2012年 02月 27日 ( 1 )

12年 日本
全然まったく、なぁ~んの予備知識もなく行ったので、映画館に着いて初めてこれがドラマの劇場版であることを知った。(洋物だとすら思ってたのだ) 当然、ドラマも観てなかったので“さーて、わかるかなぁ~”と思いつつ、最初のクレジットで東野圭吾作品であることがわかったので、じゃミステリーっぽいんか、だったらわかるかな、とちょっびっとだけ安心した。

日本橋にある、架空の生き物である麒麟に翼のある像(これも知らなかった…何度か通ってるのにな)の前で、「刺されているにも関わらず、わざわざ交番の前を素通りして」歩いてきて力尽きた男性が発見される。彼は意識を回復することなく死亡し、そしてほぼ同時刻、職質をかけられた青年がトラックにはねられ、意識不明の重体になる。所持品の中には先の男性の財布と鞄。行きずりの男性を刺した青年が交通事故に遭った、とゆー単純な図式ではないだろな、という思惑通りの展開で、刑事たちはひたすら歩いて男たちの接点と「なぜ彼らはそこにいたのか」を探る。そして見つかる、意外な接点と動機…。何かそれすらも「予定調和」な感じがして、“そーだったのか!”にはならない。テレビドラマだとこんなモンなんかな、みたいな気分。決して誰がわりーとか、脚本が甘いとか、演出がどーの、てわけではないんだけど。(あ、でもあの眼鏡ケースは何だったんだ?!)

殺された男の娘が、『私たち、お父さんのこと何も知らない…』と愕然とするシーンがあるのだけど、この家族に限ったことではなくて、誰もが誰に対しても「知らない部分」がある。彼の死を巡っては二転三転するのだけど、その過程で家族も被疑者(とされる人)たちも翻弄され、そして細かなピースが繋ぎ合わされてひとつの絵が完成したとき、それぞれがその重さに耐えられるかどうか、が改めて問われる。
『死者が残したメッセージを、生きている者は全力で受け止めなければならない』
とは劇中の台詞だけど、故人の意志、というほどの強さではなく「メッセージ」をいかに受け止めるか、そして自分はそこからどう再生していくのか。明るい結末ではないが(人が殺されてるわけだし)、重く沈められる結末でもない。観終わって思ったのは“東野作品だなぁ~”てとこだ。(ま、彼の作品にはてんで救いのないのもあるけど)

映画館で映画を観る楽しみのひとつに予告がある。(あたしはそれよりチラシの方が楽しみだけど…劇場が新しくなってこいつがえらく少なくなったのはおおいに不満だ…) 予告の半分以上が「テレビドラマの劇場版」だった、てどーよ?何かちょっと納得いかないっつーか、何だかなぁ、と突っ込みたい気分だった。そういう企画でなければ通らないよーな業界になりつつあるのかもだけど、にしてもさ、ちょっと「映画人の矜持はどこへ?」と思ってしまったな。

矢継ぎ早に、それが何と認識する間もなく映像を畳み掛けるハイスピードの予告、てのは以前からあったけど、最近そのスピードが加速してる気がする。も、どんな内容なのかもよくわからない。誰、というクレジットから読めなかったりしてさ。ただ音楽がやかましいだけで、記憶に残らないから観たいかどーかもよくわからない。てゆーのはちょっと映画予告としては問題なんじゃないのかなぁ。
昔、映画好きだったチチが『映画には第一から二、三、と数人の助監督がつくけど、一と二、三、の違いは何だと思うか』と尋ねられたことがある。これの答えは
「その映画の予告を作れる」
だ。まだ無名だった黒澤明とかヒチコックとかも助監督時代に予告を作ってて、ヒチコックのは「これ観たい!」と思わせるいい予告だったらしい。『映画の内容も過程も熟知してて、作ることでまた勉強も出来る』からだそーだけど、いまってどうなんだろ。何か配給会社とか、どこぞの別会社がフィルムいじって繋げて作ってる気がするなぁ。

映画のあと「震災支援CD」を求めてしばし彷徨ったのだけど、その話は明日にでも。「ちぎり制作」もしましたよん、しっかり。明日もちゃんとやりまーす。
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by yukimaru156 | 2012-02-27 02:09 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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