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フロリダの田舎町で、独身男のフレッドは姪のメアリーと猫のフレッドと暮らしていた。その平穏な日常は、メアリーの天才的才能の発覚によって緩やかに壊れていく。神から与えられたギフト「才能」は誰のものなのか、その才能はどうあるべきなのか。そして周囲がどうあることがメアリーにとって最も幸福なのか…。

取り立てて新味のある話ではない、と思う。メアリーの天賦の才は、自殺した母親(フレッドの姉)と同じもので、2歳半にしてすでに数学のナンタラカンタラを理解し、定理を解き、解析する。姉の遺言通り「普通の子と同じように」生活させることを望むフレッドと、娘が果たせなかった数学者の偉業を継いで欲しいと願う母親。それはやがて「叔父vs祖母」のどちらに親権があるのかという、法廷闘争に持ち込まれることになる。「普通の生活」と「才能を活かすための教育」のどちらが8歳になったばかりのメアリーに相応しいのか。心情的には前者に傾く者が多いにしても、後者に非があるわけではない。むしろ「社会、あるいは世界のため」に、その才能を伸ばすことを優先させるべきなのではないか。

醜いばかりの法廷シーンが続くのかと思いきやそうではなく、祖母も彼女なりにメアリーのことを考えてはいるし、フレッドもそれを充分承知してはいる。いるけど、「他の子より秀でたがため」に孤独な数学者生活を送り、果ては自死した姉の気持ちもまた理解している彼の苦悩により重点が置かれている。
彼はヨットの修理屋として生計を立てているのだけど、中盤、彼の前職が明らかになると、ちょっと拍子抜けしてしまった。それを辞めてこの仕事に就いたという理由が理解できないからだ。(とゆーか、理由が説明されないのだ) それが「メアリーのため」とは思えないし、何で辞めたの、辞めてなければこんな(生活水準のことで)争う事態にもならなかったのに、と思ってしまう。

後半、自分の出生について(父親の不在について)涙するメアリーを連れて、彼はとある病院へ連れて行く。彼が何をするつもりなのか、何をそんなに待たせているのか観客はわからず、ただ「???」なのだけど、その理由がわかったときはちょっとほろりとした。彼のメアリーに対する愛情は、彼女の才能とは何の関係もないところにある。それが端的に表れてる、いいシーンだった。

結果は、まぁ大抵は思いつくであろうところに落ち着くので、映画としてどうだったか、と問われると「悪くないけど素晴らしいわけでもない」あたりになるのかな。あ、でも最後の最後にお姉さん(メアリーの母親)が残した一撃にはちょっとびっくりしたかな。その一撃が、彼女の人生や母親への愛憎を物語ってて見事だった。

このテの映画で思い出すのが、天才的チェスの才能を持った少年の『ボビー・フィッシャーを探して』だ。これは法廷に持ち込まれこそしなかったものの、「才能のためにいい教育を」と思う母親と、「普通の豊かな少年時代を」と思う父親の対立だった。チェスが好き、チェスがやりたい、と思う少年は、でも同時に同じ年頃の友人たちとも遊びたい。2人の間で、いや、チェスを教えてくれたホームレス(に近い年の離れた友人)や、プロのチェス師(? 何て呼ぶんだ? チェス棋士?)の4人の間で揺れる彼もまた、似たような着地をしたのだった。(余談だけど、この少年のチェスの指し方が素晴らしかった。いわゆる「子役」ではなく、世界チェス大会未成年の部の70位とかだったんだよな)
『子供と動物が出たら役者は引っ込め』と言ったのは森繁久弥だったけど、この作品もそう。子役の愛らしさ、健気さ、そしてその才能に全部「持ってかれた」感じ。何かそこに尽きるかもしれない。

朝イチの映画だったので、ハハとランチしたあと帰宅して再びの「ちぎちぎ」。(そーそ、ランチでよく行く喫茶店のスパイシーカレーというのを初めて食べたのだけど、何がびっくりって「しいたけいっぱい」だったんだよ! 知ってたら頼まなかったよ!! 全部ハハにあげたけど。そんで、まぁ、スパイシーで美味しかったんだけど)
絵、背景だけでも完成できるかなと思ったけど一歩及ばず。う~ん、残念。明日には仕上げてしまいたいなぁ。それとDMも書かねば! あ、告知してなかった、すみませぬー。








(;´∀`)

丁寧に作られてはいるけど、

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by yukimaru156 | 2018-04-13 01:04 | 行った観た読んだ | Comments(0)
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うわっ、なんか変なこと? になってる! PCで編集して写真+文章で送ろうとすると「応答してません」の表示が出るのだ! もしかして今日ってメンテの日だったかなぁ…?

書きたいこと山盛りなのに! 素敵な個展だったし、パワーも貰えて、帰宅してから自分の仕事もさくさくできたのに!!

明日は早番なので(なぜかPC不具合とか送信ミスって早番前日が多い…)、ケータイからのちょろりブログで失礼。(ちょろりではないかもだけど)

ゆりの木さんがこの6月でおしまいだとか、本屋で原寮を買ったとか、ハラヘリでロージナ茶房でひとりご飯したとか、毎度どーでもいいこと書くつもりだったんだよ〜。

明日は明日でまたあると思うのだけど、まとめて書けたらと思っているです。

あ、写真解説忘れてた! ゆりかねーさんのスマホに食らいついてるカエルくんが今回のちょっとしたプレゼント。あまりのかあいさにぱちり。ミニTシャツはもちろんゆりかねーさん作。どうせなら、個展を象徴するような1枚をセレクトするべきだったよね、すみませんー!

