2007年 12月 01日 ( 1 )

07年 中国
昭和初期、中国で生まれた呉清源は幼少の頃から囲碁の非凡な才能を見せ、日本に招聘される。日中友好の架け橋となるはずが、時代は激動期を迎え、満州事変を経て第2次世界大戦へ。祖国と日本、囲碁を巡る人々の思惑と彼自身の苦悩に翻弄される、「囲碁の神様」と呼ばれる男の波乱に満ちた生涯…となると、囲碁そのものに何の知識もなくても“ちょっと観てみたいな”と思わされる。主演のチャン・チェンの凛とした佇まいと清楚な横顔だけでもじゅーぶんそそられるというモノ。ハハも同意見だったので、1ヶ月遅れの彼女の誕生日祝いに(この日、ハハは同窓会で紅葉と温泉を堪能してたので)出かけた。

感想はひとことで要約できる。「惜しい!」。ったくこんなに惜しい悔しい映画はしばらくなかったんではと思うほど。何が惜しいって、たぶん「これだけ素晴らしい食材を揃えながら、なぜこんなにも味も素っ気もない無味乾燥な料理ができてしまったのだっ?!」という口惜しさ。まったくもって不可解というか、納得がいかないというか、そもそもこれは(これだけ日本の俳優を揃えてるのだし)、日本の監督が撮るべきものだったのだ。脚本はバラバラだし俳優は固いし対局の行方も物足りず曖昧なまま。焦点もボケてて、一体彼が何に苦悩してたのかよくわからない。材料は腐るほどある。幼少からある種の才能を見出されるということは、周囲の期待を背負うことになり、「他の選択肢を与えられない」ということでもある。加えて日中の狭間で生きるということ、戦争が及ぼす影、恩師の自殺、そして拠り所を求めた宗教もまた、彼を利用する一組織でしかない…などなど。それらが混在しすぎていて、かつどれも浅くて半端な終わり方をするので「惜しい」のだ。どれかひとつ取っても深い映画になるのに。

いまもかどうかわからないけど、「囲碁をオリンピックの競技種目に」という動きがあった。スポーツとかけ離れているのになぜ?と思ったのだけど、では「スポーツとは何か」というと必ずしも「肉体を使うこと」が条件ではない。スポーツとは「能力の限界に挑戦すること」なのだそーだ。で、「70手先まで考える囲碁」は脳味噌フル回転の限界までいく「競技」なのだ、と。(ま、脳も肉体の一部とも言えるか) 
対局者の集中力と緊張感は凄まじい。呉清源は、対局者がその緊張感に耐え切れず泡を吹いて卒倒しても気づかずに碁盤を見据えていたという伝説さえ残ってる。なのにここでは(そのシーンはあるものの)、その「凄さ」が伝わってこない。囲碁そのものの凄さも、だ。ルールはわからなくても観客に伝えることはできるはずなのに。このあたり、愛好者はもっと悔しいのではないかな。

これさえよければハハとの銀座デートは完璧だった。この秋(冬?)初めてはいたスカートは、数年前に買ったもののちょっとウエストがきつくて入らなかったのに余裕。ブルーベリーヨーグルト色(と制作者は呼んでいた)のベレーと黒のジャケット、エンジ色のシャツとタイツでばっちしキメて、ランチはゲンカツ。チチの糖尿ですっかり食卓からご無沙汰となったトンカツをハハは「お昼からなんて…」と躊躇してたのだけど、ここのは一度食べさせたかったのだ。厚さ0.5ミリの豚肉を25枚重ねた独特のトンカツは見た目ほど重くなく、さくさくっとしてジューシー。ランチとしてはいい値段だけど、お祝いにご馳走できてよかった。ウィンドーショッピングも楽しかったし。本屋であたしのタイ本を見つけ、ハハが『手に取りやすいように』とちょっとだけ棚から引き出しておいたのはご愛嬌。こーゆーことするのが“かわいいなぁ、この人”とムスメながらに思う所以でもある。
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by yukimaru156 | 2007-12-01 01:10 | 行った観た読んだ | Comments(1)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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