2006年 09月 04日 ( 1 )

絵本を出す理由

昨年夏、腕試しのつもりで新風舎の公募のヴィジュアル部門(絵だけでなく写真とかいろいろ)に応募し、ちょうどいまくらいの時期に1次審査通過の報告をもらった。2次、そして最終選考と残り、そこで「残念ながら…」という手紙をもらったが、千何百本だかのうちの200に残っただけで善戦したと言えるし、初めて公の場に出してプロに見てもらえたわけだから満足だった。その後、「共同出版(製本に関わる諸費用を折半して出版)でどうか」という打診をもらったときも、まあ、自費出版の会社ではあるし、予測の範囲内だったので軽く受け流す…つもりだった。

それを「痛い出費になるけどやってみるか」と思ったのにはいくつか訳がある。
以前所属してた「ナイーブシンクタンク」なる絵本作家集団(プロアマ混合)での年に一度の発表では「世界に1冊の手作り絵本」(ここはこれが売りだ)を何作か出してそれなりに好評だったし、自主制作のカラーコピー絵本の評判も悪くなかったので、出版してもまあ、初版(500部)は出せるだろう、という皮算用がひとつ。
「ちゃんとした形で残る、書店で販売される、これまで「sayuki original」を買ってくれた人への恩返し」というのもひとつ。
そして一番大きいと思うのが、「広告のちぎり絵を誰かがやる前に出しておきたい」だ。

コラージュという手法は昔からあるわけで、「広告のちぎり絵なんて初めて見る」と言ってくれる人も知らないわけではないだろう(と思う) 『あたしが最初です』と名乗っていいものかどうかとすら思うのだ。動物の形をちぎり、目を付けただけのものが初なのか?広告という素材だって、そう新しいものでもないだろーに…とずっと思ってた。これまだ誰も発想したことがないのだとしたら、その方が驚きだ。

これから先、あるいは既にどこかで、誰かが広告をちぎっているかもしれない。そのことは全然構わない。その人が、あたしの真似ではなく独自のやり方をしてくれれば。でも「真似」もいるだろう。それがオリジナルの宿命でもあると思う(こー書くとエラソーだ、すごく。オリジナルではあるけど、そーたいしたモンでもないのだ、ホントに)
最初にこだわりたくないけど、誰かが先に絵本なり何なりで発表したら、「さゆきはこれを真似たのか」と思われるかもしれない。それが嫌だった。

広告の紙を思う形にちぎれるようになったと思えたのは、ここ3、4年くらいのことだ。その前の作品は見るだけでおぞましい、よくこんなの売ってたな、買ってくれたな、と思うものばかり。
1センチ四方のタイルにマグカップ(ちゃんと取っ手には穴が開いてる)をちぎり貼るのはいまではそう難しいことではないが、これから始める人にはきついだろう。では10センチ四方では?たぶん小学生だって出来る。四角に半円を付けた形にちぎって、半円を2つ折りにして穴を開けるだけだ。そして、それを1センチ四方に縮小して絵本を作ることも簡単なのだ。
そう、1点モノでなければ、「誰でも何でも作れる」ものなのだ、これは。

これまで絵本の出版化に食指が動かなかったのは、そういう理由もあった。技が技ではなく、(と書くとまたまたエラソーだなぁ。やだやだ…) 素材の面白味でしかない。あたしとしてはそれはすごく「つまらない」と思えた。あたし自身が楽しくない。事実、『おとなってなに?』の原画はこれまでの作品より大きい作りになってて、素材選び以外にかかった時間は正味2日ほどだ。

共同出版化にあたって、イラストレーターの友人たちは『もっと他に方法がいくらでもあったのではないか、違う公募やコンペに出して…』と揃って口にした。こっちがお金を出さなくても出版してくれる所はあっただろう、と。絵本はちょっとしたブームでもあるから、公募されてるだけで山のようにある。だがこれまでそれをしなかったのは上記のような理由と、「絵本作家になりたいか」という自問に「うん」とは言えない自分に気づいてたからだ。絵本を作るのは楽しい。喜んでくれる人がいるのはとても嬉しい。でも絵本作家であるよりは、雑貨作家でいたいのだ、たぶん。

今年、あたしらの年代は「大殺界」なんだそーだ。だから「これまでと異なった活動は控えて大人しくしてるべき」だとゆーから、敢えて違った行動をしてみた。基本的に天邪鬼だからさ、あたし。
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by yukimaru156 | 2006-09-04 01:11 | 我思う | Comments(4)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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