****************

いやぁ、昨日は失礼したです。今夜はうまく…いくのかなぁ。まだわかんないですが、どうでしょーね。にしてもやっぱケータイよかPCの方が断然書きやすいし、文章も進むね。スマホはどーなんだろう? ケータイとあんま変わらない気がするけど。

さて、ゆりかねーさん個展り感想補足とか。
毎年のことだけど、「色の洪水」の見せ方がいいのよ。で、基本「染めTシャツ」なわけだけど、あちこち切ったり継いだり異素材組み合わせたり、てこともするわけで、それ自体は以前からされてる手法のひとつなのね。でも毎回違う! てのがすごい。袖のぴらぴらにしても、襟元にしてもポッケ付けたりファスナー付けたりするのも、"まだこんなバリエーションがあったのか!"と驚かされる。拝見しながら、ちぎりのバリエーションだってあたしの腕(? 創造力?)が足りてないだけで、もっともっとできるはずだよなー、とそんな感慨に耽ったりもしたのでした。
パワーもらったです、ありがたう、ゆりかねーさん。

ところでこの展示会場である、国立のゆりの木さん、何とこの6月でおしまい。(あとには、隣の店舗に工房、そしてギャラリーはまた別の貸しギャラリーとなる模様) あたしは比較的最近知ったのだけど、ゆりかねーさんはだいぶ前か知らされてたみたいで、それを聞いて実家のカフェギャラリー化を決行したのだそーだ。ゆりの木さんでのラスト展示で、改装した実家カフェギャラリーの宣伝もできてるのだから、先々まで見越してちゃんと動いてたんだなぁ~、と感心した。(それに引き換えあたしときたら…ぶつぶつ) 
こちらのカフェギャラリー「森の詩」は、5月から不定期開催とか。これからは思う存分、個展ができるのねぇ~、素晴らしいわー。

おしまいなんだから、お隣のガラス作家さんたちの作品も拝見してくるのだった、とあとで後悔した…迂闊。
桜並木はすでに葉桜ですらなくなったましたが、散策には気持ちいいし、お時間ある方はぜひどうぞ。


  ~4/10(火) 11時~19時(最終日17時) ギャラリーゆりの木 JR国立駅より徒歩7分 042-573-6663






( ̄ロ ̄;)

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by yukimaru156 | 2018-04-06 00:53 | 行った観た読んだ | Comments(0)
過疎化の進む港町が「身寄りのない元受刑者を市として受け入れる」制度を作り、6人の男女それぞれに仕事と住居をあてがう。条件は「今後10年間をここで過ごすこと」。彼、彼女たちに面識はなく、身元がバレないように、そして彼らが接触しないように注意しろとクギまで刺されて、市役所職員の月末は「お目付け役」にされる。彼らは全員が「殺人者」で、そのことを知ってるのは月末だけ。
町では「のろろ祭」という伝統行事があって、その祭りの日を境に接点のなかった彼らが知り合い、そして事件が起きる。映画のキャッチコピーは「信じるか、疑うか」。

という、まぁ、それなりにおもしろそう? て印象だけで観たわけだけど、んん~? だった。てゆーか、公開3週目で評価もそれなりに高くて、かつ、映画館に入ったら平日昼間なのに結構混んでた…てとこからしてちょっと解せない。元受刑者6人はいい役者揃えてんだけど、そしてみんないい演技してくれてるんだけど、何つーか、映画のキモみたいなとこがダメなんだよな。冒頭の「元受刑者を市として受け入れる決定」からして違和感あるし(いきなり6人も入れるか?) そもそも「過疎化対策の一環」と呼ぶ割にはどこも人いるんだよ。町もすごくちっさいわけでもないし。ホントに税金対策も兼ねた受け入れが必要なほど過疎化してんのか、ここ? みたいな。

多々あるツッコミどころをぐっと飲み込んで観てると、町中のあちこちで見られるポスターの「のろろ祭」当日になる。(ホントに過疎化進んでんなら、こんな立派なポスターなんか作れんだろに) この奇祭、詳しい説明はないのだけど、「のろろ神さま」という、この港町のかつての悪神、そしていまは守護神てのを祀る行事で、町にはこののろろ神のでっかい石像まである。この神さまを模した面をかぶった人のあとをぞろぞろと行列するんだけど、「成りてがいない」ってんでここで初めて6人が揃うわけだ。もちろん互いに面識はないし、元受刑者であることも知らない。(焦ってるのは月末だけ) そして事件が起きる…というより、このあとに「互いの素性を知った者たちの間で」事件が起きるわけだけど、"やっぱそーか""そーなるよな""だと思った"の連続で、何つーか、最後まで新鮮味がなかった。

「信じるか、疑うか」のキャッチコピーは、この映画の本質を突いてないし、そもそも「誰かが嘘をついてる」のではない。事件を撹乱させてるわけでもない。殺人を犯したと言ってもそれぞれに事情があり、服役して来たのだからもう許してあげれば? な人だっている。それを信じるか疑うかは、つまるところ「居場所」を求めた彼らを受け入れる度量があるかどーか、なんだよな。
と、話がそれてくな。この映画は、ちょっとありがちなその「受け入れられるかどうか」ではなくて…何なんだろ。つまり何を言いたいのかよくわかんない映画だった。

