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伝説とは「その人を直接知る人がいなくなったとき」に生まれるものなのだそーだ。その定義でいくとバスキアはまだまだ伝説にはなりそうもないが、やがてはそうなるのだろうな、と思う。彼の作品は結構好きな方で、1、2度、展覧会に出かけた。(ウチ帰って調べたら、89年のパルコギャラリーでのDMが残ってた。確か三越でもやった気がする。ポストカードが8枚あった)

70年~80年、いや90年半ばあたりまでは、N.Y.は気軽に旅行するにはちょっと勇気がいるところ、というイメージが強かった。自由と犯罪がコインの表裏になってるみたいな? 映画の冒頭で紹介されるN.Y.はホントにそんな感じで、「白人はみんな郊外へ」行き、「数多あるアパートの入居率は2~3割」、「埋まることはないと思われたアパートが保険金目当てに燃やされ」、「そこかしこで麻薬が廉価で売買」されてた。そして若者たちの暴発、暴走し続けるエネルギー。地下鉄は中も外も落書きだらけで、競い合ってスプレーを噴射されまくってた。

映画はそんな当時の状態を、いまでは一線を行くアーティストたちのインタビューを通して語られる。そして彼らに直接影響したバスキアのことも。

彼は1960年、ハイチ系アメリカ人の父親とプエルトリコ系の母親との間に生まれた。7歳のときには英語、フランス語、スペイン語を解し、8歳のときにはそれぞれの言語で詩、歴史、神話などを読んでたそうだ。美術教育は受けていなかったものの、母親は彼が芸術系に興味を示すことを喜んで美術館とかよく連れて行ったらしい。
ということを知ったのは残念ながらこの映画からではなく、帰宅してちょっと検索して知った。でないと全然わからなかったから。(展覧会行ったんだからそのくらいの知識はあって良さそうなもんだけどね…28歳で亡くなったのが「麻薬の過剰摂取」だったこともいま知ったくらいだ)

いろんなアーティストたちが彼について語るのだけど、と同時に彼ら自身の話にもなってしまうためか、肝心のバスキア自身がよく見えてこない。みんなに好かれて、作る作品は刺激的で、詩は「無意味そうだけど考えさせられてしまう、一度見たら忘れられない」と言うのだけど、その凄さ、というのがいまいち伝わってこないのはたぶん、実際に残ってるはずの絵なり詩なりがちゃんと紹介されないからではないかなぁ。絵を実際に描いてる(あるいは詩を書いてる)ライブ映像も残ってたりするのだけど、字幕を追うのが忙しいためか印象が薄い。むしろ、美術館で観たでかいキャンバスの絵を思い出して、脳内でそっちをメインにして話を聞いてた気がする。

「当時、絵描きはバンドを組み、ミュージシャンは絵を描き、映像を残し、アーティストというくくりの中に何でもかんでも組み込もうとしてた」のはよくわかる。カテゴライズの拒否、とも言えるし、それこそが「アーティストである」と主張してた気もする。
キース・へリングにしても(そういえば彼はエイズで亡くなったのだった)、「落書き=ストリートアート」から始まった彼らの絵は、いまではベラボーな額で庶民にはとてもじゃないけど手が出せないところにある。いま落書きしてる人の絵がそうなる可能性もあるわけだけど、それを分ける境? ライン? てのはどこなんだろうねぇ。インタビューに応えてた人たちはみんなして『彼が売れたのはちっとも不思議ではなく、その前からみんなが彼の才能を認めてた』と言うのだけどね。

初期のころ、バスキアがコンビ組んでた友人と名乗ってた「SAMO」は「いつもと同じ」という意味だそうだけど、ネットで見た記事では「日本語で言う「古き良き」だ」と解説されてた。んん~…そうなのかなぁ? 彼にとっては「描かずにはいられないから描く」からそれは「いつもと同じ」みたいな解釈でいいと思うのだけど。あたしがふと思っただけだよ、これは。

