2015年 12月 17日 ( 1 )

人間性を剥ぎ取るのに最も有効な手段が戦争だ。人と人が殺し合う、という単純な図式だけでは済まされないものがそこにはある。どんなに美化し、正当化し、大義名分を抱いてたとしても、人間性が奪われてしまえば、そこにあるのは何の役にも立たない幻でしかない。

冒頭、ジャングルの中でほとんど部隊としての機能を果たしていないかに思える掘っ立て小屋から、肺病を理由に野戦病院での治療を命じられた一兵卒が出て来る。こんなジャングルを1人で辿り着けるのか? と思えるが、何とか辿り着く。だかそこは「病院」とは呼べない、重症患者が呻くだけの粗末な小屋で、肺病を理由に入院なんてと一蹴されてしまう。部隊にも戻れず、病院にもいられない。彼がジャングルを亡霊のように彷徨うことになるのは当然の成行きだった。

漆黒の闇、それを真っ赤に染めあげる炎、奥深い密林。そこかしこに横たわる死体と半死体、「呼吸しているだけ」で「生きてはいない」兵士たち。熱病。恐怖。幻影。飢餓。疑心暗鬼。指揮系統は崩れ、それでも「何か」にすがらなくては歩けない男たちが目指す先にあった、地獄。「人」としての矜持はいつまで持ち続けることが出来るのか。
『俺が死んだら、ここを食ってもいいぞ』
「許し」を得た「それ」を食べることは出来るのか。そうすることによって失うものとは何なのか。得られるものは? 戦場での尊厳死などない。死ねば血肉の塊となり、蛆が湧くだけだ。何百、何千と生まれるドラマには大抵救いがない。そのことを忘れてる(あるいは直視しない)人がどれだけいることか。

正直、この映画を観る前から、きついだろうな、救いのないしんどい話だろうな、と気が重かった。それでも「観なくてはいけない」気がして、ハハも同様だったので2人で夜の町をてくてくと歩いて行ってきた。(近所の映画館でなかったら、出かける気にはならなかったかもしれない。CSとかでチャンスがあれば、て感じで) 昔、大岡昇平のこの原作を読んだのだけど、すーっかり忘れててさ。その忘れてる、て事実にハラ立てて、てのもある。(『俺が死んだら』の台詞でいろいろ思い出した)
それに塚本監督作品だったしね。彼が自費で作らざるをえないほど資金繰りは大変だったみたいだけど、やり遂げた精神は立派。こういう映画のために「金を出さない人たち」が反戦と言いつつ上手に美化した、キレイな役者揃えて戦闘機や自衛隊まで動かしたりして「製作費ン億円」なんてのを作ってるんだろな。そー思うとやりきれん。もっとも、とても自費で低予算だったとは思えない出来だったのだけど。全国ロードショーでない、て点だけが残念。
これは反戦映画ではない。ただ「戦争とはこういうものだ」と指し示してるだけだ。塚本作品故にグロいしエゲツないし容赦ないけど、そういうとこも含めて、ね。子供には観せられない、という人もいるだろう。ゾンビ映画や殺人ゲームは好きにさせておいて何言うか、だな。
観れば得るものはあります。戦争を知らないのであれば、ここで疑似体験してください。

今日はオフだったので、父のライティングテーブルの中身整理の続き。沖縄支局にいたころ(昭和46、7年あたり)のメモとか、広報時代のCMに関する切り抜きだとか(俳優に嘘言わせてるCMに関しての苦言なんていまでも通用する)に混じって、どこぞの開通記念乗車切符(60円!)だとか、穂高のプレートとか、いわゆる「鉄」の人たちが(もしかしたら)欲しいと言うのかもしれないモノたちが続々。どうしたものかねぇ。古銭なんかは近所に買い取りの店があるから、記念硬貨なんかとまとめて持ってってみるつもりだけど。
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by yukimaru156 | 2015-12-17 00:05 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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