装身具の似合わない服
そば屋へ行く途中、浴衣姿の女の子たちを何人も見た。今日もどっかで花火大会だったのかな。先週(だっけか)の調布の花火大会は、我が家のベランダからも見えたのだそーだ。羨ましい。そンときもそば屋だったんだよな。
ま、それはともかくとして。
最近では妙な柄の浴衣も増えて、いまさら何が来ても驚かない。人も多いだろう。こないだなんか新宿で髑髏の浴衣見たしね。だから前方を行く女性が「蜘蛛の巣柄」でも驚きはなかったのだけど、でも思った。さして珍しいわけでもないし、むしろデザインとしてはかっこいい部類に入ると思う。でもこういう、黒地に白い蜘蛛の巣なんて柄が似合うのは、「艶」があって「粋」とは何かわかってる、少なくとも三十路過ぎの女性ではないかなぁ~、と。ハタチに行ったのか行ってないのかわかんないよーな女の子が着て似合うもんじゃあない。てことを本人がわからないってのは既に「無粋」だ。ましてや黒っぽい臙脂の帯でさー。浴衣だってそもそも「花火か縁日」には限らないわけで、やっぱTPOみたいなのもあると思うんだよね。そういうのもわかってこその「粋」ではないかなぁー、と。
そんなことをつらつら考えながら歩いてたら、そーいや“浴衣を舐めてんのかー!”と思う、膝丈とか帯の代わりに大判スカーフ、みたい格好の子はいなくなったな。割とオーソドックスに、無難な柄を着こなしてる子が多い。この不景気の中、「安定志向」はこゆとこにまで…なんてのはちと穿ちすぎか。
にしても、浴衣ほど「装身具が似合わない格好も世界的に珍しいのでは」と思ってしまった。着物も然りで、イヤリングから指環、ネックレス、腕輪と、何を身に着けても浴衣(あるいは着物)と合わない。世界の民族衣装、とゆーのを思い浮かべると、該当するのはチャイナ服くらいかねぇ。でもイヤリングや指環あたりはOKだよな。ベトナムのアオザイ(だっけ…アジサイ、と書こうとしてしまった)も、着けてもおかしくはない。あまり似合わない気がするけど。あ、韓国のチマ・チョゴリあたりもそーかな。アジアの山岳民族あたりだと、もーいっぱいじゃらじゃら着けてるのがフツーっぽいし、中近東あたりのベール被った女性たちも結構派手に金銀着けてたりもする。でも着物には合わない。金銀でも宝石でも木でも陶器でも珊瑚でも。そー考えるとちょっと不思議だ。それだけ「着物が洗練されてる」ってことなのかね。あの細い帯締め一本で着物全体の印象が変わってしまうように、「その他の装身具を必要とせずに女性の美を追求した完成形」ってことかしらん。
とか何とかつらつら思ってたことを書いたけど、書きながら、チャイナ服もアオザイもチマ・チョゴリも「やっぱり装身具はいらない」とゆー結論に来た。てことはアジア圏は「民族衣装とはそういうもの」なのかしらね。もっとも、それぞれの国で宮廷だとか朝廷だとか上の方へ行くと「権威の象徴」のように身に着けてたりするから、十二単を着てても、せいぜい「櫛か簪」な日本て、異質な文化だったのかも。
ま、このあたりを研究してる人、いっぱいいそーだから、あたしが語るまでもないよな。
さらしちぎり絵巻、ちょいと詰まってしまった。“最後はこんな感じで”というのは(まだちょっと漠然としてるけど)、出来て、それをいまのシーンと繋げることも充分可能なのでほくほくにんまりしてたら、それやると「ラストがちょっと余る」ことが判明したのだ。やばし!間に何か入れると、間が抜ける気がする…明日は脳味噌絞らなくは。今日?今日はもーダメだ、疲れた。眠い。映画観るつもりしてたのにぃ~!
お互い、個展に向けて精進しましょー。くれぐれも体調には気をつけつつ、ね!