「羊の木」は、冒頭の東タタール紀行の一説と、元受刑者の1人が海岸で見つけた、羊のなる木? みたいな絵のブリキのお皿から由来してるのだと思うけど、ホントのところはわからない。木の枝の先に羊がいるという絵柄は、「羊が刺さってる」ようにも見えるし、となるとまた意味合いも違ってくるよな。この羊、5匹だし。
過疎化した地域にいきなり6人も入ってきたら、もーそれだけで「事件」だろと思うから、終始リアリティが感じられなくて、サイコも唐突で(サイコって唐突なもんだと思うけど)、だからこの映画にハマれなかったのかなぁ。
のろろ神もね、昔3リオにいて、復刻の兆しさえ見えない「半漁どん」そっくりで笑えたよ。あれももーちょっと何とかならなかったのかねぇ。

午前中シゴトして、つい先日買ってきたばっかだけどそのときちょい少な目だった某メーカーの高齢にゃんこ用ごはんがもうないとゆーので、パシってきた。別にあたしの役目ってわけではないんだけどさー。誰も行かないんだったら行っちまった方が早いじゃん。報われてる気はあんましないんだけどね。









(゜-゜)

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by yukimaru156 | 2018-02-24 01:12 | 行った観た読んだ | Comments(0)
本書は芸大文学部の、「本の企画を立てる」という授業から発生した、「現代風にアレンジした日本神話」だ。学生たちの、『アニメやゲームで知られる日本神話も、元を知らない学生は多いのではないか、知りたいと思っても訳書は難しすぎないか』という発案はわかる。あたし自身、「古事記」は途中でザセツしたのでなおさらだ。八岐大蛇にしろ、因幡の白兎にしろ、個々のエピソードは知っていても、それらの「繋がり」についてはよくわからなかったりするしさ。だから本書を手に取ってぱらぱらしたとき、"この発想は評価できるけど、でもどーなのかなぁ~?"と思いつつも買った。なぜなら「誕生日には普段買わない類の本を買う」ことに決めてるからだ。だからその日が誕生日でなかったら、たぶん買うことはなかったと思う。

で、本書。
いやはや…ぶっちゃけ、砕けすぎだ、これ。何かもー「イマドキのワカモノの読みやすさってこれなの?」と突っ込まずにはいられない。つか、ラノベだっても少し真面目に書いてるんではないかと思う。という言い方も語弊があるかな。ううーん、何と書けばいーんだ、これは。真面目不真面目の問題ではなく、つまるところは「書き方」だな。だから読み進めるのがちょっとしんどかった。

まず「作者が突っ込む」時点で違和感を覚え(その作者に対して「しつこいぞ」とか突っ込む神さまたちもどーかと思う)、「具体的にいうとドラゴンのボール的なあれ」とか「プヨプヨみたいな状況」とか、手鏡が神ちゃんねるになってて「嫁が鮫でワロたWWW」とツィートしたりとか、悪ふざけは悪ふざけでいーんだけど、そのノリはちょっとなー、合わないなー、だった。
アマテラスがロリだったり、スサノオが元ヤンキーとか、管理職のオモヒノカネがシスコンとか、因幡の白兎がバニーガールとか、そういうのはいーんだ、別に。神さまのくせに実は…みたいな性格付けって古今東西どこでもあるし、そもそもどこの神話読んでたってツッコミどころはあるし。

総じて「神さま」というのは、やたらと人間臭い。部類の女好きだったり、ニートだったり、寝太郎だったりする。何か「人ではない別の力を持ってる」てだけで、その性質はどうしようもなく人に近い。そしてそれが「おもしろさ」だったりもする。だから「神さまのくせに何てヤツ!」と思っても許せて読めるんだけどねぇ。何だろなー、何がいけないかなー。やっぱ「神さまのことではなく文章が問題」なんだろな。も少し、本来の「古事記」に則ったというか添った内容にしてもらえないと、どこが本筋でどこからが作者の戯れなのかがわからない。

もともとの話がいろいろ中途半端ではあるから(それでどーなったんだ? とか、え、この話はここで終わりなの? 的な)、仕方ない部分もあるとは思うんだけどさ。だったらそれはそれとして、書いてくれた方が良かった気がする。発想はイイだけに、何とも残念な印象の残る本であったな。

シゴトは午前中で終わりで、午後はずっとウチで雑貨市のあれこれをしたりしてたのだけど、午後に眼科行ったハハの薬をもらうために夕方ウチを出た。えーらい寒かった…さすがの大寒波? 天気は悪くないのに風冷たくて顔とか露出してる部分の冷たいことよ。寒い地方はこんなもんじゃないんだよね、きっと。北海道で氷点下38℃とかだもんね。ウチん中にいてもとーししそーだ…。寒いのに悪いわね、と言いつつハハは『薬代の残ったお金でもす買って来てもいいわよ』と言った。あたしゃ別にバーガーを食べたいと言った覚えはないのだが(薬局よりさらにあっちに行かなきゃだし)、ハハがこう言うってことは「私、あそこのバーガーが食べたいわぁ」てことなのだ。だから買ってきたよ、夕飯前だってのにもすばーがー。ハハは嬉しそうに『懐かしい』を連発して食べてた。以前、父と千葉べったくへ行ってたころ、2人でよく入った「思い出の味」なんだよね。食べたい、と言ってたモノを食べさせることができて良かった。