今日は早番仕事で、映画は夜最終回だったので、それまではBQから送られてきたマンガ読んだり(いつもありがたう!)、夕飯に「揚げないエビマヨ」作ったりしてた。明日はちゃんとちぎるつもり。ユーワクに負けなければ、ね。








( ̄▽ ̄)


by yukimaru156 | 2019-03-16 01:38 | 行った観た読んだ | Comments(0)
池井戸潤原作なので、大体どんな話かはちょっと想像がつくのだけど(半沢とか下町ロケなどのドラマは観てない。小説は2本くらい読んだかな)、いやはや何つーか…「ザ・メヂカラ対決」みたいな感じだった。「能役者vs歌舞伎役者」みたいな? 映画俳優はひとまず置いといて、とゆーか。

いまの現代社会での組織や会社の体系なんかは、まんま時代劇に通じるモノがあると思うのだけど、ホントにそれだなと思わされる映画だ。
「藩のために」が「会社のために」にすり替わってるだけで、「私利私欲」はどちらかと言うと薄く、むしろ「会社のため=社会のため」と思い込んでる人の方が多い。「藩(会社)の存続が第一」は、そこでだけ通じるモノで、社会の常識とはかけ離れてるのだけど、そうは思わないというか。大企業のオエライさんであれヒラ社員であれみんな「社畜」なんだよなーと思ったり。
(一度でかい会社の上の人に訊いてみたいと思ってるんだけど、「安全」と「納期」ってどっちが大事なの?)

医大の女子減点操作も先ごろ発覚した統計問題も根は同じところにある気がする。ゴーン問題もかもしれない。つまるところは日本の風土(環境)と日本人の気質からくる、実は誰かが告発したところで一朝一夕には変わらないものなんだよねぇ。それを再認識した、て感じかな。企業モノの映画や小説で「勇気ある告発=正義の勝利」な捉え方されたりするけど、それで一掃されてメデタシにはならない根深さを改めて思い知らされたりもする。

仕事中でも会議中でも居眠りばかりしてる、会社のお荷物としか見えない「居眠り八角(ハッカクと呼ばれてるが本名はヤスミ)」が実は…みたいな話で、池井戸作品らしいなー、なんだけど、そこで好き嫌いが分かれるのかもしれない。好きな人は好き、そーでない人はそれなりに、ね。
いろいろツッコミどころはあるのだけど、重箱の隅を突いても仕方ないかな。レビューをざっと読んだら、結構な高評価で「へへー」だった。いや、つまんないわけではなく、むしろスリルさもあって(余計なこと探ったら左遷させられるし、ノルマは絶対だし)、悪くはないんだけど「良かった!」でもない。

よく「キムタクは何を演じてもキムタクだ」と揶揄されたりするけど(キムタクは出てません、念のため)、マンサイも何やってもマンサイだなー、と思った。『のぼうの城』で「何かちょっと違う感」があったんだけど、この作品でも同様。特にラストの椅子の座り方。思わず「それは太郎冠者!」とスクリーンに向かって叫びそーになった。元エリートでもぐーたら社員でもない、彼の素養がにじみ出てしまってるんだねぇ。明らかにそこらの俳優とは違うそれを、いくら芸達者な人たちと並べたところで微妙な違和感は拭えないのだ。もっとも、それを指摘するレビューは見かけなかったから、そゆこと言うのはあたしだけなのかもね。

にしてもあとで見たキャストでびっくりしたのが「あれが世良サン?!」だ…ホントにびっくりした…うぅ~、あたしもトシ取った、てことなんだろーけどさー。ちょっとショックだったわ。
帰りにハハと「マンサイではなく誰か」て話になって、あたしが「大泉洋かな」と言ったら笑われた。『出てきただけで笑いそう』ってシツレーな。彼だったら…とは思わないけど、カシャ含めて「別の誰か」だったら、印象も違う作品になってただろーな。その良し悪しはわからないけど。










(◎_◎;)

by yukimaru156 | 2019-03-01 00:21 | 行った観た読んだ | Comments(0)
今日はお休みもらって、オタトモのKMちゃんと久々に会い、表参道にある根津美術館に行って来た。この展示は彼女からのお誘いだったのだけど、もう速攻で飛びついた感じ。根津美術館に行ったことなかったので、それもちょっと楽しみだった。

