旅行写真を印刷する と昔書いた未完の小説の話
にしても、プリンターから出すデジカメ写真、「フチなし印刷」と指定してるのにしっかりフチ入りになるのはどーゆーわけか。何をいじくってもダメなんだよねぇ。ハハは気にしなくてもあたしは気になる。かつてはちゃんとフチなし印刷もできた、と記憶してんだけどなぁ。
写真を15枚ほど印刷したところで(もっとあるけど、ムックとかよろしくないのは省いた)、また父の服、そしてあたしの服の仕分けに入った。父の服だとやはりハハもいないとやりづらいのもあって、後半は自分の服。さすがにもう着ないなー、もったいないけど手放すかー、てのを物色してるうちに、あー、やっぱりここにあったー、というシロモノを発見。あたしが昔書いた小説の原稿だ。よせばいいのにパラパラと読み始めてしまった…400字詰めで3、40枚で、半端なところで終わってる。読みながら、この設定はねーよなーと突っ込んだり、この台詞は悪くないなと思ったり。おもしろいことに、結末をどうするつもりだったかはいまでも鮮明に覚えてるのに(つか読んでて思い出したのに)、途中に起こるはずだった事件を全然覚えていない。我ながら気になる。
舞台はソーホー。「ザンジバル」という名のクラブで(これがタイトル。笑ってくれるな、と言ってもわかんない人も多いか)、踊り子の女たちにボディペイントしてる身元不明の若い東洋人の男の話。彼が雇用主に出した条件は2つ。身元を詮索しないこと、そして女たちのペイントは撮影禁止、宣伝のための写真も不可。「そのとき、その場にいなければ観ることのできないボディペイント」は瞬く間に評判になり、だがやがて「2度と同じ絵は描かない」彼の門外不出の絵がどこからか漏れて…てことなんだけどさ、こうやって書いてても思い出せないんだよなー。
これ書いたときは携帯はおろか、デジカメすらない時代で、当然ツイッターなんかもない。ボディペイントどころかフェイスペイントも珍しい、20年前。踊り子のカラダにペイントが可能かどーかなんて知っちゃいなかった。こんな会話がある。
『ダンサーにボディペイントなんて無理だろ、汗でみんな流れちまう』
『絵の具も化粧道具も日々進化している。カメラや車と同じように』
つまり丸投げだな。このひと言で解決させちゃってる。「見てきたような嘘」を書くのは好きだった、昔から。でもこの話を続けるのは無理だろね、いろんな意味で。もっと先に行かないと。先ってどこだろね。
夜からまた、今度は喪中ハガキの印刷に苦戦することになるのだけど、連日こっちの話だとつまんないと思って昔の作品話にしてみた。ここでこんな話を書くのは初めてかもしれないな。また何か書きたいなーと思ってるのはホントだけど、肝心の「何を」が抜けてるままなので、しばらくは書けないだろうねぇ。残念だけどさ。