昨日のブログ閲覧数がものすごい数字になってた…ちょっとびびった。ケタ違うんだもん。






(´ー`)

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by yukimaru156 | 2018-01-27 01:51 | 行った観た読んだ | Comments(0)
まずは昨日、一昨日のブログが前後してしまって申し訳ない。じゅーねんブログやってて初めてだわー。そもそも消えたブログを「下書き保存」から引っ張り出す、てことをしたことがなかったのでね。

KOの駅弁大会に行くと言うハハと一緒にウチを出、『何弁が食べたい?』『きっとすごい人だから、「並んでないとこ」で美味しそうなヤツ』と頼んで別れ、あたしは有楽町の交通会館へ向かった。こちらは本日初日の「女視展」。毎年やってる、と聞いたときは女性作家オンリーの「ジョシテン」としかわからなかったので、DMもらって初めて「女視展」だと知った。ほほぅ、て感じだった。
8人の女性作家による展示会だけど、全員が動物をモチーフにしてる。だけでなく、どの人も絵が写実的。(そしてまとめ役であり、「HearTOKYO」の同僚でもある小林ひろみサンだけがほんわかイラストで浮いてる) 子供のころから馬好きで馬術競技して、いまはインストラクターもしてる方は「馬への愛」が溢れてるし、羊毛フェルトで鳥類を作る方も「鳥への愛」がぎっしり詰まってる。ゆったりしたスペースに大きい絵がいくつも飾られ、見応えも充分。『毎年となるときついんだけど、一度離れると展示できないからねぇ』とは小林サンの弁。人気ギャラリーはそーなんだよねぇ。すぐ「空き」がなくなってしまう。

d0078532_022646.jpgお次は新宿ハンズでの、宇田川サン作品も展示される『俺のロボ展』。いつもいつも、いーっつも素敵な写真入りDMを送ってくれるのだけど、しばらく実物を拝見してなかったので、これは行かねば! と足を運んだ次第。
いやぁ、素晴らしい! わかりますかね、この着想の妙と精密さと不思議なおかしみの三拍子が揃った作品の凄さが! (いちお「写真掲載可」てことで撮らせてもらったけど、本人の承諾待ちですので、NGなら削除します)

「ロボ展」だから、どの作家さん作品もみーんなロボ。あー、あなた「ボトムズ」好きだったでしょ、と出自(?)がわかる人とか、どっかで見たモチーフかも…とかもなくはないのだけど、「動物愛」のあとは「ロボ愛」を堪能させてもらった。これ、好きなロボに投票できるのだけど、宇田川氏は対象外。観る前から投票する気満々だったのでちょっとがっかりしたけど、思うにこれ、すでに「殿堂入り」してるってことじゃないかな。写真はほんの一部だし、ガラスケースの中なのでうまく撮れてないのが残念。でも実物観れてよかったー。

ここではあまり写真を載せないのだけど、展示会行ったら作家サンに許可もらって掲載した方が魅力を伝えやすいよなー、と思った。今年からそーします。ケイタイ持って早(遅?)2年。写真の載せ方がわかった、ラクだ、てのもあるかな、てへへ。

往復の電車で、森見登美彦の『有頂天家族』を読了した。このノリが合う人にはたまらん話だと思うし、あたしも楽しく読んだクチではあるのだけど、いかんせんこれはアニメが先だったので、脳内キャラはみんなアニメのキャラで動き、かつ、内容がほとんどアニメと変わらないもんだから、正直な話、イイのかそーでもないのかの判断がつかなかった…かと言って、アニメを途中ザセツした『四畳半神話大系』を読むか、て気にもなれんし。
内容はですね、京都に住むたぬき(ここでは総じて「毛玉たち」と呼ばれてる)と、天狗と人間の三つ巴の戦い…ではなくて、「阿呆の血の力しむところ」から「おもしろきことは良きことなり」ってことでの大騒ぎが果てしなく続く…よーなそーでもないよーな。事件が起きちゃー無事ではないけど収束し、かと思うとそれが発端となってまた続く、みたいな展開で、先ごろ続巻が文庫化されたばかり。(そしてあたしはこれもアニメで見てしまったので続巻は買わないんではないかと思われる。アニメはおもしろかったですよ)
日本神話的な神サマとか狐狸が入り乱れる話としては、万城目学の『鹿男あおによし』の方が良かったかな。

半日歩き回ってたけど(セカイドにも行ったし)、1万歩行かなかった…のにくたびれた。夕飯の駅弁は「鮭・のどぐろ弁当」。チラシ見て美味しそうだと思ったけど、並んでなかったのだそーだ。ハハは(同様に「並んでない店」を選び)「牡蠣いくら海鮮弁当」。2人で半分こ。どちらも美味しかったっす。満腹満足。








(#^^#)

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by yukimaru156 | 2018-01-15 00:22 | 行った観た読んだ | Comments(0)
以前から思ってたのだけど、この邦題がよろしくないと思う。原題は「Cross of Iron」、戦場で活躍した英雄に贈られる「鉄十字章」のことだ。それを何だってこういうタイトルにしちまうかねぇ…「死霊のはらわた」を連想させるじゃんね。どっちが早いのか知らないけど。

