萩尾望都SF原画展
少女漫画家として初めて(?)、少年誌にSFを描いたことで、その原作者の光瀬龍との当時の対談が展示されてて、みんなが原画に見入ってる間、目を凝らして読んだ。
彼女の世代である「24年組」(この世代がいまの少女マンガの基盤になったと言っても過言ではないのではないか)は『SF好きが多』く、『でもSFを描かせて欲しいと言っても首を縦に振る編集者はいなかった』から『少年誌に打診してやっとOKをもらった』という話には、思わずう~ん、と唸ってしまった。SFがどんなに素晴らしいジャンルであるか力説しても受け入れてもらえなかったこと、そもそもSFを知らない編集者が多かったことを受けて光瀬氏が、いかに編集者や出版社が保守的で頭が固いか、と嘆く。でも彼女が『百億の夜と千億の夜』を描いたことで一気に道が拓け、少年少女の枠を超えたジャンルが確立されていったのだ。そういう意味でも先駆者であり、漫画界への貢献度も半端ではないよなと改めて思ったりした。(余談だけど、『百億』を描いたら「自分が描きたかった」と嘆いた少女漫画家は多かったのだそーだ。筆頭が山田ミネコで、彼女より先に個人でこれを描いてたらしい)
デビュー作に近い時期の『あそび玉』(かつて友人は(当時人気絶頂にあった)「地球へ…」はこれのパクリではないか、と憤慨してたな)から制作順に展示されてるのだけど、後半に至っての『マージナル』は途中までしか読んでないんだよなー、『バルバラ異界』は未読だな~、ととても残念に思え、何とか読めないものかと思ってしまった。持ってるよー、貸すよー、て方がいたらぜひ。
原画を見てると、あちこちで『トーン使ってないんだね、すごいね』なんて声が聞こえてきたけど、当時(70年~80年前後)は、まだトーンの種類はそう多くなかったと思う。なので当時の漫画家たちは、趣向を凝らして「墨とペンだけで表現できる柄」の技術を磨いたのだ。いまはもー何十(百?)を超えるトーンがあり、それだけでなくパソコンでいくらでも「欲しい柄」を絵に加えることが出来るけど、その是非はともかく「描ける、描けない」の差は大きい気がする。人体デッサンとか無機物有機物とは別の話だけど、意匠の発想? みたいな意味で。
展示会場を出たところで、この原画展のオープニングに行われた、ヤマザキマリとの対談ビデオが流れてて、そこでまた「えー、それも読みたーい」と思ってしまったのが、藤子不二雄の『21エモン』。も、2人して大絶賛なのだ。SFマンガと言ったらこれでしょう、みたいな。読むならドラえもんより断然こっちですよ、て話でね。
『自分の中にどれがSFで何がSFではないという線引きはない。最も自由で、何をしても許されるのがSFというジャンル』
と言い切る萩尾望都の言葉が印象的だった。もっと語って欲しかったなー。対談では語ってたのだろうけど。
出口にスケッチブックが2冊置いてあって、自由に「先生へのメッセージ」を書き込むことが出来る。出来るのだけど! 見ると常に誰かが熱心に書いてて、ひと言書くにも順番待ち。さらりと書くつもりでノート拡げたら、隅々までびっしり、みんな結構な長文を書き込んでた。キミはセミプロかい? みたいな絵を描いてる人もいたし、「今日で7回目です」と書いてる人、遠方から来てる人、結構年配な人とホントに様々。そしてスケッチブックの裏表紙まで書き込まれてるので「書く場所がない!」。でもやっぱり何かちょこっと書きたいなー、と思い、懸命に余白を探して、中盤あたりのスペースに日付けと共に4、5行ほど書かせてもらった。(あたしの隣の人は、あたしが書き始めるずっと前から書いてて、かつあたしが終わってもまだ書いてた…)
にしてもクリアファイル1枚972円て高すぎないか…? ポストカードセット1500円、買っちゃえばよかったかなぁ~。うーん。いまになって惜しくなってきた…。
階下の本屋で気になってた本を見つけ、装丁や絵がキレイだったので思わず買ってしまった、「翻訳できない世界の言葉」。思ってた以上に素敵だった。この話はまた改めて。
あ、三鷹台で途中下車して、絵本専門の古本屋にも立ち寄ったのだけど、これもちょっと長くなりそなのでまた改めて。てことで失礼。
(*^▽^*)