木を切ることになったらしい。植木屋サンが入っても家には誰もいなくて、『昔は職人サンが入ったら昼にお茶を出したり、茶菓子を出したりして労をねぎらうものだったけど、いまはそういうことをしないのね…』と言いながら、ハハは植木屋サンとちょっと立ち話をしてた。

『枝葉が大きくなってウチも大変だったのだけど、これだけの大木に育つのに40年、50年と経っていることを考えると、私だったら簡単に切ってとはとても言えないわ』
『しっかりしていますからね。切るのには惜しい立派な木で、私もつらいですよ』
『ウチの梅も50年は軽く経った老木なのだけど、毎年ちゃんと実をつけてくれるし、他の木もそのくらい経つから、切るなんて可哀想で』
『あっちの紅葉も切るように言われているんですが、あそこまで育ってしまうと、いきなり短くするのは枯れる原因にもなるしよくないんですよ。1、2年に1度手入れして育ち過ぎないように見守ってあげないとね』

当然だけど、木は育つ。枝葉を拡げ、陽光を求めて伸びる。虫はつくし葉は落ちるから、手入れを怠ると大変だ。素人が切ると実をつけなくなったり枯れてしまったりもするから、ちゃんとした職人にやってもらう必要がある。決して安くはない金額だから、「毎年植木屋を入れるなんて」と思う人も多いだろう。朝、仕事に行って夜帰る生活では、木の成長を見ることもなく、誰が通りの落ち葉を片付けたのかもわからない。「迷惑をかけるから切ることにした」という決断が悪いわけではないけど、ハハの『この家の歴史を全部見てきた木なのに…おばあちゃんが生きてたら悲しんだわ、きっと』という言葉は、その通りで切ない。

「緑を大切にしよう」と言いながら、人は木を切る。個人の問題だから、と言えばそれまでだけど、そういう問題でもないんではないだろーか。緑と共生するのは、エコロジーとは、金も手間もかかるのだ、本来。
個人としてどうあればいいのかはわからない。でも快適さや利便性だけ追求して手間を惜しめば、緑と共生してくことはできないと思う。樹齢何十年の木が倒されるのを見るたび、心が痛む。
あたしにできることは何かなぁ、と思いながらちぎってた。
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by yukimaru156 | 2007-05-22 01:33 | 我思う | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


by yukimaru156