この映画を観たのはコーコーセーのとき。深夜、真っ暗な部屋で1人で鑑賞して、静かに感動してた。以来、あたし的には「戦争映画ベスト3」に入る傑作。にもかかわらず、実は今日の鑑賞が2度目だったりするのだけど。『地獄の黙示録』も『Uボート』も4、5回は観てるのにね。機会がなかっただけだけど、今回のは「40年ぶりのデジタル・リマスター版」てことで、「戦争映画の金字塔」とまで書かれてたから、そーかやっぱりすごい映画なんだ、と思った次第。だってこれ知ってる人、周りに誰もいなかったんだもん。サム・ペキンパー監督は有名なのにさ。

冒頭、山林を音もなく移動する小隊があって(もうこの時点で当時のあたしは「堕ちて」た)、目と指先だけで合図を送り合い、3人の見張りを同時に(これまた物音たてることなく)殺して敵の拠点を叩くのだけど、すべてが終わったあと、1人が指揮官であるシュタイナー伍長(ジェームス・コバーン)を呼ぶ。銃撃戦のあとの積み重なる死体の中にあるのは、まだあどけなさの残る10代の少年兵。
『まだ子供じゃないか…』
このときの伍長の苦い顔と戦果を喜べない兵士たちに、少しほっとしてしまう。彼らは「戦争だから敵を撃つ」けど、それは「相手も自分と同等の兵士」であることを前提としているわけで、「好きで戦ってるわけではない」が「戦場だから仕方ない」と飲み込んでいる。それでも「飲み下せないもの」があるのだけど、それがある、てことが救いな気もするのだ。

『国家のためとか党のためとか、そんなことのために戦ってる人はいませんよ。ここではみんな「自分が生き残るため」に戦っているんです』
ドイツ軍とソ連軍との熾烈な闘いの最中、赴任してきた大尉はブロシキ貴族出身で誰よりも栄誉欲に駆られ、「鉄十字章」が欲しい。返して昇進にまるで興味のないシュタイナーは胸の鉄十字を放り投げ、「ただの鉄クズ」呼ばわりをする。2人の確執は火を見るより明らかで、ドイツの敗色が濃厚となる中、事態は目まぐるしく動いていく。

ところどころ忘れてるものの、自分の記憶の鮮明さにちょっと驚いたりもした。激しい銃撃戦、崩れ落ちる兵士たち、硝煙、怒号、悲鳴、そして慟哭。彼らの声にならない叫び声が鋭いナイフとなって胸に突き刺さってくる。40年前の映画ではあるけど、古さは微塵も感じられないのは、デジタルではない「生」の臨場感が全編を貫いてるからだ。「殺す相手の顔が見えないこと」で、いまの戦争は兵士の負担を減らした分、怖さを増した。肝心なのは兵士の負担の軽減ではなく、それがあるから戦争はダメなんだと思う、思わせることではないのか。

帰国の機会を得られたにもかからず、シュタイナーは再び戦場に戻る。もしかしたら彼はすでに「戦場でしか生きられない」身体になってしまったのかもしれないが、彼自身はそれを素直に受け入れているようにも見える。戦場で知識と経験を活かすこと、部隊を率いること、そして人としての倫理を失わないこと。終幕となっても続く彼の哄笑がいつまでも耳に残る。その意味するところは、観客であるこちらの判断に委ねられるけれども。そこも含めての「傑作」だろうな。
にしてもジェームス・コバーンのかっこいいことと言ったら! 昔この映画で惚れてしまったわけだけど、いま観てもやっぱりかっこよかったー。そして「いま見てもかっこいい」ことが嬉しかった。

レイトショーなので、夕方に仕度をしておいた。チンゲン菜と鶏モモの生姜スープ。寒い夜に最適な、生姜の効いたスープで美味しくできて満足。風邪にもよさそーだ。風邪ひーてないけどね。








( ̄▽ ̄)

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by yukimaru156 | 2017-12-01 01:00 | 行った観た読んだ | Comments(0)
イギリスで最も権威ある児童文学賞であるカーネギー賞を受賞したシヴォーン・ダウトは、3作の作品を残して逝去し、遺作として4作目が出版されたあと、遺された構想ノートを元にパトリック・ネスが濃密な作品に仕上げたのが本書。そしてこの本もまた、カーネギー賞を受賞している。

深夜0時7分、その「怪物」は不意に現れた。そして孤独な少年コナーに告げる。
『いまから3つの話を語って聞かせる。4つめはお前が話せ。お前自身の、真実の話を』
聞けば、何か恐ろしいことが始まってしまう予感に怯え、拒絶するが、怪物は容赦はしない。一晩に1つの、怪談とも寓話ともつかない、「真実」であるらしい昔の話。怪物の話も、彼がやって来る理由も、そして『私を呼んだのはお前だ』という怪物の言葉にもコナーは混乱する。

コナーは、古い教会と墓地とイチイの大木の見える、粗末な家に重症な母親と2人で暮らしている。父は異国で別の家族と暮らして音信も途絶えがち、不当すぎるほど厳格な祖母とは折り合えず、学校ではいじめられ、教師からは何の期待もできない日々。「母の病気は必ず良くなる」ことだけを支えに、諦めと失意をどうにか飲み込む彼には、怪物ですら真の恐怖の対象とはなりえない。本当に怖いのは、夜ごと訪れる悪夢。自分の悲鳴で目を覚ますような、全身の血を凍らせるようなその夢は、まだ誰にも話したことがない。
『第4の物語を聞くときが来た』
厳かに響く怪物の声。拒むコナーは、ならばずっと悪夢の中に漂うことになると告げられる。そしてようやく、彼は語り出す。夜ごとの残酷な悪夢を。そしてその結末を。

