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ベルカ、吠えないのか?  古川日出男 著

文章が疾走している、と思った。しなやかな体躯の、真っ黒い犬が風を切って走り抜けているようだ、と。出勤の往復でしか読まなかったので読むのは遅かったが、この小説はどこで区切っても疾走感が損なわれない、ちょっと説明しづらい“他のどんな文学とも違う印象”のものだった。うんー、何をどう説明すればいいのだろう。あたしのどんな語彙でも足りない気がする。
物語は、地球儀の中に犬の頭蓋骨を収めている老人の話から始まる。舞台はロシアだが、彼がロシア人であるかどうかは定かではない。彼の最も大切な、その犬の頭部を巡る物語か、というとそれもちょっと違う。この小説は「犬の話」だが、特定の犬ではない。壮大な、20世紀を駆けた犬たちの系譜だ。

1943年、太平洋の北側、アリューシャン列島で2つの島が日本軍に占領された。アッツ島とキスカ島。この2つの島は、だが軍事拠点としてではなく、連合国の目をそらせるための陽動作戦のひとつであり、目的が達成したあと、日本軍は速やかに撤退した。4頭の犬を残して。
この4頭の出自はそれぞれ異なる。北海道犬の北と、陸軍のジャーマンシェパード、正勇と勝、そして米軍捕虜の犬だったエクスプロージョン。3頭は軍用犬だったが、エクスプロージョンは捕虜の犬だった。無人となった島で、やがて雌犬だったエクスプロージョンが子供を産む。そして忘れられた島に連合軍が入り、彼らは再び「軍用犬」として今度はアメリカの地を踏む。

軍用犬の歴史は古い。犬が「武器」として育てられ、戦争に投入される。そこかしこで目覚しい活躍を見せる。優秀な軍用犬の子供は、その気質を買われてさらに高度な教育を受け、期待される。人間たちは純血種を、あるいは「より強い犬」を求めて異なる品種の犬と番わせ、子供を孕ませる。そして軍用犬としての資質を餅得なかった犬たちにはまた別の道が拓く。ある犬は血統の正しさと体型の美しさからドッグショウのきらびやかな世界へ、そしてある犬は犬橇のリーダーへ。狩猟犬として、麻薬犬として、ある犬は複雑に混じりながら、ある犬は血統を重んじられながら、犬たちが意識しない系譜を連ねる。読み手は誰(どの犬)に焦点を定めることもできないまま、ただ彼らの辿る運命の数奇さに目を瞠るだけだ。
著者の書き方、というのがまた上手い。(同い年とはな、やれやれ!) ちょっと引用してみよう。(って、どこを引用したらいいのかすごく迷うのだけど)

「愚カ者メ、とお前は言う。お前は群れのリーダーとして仲間たちに告げる。アタシタチハ捕マラナイヨ。アタシタチハ走ルヨ。
そうだ、お前たちは走る。お前たち野犬はひたすら北極圏の大地を、雪原を、氷原を疾走するように駆ける。(略) それは南だ。やはり南下だ。わかるか?アイスよ、そして以前は橇犬だったアイスの同胞たちよ、お前らは生地から遥か南に放逐されて、再び必然として、さらに南下する」

読みながら、どこを引用したいか考えてフセンでもつけておくんだったな。著者は犬を「お前」「お前たち」と呼び、犬の気持ちとしてカタカナで代弁する。その交錯と、彼らの運命、宿命に、そして犬を通して語られる(実際に彼らが語るのではなく、人と運命をともにすることで見えてくる)「戦争の20世紀」に何度も唸った。朝鮮半島からベトナムへ。あるいはアラスカからロシアへ、あるいはヨーロッパへ。たった4頭の犬たちから始まった系譜が、人の愚かさをこれほどまでに投射するとは!
宇宙に最初に出たのは人ではなくライカ犬だった。彼が地球を廻っているとき、多くの犬たちが空を見上げる。ライカ犬は、生存を前提にはされていなかった。その悲しさ、苦しさを代弁できる者はいない。どの犬たちも、自分たちが「人に翻弄されている」ことを意識はしない。だからこれを読んで苦しいのだ、と思った。苦しいけど、愛おしい。どの犬が、ではなくて、どの犬も、だ。

最後まで読んで、「んむむ?」と思うとこもなくはない。語られると思ってたとこが“こういうことなのだろう”と自己完結しないといけない、ある種の消化不良的な部分もある。それでもこの本の出来はすごい。再読するときもまた、しなやかな体躯の犬が疾走してくれるだろう。

今日は1日部屋に引きこもって制作に専念してた。疲れた。進行具合がイイとは言えなかったからだ。もっとさくさく出来ていれば、安心して休めるのにな。
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by yukimaru156 | 2009-04-03 01:27 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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