シン・ゴジラ 2016年 日本
この夏、『君の名は。』同様、かなりの話題になってたときも、多少興味はあっても行こう、て気にはならなかったのだけど、近所の映画館で上映されるとハハが『ちょっと行きたい』とか言いだし、まぁそれなら付き合うよ、てことで観た。
突如、何の前触れもなく現れた「未確認生物」に対してのオエライさんたちの右往左往ぶりってのも話題のひとつだったけど、確かにこーなるだろーなー、ではある。至極真っ当なこと言ってる割には想定外を理由に責任回避しまくってるようにしか見えないあたり、先の震災やらこれから起こりうる可能性のあるテロなんかでも、実際「こんな感じ」かもと思わせる。そこんとこが「リアル」だぁね。
特撮大好きな監督だから、そこら中にこれまでの特撮技術をリスペクトした描写があり、数年前、彼の大規模な展覧会に行ったときのこと思い出した。(タイトルを忘れてしまった…このブログの「行った観た読んだ」項目の中にあるはずだけど)
彼が愛してやまないのは、実は特撮ではなく、いわゆるオタクと呼ばれる人たちなんではないかと思う。実際のところ、混乱したまま一向に収拾のつかない官邸とは別に動き出した、「出世に無縁の者、組織の鼻つまみ、学会の異端者、偏執狂、オタク」たちによるチームの方が柔軟に対処し、冷静に分析し、連携を取って最も効果的な最適解を導き出す。だから彼らが主軸になるべき、ではなく、「それらを吸い上げることのできる人間」が必要なのだ。「前例がない」を言い訳にする(が言い訳になる)組織の人間には縦割りを改めることが出来ない。みんなそう思ってるはずなのに、なーんで出来ないかねぇ。てことも言いたいに違いない。
中盤に差し掛かって、やっと自衛隊のお出ましとなるのだけど、彼らの攻撃を見てて思った。
天敵のいないゴジラにとってあの強度な外殻は必要なのか?
これまで外部から攻撃されることは皆無であったと思われるゴジラに、どういう理由で進化する必要があるのかとか(第4形態まで進化するのだ)、そこんとこをちょっとマニアな人に訊いてみたい気がした。
官邸の無能ぶりや各国(主にアメリカ)の思惑から、ただ歩いてるだけのゴジラの残す甚大すぎる被害とかその様子とか、なるほどよく出来てて、そこんとこはすごくリアルに感じられた。(どーでもいい話だけど、最後に登場する「特殊建機」は実在するんだろか…凄すぎるんだけど) ゴジラの出現を示唆していた博士の行方とか、気になることもあちこち点在するんだけどね。娯楽なんで単純に楽しめたっす。
午前中は台所の大掃除。ハハは床、あたしはガス台と壁。まだやっと半分、てところ。流しも磨いてないしね。ホントはやるつもりでいたのだけど、映画の時間となってしまったので。
映画のあと、父のカメラ2台を査定に出した。1つ100円だった…そんなもんだと思ってたけどね、それでもちょっとショックだわね。じっさまのタイピンに純金のモノがあったので、そこそこいい値段にはなったけども。
夜は賀状作り…気ぃ狂いそーになった。何でうまくいかん! てところで。そんな話はまた後日。
( ̄▽ ̄)