ダークファンタジーと括るしかないのかもしれないが、そうとも言えないし、これを「児童書」として位置付けるのもどうなのかと思うが、子供には難しい話というわけでもない。結末まで読んで、そして深い感慨と共に「癒し」とは、「救済」とは何かと思う。「誰にも責められない苦痛」を癒すことができるのは誰の、何だろう? 答えは書かれてはいない。ただ、この幸福とは言えない結末に彼は救われるのだ、という予感と共に終わる。その静かな余韻は心地よく、怪物が現れた理由も、語られた逸話も、そして残酷な悪夢が意味するものもすべてが
腑に落ちる。
『真実を話せばいいのだ』
恐ろしかった怪物の声音が変わるとき、灰暗色だった世界がほのかに明るくなる。それがこの作品の価値をぐっとあげてる。原案のS・ダウトの、そしてこれを書いたP・ネスの著作を読みたくなった。

ジム・ケイの挿絵もまた素晴らしいのだけど、少々多過ぎて(本文にも容赦なく入ってくるのでちょっと鬱陶しい)、読みづらかったのが残念。文庫の表紙は(大ヒットしたらしい)映画のチラシで、そうではない方が欲しかったなーと思ってたら、これは表紙ではなくて「文庫とほぼ同じ高さの帯」であることにあとで気づいた。めくるとジム・ケイの黒い絵。いいなぁ、これ。この禍々しいような、それでいて柔らかいような雰囲気の黒、素敵だわ。読後に見るとまた味が違うんだよねぇ。

余談だけど、これは昨日の北鎌倉の往復の車中で読んだ。帰りの電車の、最寄り駅に着いたところで残り1ページ。キモチ削がれること甚だしく、でもこの1ページを「改札抜けてチャリで帰宅してから読む」という選択肢はなく、喫茶店に入るにはあまりにも少なすぎ、結果、人混みの中、ホームで立ち読みという(ベンチは遠かった)、ちょっと何だかな~、な読み方をしてしまった。帰宅して落ち着いてから、ラスト5ページほどを再読したけどね。







( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-11-21 01:41 | 行った観た読んだ | Comments(0)
不意に思い立った…わけではないのだが、26日までの木、金、土日のどこかで行こうと思ってた北鎌倉まで行ってきた。紅葉とか寺とかではなくて、豆本関連のイベントでお世話になってる(そしてこの付き合いがかれこれ10年近いことに唖然とした)MIW@さんと、銀(?)細工で豆本やレリーフを作られてる姉妹ユニットの凱留狗工房さんとの2人展(3人展?)。

北鎌倉まで順調に行ければ1時間半てところなのだけど、たっぷり2時間かかった…とゆーのも、北鎌倉の駅に着いてDMを忘れたことに気づいたからだ! 何とゆーマヌケ! 幸いハハが在宅してくれてたので、机上のDMを読み上げてもらい、たぶんこっちの方…と思って歩き出し(鎌倉街道を鎌倉に向かって歩く、と言われても、街道はわかったけど左右のどちらが「鎌倉」へ行くのかわからん)、このあたりっぽいんだけどな~、と最後の手段としてギャラリーに電話してみた。『いまどちらにいらっしゃるかわかりますか~?』と明るい女性の声がしたので、通りを挟んだ目の前の店の名を言うと『ベンチに座ってます?』『は、はい』『右後ろを振り返ってみてください』。振り返った。小窓から電話を手にして笑ってる女性が手を振ってた。何てこった!! このときのあたしは、紅葉より赤かったに違いない…うぅ、はずかしー。

そんなわけで無事ギャラリーに辿り着き、MIW@さんと凱留狗り妹さんの方(あたしが夏の豆本展で知り合ったのはお姉さんの方)と会えた。そして作品を拝見。ギャラリーだけどカフェでもある…のかな? そこのとこを尋ねるのを失念してしまったけど。
豆本、ピサンキ(卵の殻に着色…と呼ぶと安易すぎるゲイジツ品)、万華鏡、そして透かし絵…「覗いて触って遊べる展示」がコンセプトだけに、どれも触って楽しむことができる。ヤラレたのは(豆本とはカンケイないのだけど)「肉眼を超えた世界」。いやもー何つーか…印刷された賀状切手の中に「あけましておめでとう」の文字が隠れてるなんてね! お札ならわかるけど、これやることにどんだけ意味が…? とか思ってしまったりもしたよ。

展示もさることながら、MIW@さんとのおしゃべりも楽しかったー。M・ゾーヴァの話が出来る人に会えて嬉しい! あの絵の中のファンタジーとエスプリはもう群を抜いてるとゆーか、誰にも真似できないとゆーか、"ああいう絵が描けた(ちぎれた)らなーっ!"て思うんだよねぇ。あぁ、書きながら画集を開きたくなってしまったわ。一時期よく展覧会してたけど、最近とんと聞かないなぁ、もうやんないのかなぁ。てゆーか、まだ存命だよね? ちょっと不安になってきた…。

