怖いのは地震より地震慣れ? と盆栽の本と広告コピーの本
友人のみちゃおが夕方あたりに新宿に出る、とゆーので、そんじゃそのころさくっとお茶でも、て話になってた。彼女はハードワークが続いてて(5月の残業時間は何と120時間! 最後は徹夜だとか!)、その後も「フツーに忙しい」日々が続いてるようなので、ちょっとの時間でも労ってあげたらいいなと思ってたのだ。新宿もB・オフとかセカイドとか行きたかったしね。
午後、ハハがけーばにムチューだったので『昼ご飯作ってあげよーかー?』と釜を覗いたら、1人分しかなかった。ので、焼きそばにする。キャベツいっぱいあったし、美味しいソーセージもあったし。美味しくできてよかったけど、意外に時間くってしまい、B・オフでの換金は諦めてセカイドだけのつもりで出かけた。電車ン中で本読んでたらメールが来た。もう新宿に着くと言う…どうやらセカイドへ行く時間もなくなってしまったよーだ。
ハマっ子のみちゃおは、新宿の人の多さに目ぇ廻してた。つか、新宿、渋谷近辺はもー週末かどーかなんてカンケイない(気がする)けどね。『どっか近場でゆっくり』と思っても、喫茶店でなくなってたり、あっても混んでたりでさっと入れない。便利なよーでいて不便だよなぁ、新宿って。
開口一番、彼女が言った。
『痩せたけど老けては見えないよ?』
ちょっと前、ブログで「ひさしぶりの友人に会うと必ず「痩せた?」と訊かれる、ハハに言ったら「老けたってことでしょ」と言われた」、と書いたことを覚えてくれてたのだ。ありがたう、みちゃお。でも体重計の数字は変わってないんよ、ホント。なので喜んでいーのかどーなのかイマイチわかんないんだけど『老けてない』てとこだけポイントとして頂戴しておくわ。
で、彼女が誕プレにご所望だった、盆栽の本をあげた。『まさしくこういうのが欲しかった!』と喜んでもらえる。よかったよかった。彼女に言われて初めてこの手の本のあるコーナーに行ったのだけどね、若い人でも愛好家が増えてるみたいで(外人も多いんだよね)、結構いっぱいあるのだよ。『ハウツーでも写真集みたいなのでもどんなのでも』と言われると余計迷うのだけど、初心者向けの、いい感じの写真がいっぱい載ってる本にして正解だった。
盆栽は自由な発想で好きなように作る(育てる)ものだけど、「見立て」てのもある。こんな風景を見立てて再現してみました、みたいな。そんなページを一緒に眺めながら、
『自分をこんな大きさ(人差し指くらい)と考えて、仰ぎ見る木はこんな感じがいいとか、こういう木が好きだとか、そうやって剪定してったりもするんだよねぇ』
と言ったらば、『そうなのか!』と納得してた。以前、どっかで誰かに言われたただの受け売りだけど、枝ぶりがどーとかこーとか小難しいのは抜きにして、ただ「自分をミニチュアサイズに空想して楽しむ」てのはいいと思うね。プラモで街づくりするのと似てる…かもしれない。
その本と一緒に、父の蔵書である本を2冊あげた。父がテレビ局の広報部にいたときの本だから、中古もいいとこだけど(初版が1963年とか)、『効果的なコピー作法』なんて、いまでも通用する部分もある。と思う。古いなー、て感じは否めないけどね、「いいコピーとは何か」「単に目を惹けばそれがいいコピーと言えるのか」みたいな話から、「ルールを破るのは結構だが、そのルールを知らないで作るのは「破った」ことにはならない」なんて話まで、コピーに限らず通用するような内容も含まれてて、奥深い。ぱらぱらと読んだだけだけどね。
いつ返せるかわからない、と言うから、いいよ、あげるよ、と渡した。あたしが持ってるより、広告代理店で日々格闘してる彼女の方がずっとふさわしいもん。ISBNコードのない美本てことで寄付してもよかったけど、父も彼女の手に渡ってくれた方が喜んでくれてると思う。
1時間半ほどで帰宅して、夜は「ミニカルトン」を作ってみた。一度作りたいと思ってたのだ。その話も書こうと思ってたのだけど、また無駄に長くなるので明日にでも。
(´ー`)