酒呑童子(て漢字すら変換できないケイタイにイライラするわぁ)の物語は14世紀には確立してて、多くの絵巻や絵本になってはいるけど、絵巻物を通しで見れる機会てのはなかなかない。

紹介されているのは19世紀に描かれた8巻からなる大作で、酒呑童子の生い立ちから描かれている。彼が一度は更正したものの、結局酒によって再び悪童となり、やがては源頼光と渡辺綱ら四天王に退治されるまでが丁寧に描かれていて、ナマでこれを観れて良かったな〜、とつくづく思ってしまった。KMちゃんに誘われなかったら展示されてることも知らなかったもんなー。

根津美術館はすこぶるキレイで立派な建物なんだけど、さらに素晴らしいのがその庭で、これまた一見の価値あり。季節によっていろんな表情を見せるだろう日本庭園だから、また良さげな展示やってたら再訪しよう! とホクホクしながら表参道から原宿まで歩いた。

新宿に出て、ちょい早い夕飯、それからケーキセット、そしたまたドリンクと、ひとつの店にたっぷり5時間いた…オンナの言語中枢ってどうなってんだろね。

浮世絵について語りだすと長いよ〜と断っていたんだけど、浮世絵ハガキのコレクションが見たいと言ってくれたのでアルバムを持参し、国芳の絵の素晴らしさから百鬼夜行、地獄太夫、春画に至るまで語らせてもらった。興味持って聞いてくれると、つい熱が入るね。
あ〜、またなんかいい浮世絵を観たくなったなー。

今日はよく歩いたし(一万歩いってた)、よくしゃべった。楽しい1日過ごせて満足だー。







o(^-^)o

by yukimaru156 | 2019-02-16 01:54 | 行った観た読んだ | Comments(0)
大杉漣初のプロデュース作にして遺作という、失礼を承知で言うと"そうでなかったら観ることなかったかな…"とも思える作品。近所の映画館でやってたのと、明日がラストってことでちょっと迷って行ってきた。

教誨師とは、「受刑者に対して道徳心の育成、心の救済につとめ、彼らが改心できるようつとめる人」であり「我が国では諸宗教の聖職者がボランティアでその任にあたる」とある。聖職者ってことは、神父牧師に限らないのかな、とふと思ったけど(お坊さんの場合もあるのか?)、そこのとこには触れられてない。この作品では大杉が牧師。

ほぼ密室での、説法、説教とも違う会話が佐伯(大杉)と6人の受刑者(会うのは1人づつ)との間で繰り広げられる。終始黙り込む者、饒舌に語る者、ただのおしゃべりおばさん、自己中の若者、家族想いの父親、気弱なホームレス。全員が死刑囚だ。
佐伯は1人1人と真摯に向き合い、改心を迫るというより(それもあるのだけど)、対話によって何かを掴もうとする。でもその「何か」は実は彼自身にもよくわかってないのではないか。

『誰でも、どんな人でも、殺されていい命なんてないんですよ』
『でも死刑にするんだろ』
この言葉に詰まらない聖職者なんているのかと思う。(余談だけど、死刑制度のある国はEUに加盟国できないのだそーだ、知らなかった)

死刑制度の是非についてここでは語らない。でも被害者家族にとってこの制度は「救い」であるということは否定できないと思う。そして彼らの心情を考えると「改心させてから昇天させる」ことに意味はあるのかなぁ、とも思うのだ。これは映画を観る前から思ってたことだけど。心から改心して、申し訳ない申し訳ないと泣く人を死刑にするのって、どうなんだろう。
『オレを救いたいんじゃなくて、自分たちが救われたいんでしょ』
これもまた、簡単には否定できない台詞だ。
被害者遺族の側にとって加害者が「改心して心穏やかに死ぬこと」が果たして「救い」になるのかどーかもわからないし。(むしろ苦しんで苦しんで後悔して死ね、ではないのかなぁ?)