と、ここまで書いて一度「下書き保存」して、それからまたつらつらーっと書いて、往復の電車で読了した、パトリック・ネスの『怪物はささやく』について書いてて、ラスト1行で不意に消えた…何でだ!!! すごくうまく解説できてたと思うのに、みんな飛んじゃったよ! ちきしゃう! 明日、改めて書くわ。もーこれについては(今夜は)書ける気がしないので。

長居してしまったギャラリー「おくら北鎌倉」を辞したあと、雑貨屋さんなどを2つ3つ冷やかして、ハハの好物であるみそ煎餅と「鎌倉の塩」なるモノを土産に買い、ほくほく気分で帰路についた。鎌倉まで来て、紅葉も寺も見ないってのもどーかと思うけどね、そっちは人いっぱいで行く気になれんかったのよ。
にしても、東横-井の頭間の、まぁ遠いこと! ハラが立つほど迂回させられて、いつ完成すんのか知らないけど、横浜を遠いと思うのはこいつのせいだ! とマジで思うね。駅周辺が完成したところでこの遠さは変わらないであろうこともハラが立つ。これから銀座線も遠くなるみたいだし、井の頭が伸びる以外に気分よく横浜方面に行ける気がしないわ。

 MIW@&凱留狗工房二人展 ~11/26(日) 11時~17時(月、火、水休廊)
 飛び入りOKの豆本ワークショップあり http://yuu2017.jugem.jp/
 おくら北鎌倉 0467-50-0583






( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-11-20 01:49 | 行った観た読んだ | Comments(2)
爆発的ヒットとはならなかったものの、いまだにコアなファンを多く持ち、クリエーターたちに多大な影響を与えた前作『ブレードランナー』から35年(!!!)、その続編が本作。いやはや…ホントにやるとは思ってなかった、てのが1つと、ハンパなもん作ったらファンたちが黙ってないだろから作る方も必死だよな、てのとで期待と不安が交錯する中、1人で出かけた。かくいうあたしも前作のファンなのだ。どのくらい好きかってーと、とてもコアファンを名乗るほどではないにしても、「同じ映画を何度も観ることはほとんどない」あたしが、これだけは最低でも6、7回は観てるし、ベストムービーの不動の1位なのだ。前作の公開後、「ディレクターズカット」とか「完全版」を始めとして何本か作られた(という言い方でイイのかちと疑問だけど)のも全部観てる。なのでまぁ、「頼むから前作より劣るにしてもがっかりはさせないでくれよ」て感じだった。

そしてそれは裏切られなかった。「続編として完璧」という称賛の声も多々あり、おそらくは(また)爆発的ヒットには至ってないけれども、1つの映画として、続編として、いい出来だったと思う。2時間45分とやや長いけどね。

人に労役される存在としての人造人間「レプリカント」、そして彼らの犯罪を取り締まる側にいる捜査官「ブレードランナー」。彼らの闘いを描く…と書くとその響きのチープさに我ながら呆れてしまうな。確かにそうなんだけど、テーマはもっと奥深く、いろんな琴線に触れてくる。
圧倒的な映像美と(当時はまだCGではなく「特殊効果」だった。それでもそのクォリティーの高さと言ったら!)、おそらくは初めて描かれたと言っても過言ではないと思われる「退廃的な(現在の延長線上にある)未来」はそのまま踏襲して、かつ、物語は続編としての要素も充分に備えつつ進む。もし前作を未見のまま観ようとしてるなら、まずは前作を観ることからお薦めする。損はさせない。

正直な話、あたしは今作の主演のライアン・ゴズリンが好きではない。無駄な部分がないとは言えない気もするし、前作の謎は謎のままだったりする。(ここがコアファンの喧々諤々なところ) それでも「良かった」と言えるのは、前作に対する愛とオマージュに溢れつつもしっかりと世界を創りあげてるからだ。
30年前(ということになってる)の事件のあと、レプリカントの製造は一時中断され、そして人に従順で危害を与えることのない新型レプリカントが登場する。ブレードランナーたちが追うのは、旧型。すでに新型は社会に馴染み、最早人との区別はつきがたい。劇中も誰がレプリカントで誰が違うのか判別はできず、また敢えて語られてはいない。子を成すことができないはずのレプリカントから生まれた子供を世間から隠したい(消したい)警察と、使役させるためにその謎を解明したい製造会社と、レプリカント独立の柱としたいゲリラたち。三つ巴の渦中に翻弄されるブレードランナーが、ライアン演じるKだ。レプリカントとしての自分を充分に認識し、行動しながらも、そこには深い悲哀が漂う。彼が愛するのはただ1人、ホログラム+AIという、量産型(?)の恋人だけ。にしても彼女の何と「人間的」なことか! 比べる「人間」がいないのが残念だけど。

前作について語り出すとキリがないのだけど、本作もキリがなくなりそーだ。ラストシーンの美しさと切なさは、あとからじわじわくる。「謎」の方もまたじわじわくるけどね。あれ、あそこって何だったんだろう? とか、あの人はあそこで何を? とか、そういう類。35年前に主役を務めたハリソン・フォードがチョイ役ではなしに出てくれたのは何とも嬉しい。じーさん体型になりつつもアクションまで披露してくれてさ。彼がブレードランナーを演じたのは「スターウォーズ」と「インディ・ジョーンズ」の間の、一番脂が乗ってるときだったんだけど、まさかまたデッカードを演じるとは思ってなかっただろーね。でもいま、このタイミングで(前作の数年後とかではなく)やってくれて良かった。

