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  Smoke  95年 アメリカ

ブルックリンの街角にある小さな煙草屋と、そこに集う男たちの、ごくごく普通の日常と他愛のない会話。ほぼそれだけで成り立っているような作品ではあるのだけど、散りばめられた嘘も含めて、観終わったあとにちょっと愛おしく思う。そんな映画だ。
しがない煙草屋の店主、オーギー(ハーベイ・カイテル)の、粗野ではあるが憎めない性格と、妻子をとある事件で亡くしてから自暴自棄気味になっている作家(ウィリアム・ハート)の几帳面さ。本来なら相容れないであろう2人を繋げる「煙草」はただの小道具でしかないが、その「一服」がもたらす心地よさと間合いは「わかる人にしかわからない」…かなぁ。

劇中、オーギーと客が『そのうち、煙草を持ってるだけで一列に並ばされ、銃殺される日が来る』なんて会話を苦笑交じりに交わすのだけど、22年後の現在、そこまではいかなくてもそれに近いような扱われ方してるもんね、喫煙者たちは。「角の煙草屋」てのもどんどん減ってる気がするし。
喫煙者(女性も含めて)が多数出てるけど、煙草礼賛の映画ではないし、煙草にまつわる話ってわけでもない。(冒頭の「煙の重さの測り方」には笑ってしまったけど) そうではなく、「煙に巻かれたような話」とか「煙と共に消えたと思っていた過去」とか、そういう類かな。どちらにせよ、いまじゃ上映禁止の前に撮らせてもらえないかもね。

いくつかの、何の繋がりもないようなエピソードが終盤になって少しづつ集約されていき、そしてオーギーの「クリスマスの嘘」の話で終わるのだけど、その嘘はいかにもクリスマスな、決して褒められることではないけど少しふわっとさせられるような、そんな嘘で、心に残る。嘘をついた方も、つかれた方も承知していて、でもクリスマスだから許されるような悪意のない嘘。もし自分がずっと1人で暮らしてて、そしてクリスマスの夜にこういうことがあったら、それが例えどちらの側だったとしても受け入れてしまう気がする。これを否定できる人は少ないんじゃないかなとも思う。

実はあたしは公開当時にこれを観てる。主演のハーベイ・カイテルが好きだったのだ。すでにいいおっさんなトシではあったけど。(何本も観たけど『レザボア・ドックス』は秀逸っすよ) で、近所の映画館に来るとゆーのでどんな話だったか思い出そうとするのだけど、いくつかの断片的なシーンと、観終わったあとも不快ではなかったな、てことしか思い出せず、結局「初見」となるハハと2人で行って来た次第。
いやぁ~、人の記憶って曖昧だねぇ。ラストシーンだと思ってたのが最初の方にあったり、ふとしたきっかけで知り合った黒人青年が作家の部屋に何かを隠すのだけど、それは覚えてるのにそれが何であったか思い出せなかったり。明らかになってから、そうそう、そうだった! と思い出すのだ。おかげで(?)、初見に近い感じで楽しむことができた。(ちなみにハハの感想は『1人では観ないわね…』と曖昧だった)

煙をくゆらしながらこれを書きたかったのだけど、あいにく切らしてしまったのが悔やまれる。ちょっと前に1本煙にして、残り1本は明日の朝食後用。シゴト帰り、忘れずに買ってこないとな…てなことを書くことすら憚れる時代になってきたよねぇ。

夕方からの上映だったので、珍しく2人で外食。ランチにはよく行くパスタ屋でパスタとピザをシェアして、満腹満足で夜道を歩いて帰った。
映画までの時間はちょっと制作してたけどね、帰宅したらハハに付き合ってフィギィアを見る羽目に…実はあたしは苦手なんだなぁ、これ。みんな一緒に見えるから。みんな似たような滑りして、似たような演技で、どこに差があるのかわからないのに得点が違う。見てて飽きる…と言ったら失礼か。でも流れてくる曲は多種多様で耳に入ってくる分に対しては楽しめた。選曲も大事なポイントだよね。








( ´ー`)y-~~
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by yukimaru156 | 2017-03-30 00:02 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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