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善き人のためのソナタ

06年 ドイツ
東西冷戦下の東ドイツ、ベルリン。共産党による一党独裁を維持するべく、街中には「シュタージ」と呼ばれる“監視人”が「住民の安全」を守るために「密告者」を奨励し、「疑わしき者」を拘留、投獄している。家宅捜索も盗聴も当たり前。誰もが息を潜めて生活してる様子が、淡々とした映像の中でもよくわかり、息苦しいほどだ。

社会主義、共産主義は、「まともに機能すればとてもいい体制」なのではないかとあたしは思う。過日読了した、米原万理の『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』 (これについてもいろいろ書きたいのだけど、うまく説明できる自信と知識がない…)にもあるように、まともに機能してるとは思えないことが多いからこそ、民主主義国にとっては「?」な部分がとても多いのだ。

映画は、「当局に目をつけられない程度」にその才能を発揮しているひとりの劇作家を巡る話だ。突出した才能は目をつけられやすいが、彼には(苦々しく思いながらも)「分をわきまえて体制批判にならない」作品を発表することが出来る。
一方、ちょっと怪しいと思った相手を「落とす」才能に長けている大尉は、ふとしたことで彼に目をつけ、監視する。盗聴して知れるのは、彼の後ろ暗さのない誠実さ、知己の多さ、美しい恋人、窮屈な世界なりに楽しむとということ、そして彼の劇作家としての才能。
監視する側が、盗聴によってやがて感化されていくのだが、それでうまくいきっこない、と観ながら構えてしまう、そこはかとない、例えようのない静かな恐怖。虐殺も拷問も背筋を凍らせる恐喝もないのに、「それがあることをみんな知っている」から怖いのだ。

『犠牲(サクリファイス)』という考え方がある。今日一日をあなたが生きられたのは、世界のどこかで誰かが戦いによって命を落としたからだ、というものだ。誰も傷つけなかったから今日を生きられたのではない。自分の知らない所で、知らない人が命を差し出したことによって得られたのが、「今日」という日なのだ。
劇作家は盗聴されていることを知らず、そしてそれによって救われたことも知らない。まるでゲシュタポそのままだった大尉が身を引く終盤は切ない。憎かった彼をどうにかして救う方法はないのか、と真剣に考えてしまう。そして、その救われ方に深い吐息がもれたあと、口の中に拡がる後味のよさにゆっくり酔える。そういう映画だった。

このタイトルの曲をあたしは知らなかった。レーニンいわく『ベートーベンは嫌いだ、この曲を聴くと革命を実行する気が失せる』というから、ベートーベンの曲なのだろう。終幕後、もう一度この曲を聴きたくなった。いい映画は、いい音楽を使う。

ところで本日は再び教習日。さらに凹まされ、いまここで映画の感想を書きながら「いいことあったじゃん」と自分を慰めてる次第。
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by yukimaru156 | 2007-07-04 01:11 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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