帰宅してすぐ、「ブレードランナー」のサントラを探し出し、PCで聴きながら予告編の特別映像や、今作の前日譚となる短編を堪能した。(こちらも合わせて観ることをお薦めする) 
観る価値は充分にあった。
あ、最後にもひとつ。ハリソンが飼ってた大型わんこ、もふもふしたーい! やっぱ飼うならああいう大型犬だよなー。孤独な男に寄りそう犬はでかくないとね。








(´ー`)

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by yukimaru156 | 2017-11-09 00:39 | 行った観た読んだ | Comments(0)
人は、自分が暮らしてる星に対しても、自分自身が属するヒト科に対しても、こんなにも「知らない」ものなのか! と驚嘆してしまう。それに尽きる本だ。と同時に、よくこれを書いたな! てのと、誕生日に「普段買わない類の本を買う」ことを課して、本書を買った自分を褒めたい。これほど多分野にわたってあらゆることを語りつくし、かつ、「いかに自分(たち)が何も知らないか」を教えてくれる本はないと思う。
何からどう書けばこの本のおもしろさを伝えることができるのか途方に暮れるのだけど、まずは訳者あとがきから抜粋させてもらう。

旅行記作家である著者は、何を思ったか突然、科学の世界への探検旅行を試みた。選んだ乗り物は「好奇心」。「宇宙はいつ、どうやってできたのか(できる前はどうなっていたのか)」「地球の重さはどれくらいか(だいたいどうやって測るのか)」「原子は何でできているのか(それに、どのくらい小さいものなのか)」「細胞や遺伝子の中では何が起こっているのか(そもそも何かが起こるとはどういうことなのか)」などという深遠にして根源的な大疑問の数々を引っさげて、一線級の大学者や在野の研究者、好事家の門を叩き、世界各地の博物館や史跡を訪ね、さらには膨大な量の本や資料を読み漁った。対象分野は、天文学、物理学、化学、生物学、地学、数学、医学、力学、地理学、文化人類学、博物学、分子遺伝学等、多岐にわたる。(中略) そしてその旅の成果を同じ門外漢であるわれわれ読者の前に惜しげもなく披露してくれたのだ。

もうここに謎はない、という分野は、たぶん存在しないのだろうと思う。「ひとつの疑問が解けると同時に、それはさらに大きな疑問を呼んでしまう」とは、どこの章に書かれた言葉だったか。でも上に挙げたあらゆる分野でそう言えるのだ。凡人にはわからずとも、それを研究してる人ならわかってるんだろうな、と漠然と考えてたことをきっぱり否定された感じ。あ~、あたしたちって、自分が本当に何者かすらわかってなかったんだなー、と。(哲学の話ではないですよ)

難しく堅苦しい本ではない。むしろ、ページをめくるごとに「へー、そーなんだー、誰かに教えてやりたいな」と思うムズケズ感が続く。
生物(微生物)の誕生を右手中指の先端としよう。そして両手をまっすぐ水平にしたあと、左手中指の先端が現在とすると、ヒト科の歴史は『やすりを2回かければ終わる』程度の長さでしかない。(種としての歴史はとても短い) 地球を取り巻く空気の層は、『地球儀を2回ニス塗りした程度』だ。巨大な隕石が地球に向かってるとしても、その前兆は何もない。『熱を帯びるまでは肉眼では見えないし、そうなるのは大気圏に突入してからで、そうなったらぶつかるまで1秒もない』からだ。これだけ科学が発達して、天文台がいくつもあっても、「わからない」のだ。

マクロの世界もミクロの世界も本当に「途方もない」。知れば知るほどそれがわかるというか。けれど、人は貪欲に「知ろう」と努力してきた。「世紀の新発見」は、常にと言っていいくらい、最初は見過ごされた。
『まずは無視、それから批判、否定、嘲笑。その過程を経てやっと「新発見」になる』
のだそうだ。無名のまま、あるいは他の者に横取りされて、失意のうちに舞台から去った学者、研究者は多い。本書で取り上げられなかったら、後世にも伝わってなかったのではないかと思われるような出来事もふんだんに書かれてる。化石についても火山についても、恐竜についても、天体についても、そして人についても。

いかにも人間的なエピソードも多いし、そこがまたおもしろい。13歳の現地人と駆け落ちしてしまったために研究が続行できなかったとか、いがみ合ってた考古学者2人が競い合ったために膨大な成果があがったとか、博物学に興味を示した甥に『世界中から好きなだけおもしろいものを集めて来い』と言ってまず博物館を建てた男とか。ニュートンもアインシュタインも登場するけど、彼らに劣らない異彩を放つ人々の何と多いことか。それだけでも読む価値がある気がする。ちらりとでも興味持たれた方、ぜひ。
あ、余談ですが、昨日は本書タイトルを間違えました、ごめんなさいね。

今日はバザー用のダン箱を2つ作った。それと、封筒作って手紙書いて、シゴト行っておしまい。も少し何つーか、「実りある」1日を過ごしたいもんだわ。








( ̄ー ̄)

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by yukimaru156 | 2017-11-07 01:56 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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