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  ちぎり絵のこと ちぎり屋のこと(もしくは今年のちぎり屋について)

昨秋、三茶に出店してたとき、『これで父が他界する前に決まってた出店はおしまい。以降の出店は未定で白紙』と言ったらば、作家でもある友人は言った。
『ゆっくりするといいよ。でもいつでも、ちぎりたくなったらちぎっていいんだからね』
介護とその後のどたばたをブログを通じて知ってる彼女のその言葉は、労いをこめた慰めとしてありがたくちょうだいした。それからの約2ヵ月、「ゆっくりしてるような、そーでもないような」日々が続いてるわけだけど、その日常の中でちぎってはいない。(プライベートカードとして多少ちぎったりはしてたけど)

ちぎりたくないわけじゃない。むしろ、ちぎりまくりたい気持ちの方が大きい。ただ「ちぎって貼る」という行為になぜ飽きないのか不思議だけど、いくらでも「ちぎり」に没頭していられる気がする。(技術や創造力はさして進歩してないと思うのでこれは別の話) だからいつだってちぎり始めることは出来るのだけど、それを始めないのは、“そしてまたいつものパターンか…”と思ってしまうからだ。
ちぎり始めるのは簡単だ。出店(展)を決めて、それに向けてひたすら手を動かしていけばいい。ちぎっていれば、次に何が作りたいかとか見えてくるし、何がやりたかったかを思い出すことも出来る。そうやって17年が過ぎた。「ちぎり屋」を名乗ってはいるが、「だけ」ではいられず、いまだに不安や葛藤を繰り返してる。たぶん、何かを変えなくてはならない。その何かが仕事なのか私生活なのかそれとも「ちぎり屋」とも一線を画す別物なのかはわからない。でもそのあたりに、解決とまではいかなくても何らかの糸口みたいなものがある気がする。

水木しげる氏は、『しないではいられないことを続けなさい』と言った。ならばあたしはちぎり続けよう。でもこれまでのパターンを変える。「出店(展)先を決めない」。いつ、と決めてしまうとそれに向けて日程や生活を調整して、目先のことばかりに捉われてしまうから。
今年は個展を、と思ったのだけど、その個展を「いつ」とは決めず、作り溜めてから決めようと思う。そしてこれまでの個展のように、メインはこれとか、雑貨はこのくらいとか、そんなことも考えずに、ともかく「作りたいものを作る」。そしてそれに核が出来て、輪郭が整ってきたらそのとき、改めて日程の調整に入るつもりだ。もしかしたら今年中ではないかもしれない。企画展とかのお誘いがかかるかもしれないし、それに応える可能性だってある。ま、そんときはそんときで。

大体さー、「ちぎりまくりたい」と言っても「出店(展)しまくりたい」わけじゃないんだよねぇ。年々体力落ちてるしさ。つか、出店(展)を決めないことには「ちぎりまくる」理由が出来ないじゃん? 「ちぎった結果」が何であれ、溜め込む理由はないしむしろ「放出したい」。だからこその出店(展)なわけだ。それに欲もある。モトはタダのチラシなわけだけど、アイディアと労力に見合うものはいただきたい。個人的には、このあたりが趣味か否かを分ける境目のひとつな気がしてるな。ただの趣味だったら欲しい人にあげてるし。

今日は朝イチで健診。それから再び切手整理。もーとことんやっちまおう、と思って。(終わりそーで終わらなかった) で、夕方からどーぶつ病院。酸素室で瀕死のわんこを見守るセンセは今夜はびょーいんにお泊り。そんな話をしてたら急患で、しかも車で到着とほぼ同時に昇天されてしまった…若いパパママとおばぁちゃん、そして号泣する小学生。何ともいたたまれなかったけど、それでも家族みんなに看取ってもらえて、幸せなわんこだったと思うよ。
疲労困憊極致のセンセに何か差し入れでも持ってけばよかったなぁ。まだいるのかな。いるんだろうなぁ。センセの方こそ倒れませんように。
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by yukimaru156 | 2016-01-06 01:53 | 我思う | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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