エイプリルフールのウソ と本当のこと
実は、そろそろマンガ&アニオタを卒業しようと思うのだ。
どう考えても2次元より3次元に萌える方が真っ当な人生を送れる気がしてね。
で、日付け変わってすぐに「ついしん」として
うっそぽーん。あたしがアニオタやめられるわけないじゃーん。
これから「銀魂」だって始まるのにさー。
と書いたのだけど、返信がないので“もしかしてホンキにしてる? それで追伸読んでないとか?”とちょっとびびってたら、「ワロタ」というタイトルの返信が来た。『寂しくなるけど、それはそれで正論だなと思ってた』らしい。でも笑ってくれたみたいだからよかった。もし彼女が『私もそう思ってたところ』なんてメールよこしたら、それこそ「え~っ、寂しくなるなー」と凹んでた気がする。よかった、まだ同好の士でいてくれるよーで。(たまに好みはズレるのだけど。『今季、ぱっとしない』てのはわかる。ツボなのがあるといーのだけどなぁ。チェックはしてるものの、まだ全然見れていないんだよな…)
そーいやオトート2号にもエイプリルフールメールしたのだけど(1号はアドがわからず送れなかった)、こちらは本気に受け取ってしまったよーだ…ちと真に迫りすぎたかもしらん。返信ないので受け取れなかったのかと思って忘れてたわ。
オトートたちが見舞いに来られないほど忙しいのも、チチの容態を案じてるのもわかってる。決して軽んじてるわけではないことも、1日でも早くチチに回復して欲しいと願ってるのも、見舞いに行けなくてすまないと思ってるのも、「仕事」や「家庭」が日常の中でどれだけのウェイトを占めてるのかも、あたしらに対して悪いと思ってるのも、みんなわかってる。わかってるから、あたしもハハも何も言わなかったのだ。でも、その「わかってる」を、「だったらいいや」で済ませてるんじゃないだろな? とぷっつんきたのが過日のブログ。じゃあそちらはこっちの何を「わかってる」んだ、と。
呼んでも叩いても無反応に近い日もあったり、嚥下すら出来なかったり、『(口から)食べたいとは思わない』『(リハビリは)がんばれない』と言うチチや、『反応があるだけいいじゃない、羨ましいわ』と言う同室、隣室の奥さまたち、経過報告どころか顔も見せない医師に対して、こちらがどんな気分で日々を消耗してるか「わかってる」と言うなら、それはちゃんと「伝えれば」いい。直接会うことが叶わなくても。それが伝わってこないから「伝わってないぞ」と発信した。どんな想いだって、言葉にしなくては届きはしないのだ。
彼、彼女たちの生活や性格を否定するつもりはさらさらない。ただ、「言葉を飲み込む」ハハを慰めたり励ましたり気晴らしに連れ出したりするのは、希望と絶望のごっちゃ煮スープを一緒に飲んでる身には限界があるのだ。無力感にさいなまれ、あのときこうしてればと想い、動物病院のバイトで決して少なくはない彼らの死に接して「看取るとき」のことを考える。愛犬、愛猫の死は飼い主にとっては「家族の死」だ。そこに差はない。そのときの覚悟というのはどうすればいいのか、それからのことをどう考えればいいのか、それとも考えてはいけないのか、いまだにわからずにいる。
今日はハハが見舞いに行った。昨日に引き続き、チチは目もしっかりして会話もでき、ハハは嬉しくて『写メしてきた』のだそーだ。よかった。どーもハハが見舞いに行くときの方がチチが「全体的に悪い」日の方が多くてねぇ。会話もままならなくて『私だけつらつらとしゃべってた』て日ばかりだったから、こっちもキモチ的に参ってたのだ。いくら『あたしのときはこうだったよ』と言っても、慰めにはならないんだよね。でもチチの目に光が宿り、会話が(たとえ少々ボケてたとしても)成立したら、こっちの疲れなんて簡単に吹き飛ぶ。そういう意味で、昨日も今日も互いに疲れが残らなくて嬉しい。夕飯の味にも影響するしね。ちなみに今夜はみぞれ鍋(おろし鍋とも言う。大根おろしたっぷりの肉鍋)。また寒くなってきたのでこれにして正解だった。
「血界10巻」でたよ。
何もかも嫌になったときは、
お気に入りの本とスタンドもって押し入れに引きこもるべし!^^
昨日、ゲットしたっすよ。ソッコーでハマってましたよ。ブログ書いたらメールしよーと思ってたのに、書き終わったら忘れてた(笑)
残念ながら我が家の押入れは「人が入るスペースがない」ので(爆)、座椅子に立膝たてて座って、座卓に珈琲と煙草スタンバイで、しばしどっぷり。
近いうちまた返却&貸出しするね~( `ー´)ノ