恐らくはストーカー殺人を犯した男(ここでは誰がどんな罪で死刑囚となったのかよくわからないままだったりする)が、あるとき殺した女性が夢に出てきて『ごめんなさい』と言っていたと言う。それまでずっと沈黙してた彼が晴れやかな顔をして『だから赦すことにした。ここを出たら結婚するのだ』と。改心とは別の方向に行っているとしか思えない理屈(?)だけど、だからと言ってそれをどうすることもできない。

佐伯は、6人それぞれとの対話を通して、自身とも向き合うことになる。彼とて完璧な聖職者ではないのだ。苦悩し、制度そのものに疑問を持ち、「ときに虚しくなる」自分に戸惑う。それでも続けるのは「わかりたい」から。受刑者に「寄り添う」ことでその虚しさの穴を埋めたいから。その虚しさが埋まることはないようにも思ってしまうのだけど。

映画としてどうだったか、とゆーと、う~ん…とちょっと唸ってしまう。教誨師という仕事に尊敬を抱くべきなのかもしれないけど抱けないし、彼らの対話を通して何かが解決するわけでもない。むしろ虚無の深淵がさらに濃くなったような気さえする。ではどうあればよかったのか、てのもよくわからないのだけどね。
しかし何だ、刑務官(教誨室でただ付き添ってるだけだけの人)、受刑者の態度を監視してるはずなのに反応鈍すぎる! ダメだろ、それじゃ。

にしても、この作品を撮り終えた直後、すぐ次の「教誨師2」の構想に取り掛かってたというから、大杉氏の思い入れはいっぱいあったんだろうな。まだまだ活躍できそうだったのに残念だ。冥福祈ります。

ハハは千葉房総の「隠れ家レストラン」までドライブし、その古民家レストランの土産として「あわび、さざえ、房総海老」を持ち帰ってきてくれた。それぞれ自分で焼くのだそーで、もちろん焼いたのをくれたわけだけど、もー素晴らしく! ハラショーに美味しかった! 夕飯はエビマヨを作ってみようと解凍しておいたのだけど、それがあったので何もいらん! て感じ。食べながら、あわびとかさざえとか、あと牡蠣なんかもだけど、美味い海の幸って、なぜか見た目はグロいよね。あれは何でだろね。最初に食べた人って勇気あったなって思うわ。










( ̄ー ̄)

by yukimaru156 | 2019-02-01 00:25 | 行った観た読んだ | Comments(0)
最高学府で分析学その他の博士号を持ちながら、共著であるはずの教授ですら『難解すぎて説明ができなかった』とか言われて研究費削減、果ては教授職まで失い(しかも恋人には伝えられず)、途方に暮れるところへ生徒にまで裏切られ、失意のどん底に落ちた男は、同様にして職を失った昔の同僚を尋ねる。かつてはその明晰な頭脳で数々の論文を発表したにもかかわらず、いまはレストランの下働き。男は、生徒に一服盛られた「合法ドラッグ」の話から、『あんな安物で儲けられるなら自分たちはもっといい物が作れる』と言い、そして自分の発案に「それしかないのでは…」と思い込むようになる。

『この頭脳を使わない手はないじゃないか、何で俺たちがこんな仕事をしなくちゃならない?』
かくして集められた元同僚たち(全員が教授職に就いていたにもかかわらず低賃金の労働に勤しむか、ヒモ同然の暮らしをしている)は、「刑務所行きはごめん」と言いつつも、それぞれの得意分野から、また「作るモノは合法」の誘惑から逃れることができない。民俗学の権威は「どんな職業でも対応できる」と豪語して麻薬ディラーに、考古学教授は「考古検証のための車は検問にかかることなく、また調べられることもなくどこへでも(薬を)運べる」と言い、分析学、統計学、そして数学に強い元教授たちは「より純度の強い合法ドラッグ」の完成のために日用品のあらゆるものをかき集め、金曜夜の人のいない大学研究室に忍び込んで薬の製造に励む。

前半の彼らの会話は専門的すぎて内容がわかりづらかったりもするのだけど、ドラッグや金儲け以上に「得意分野に関われる喜び」に嬉々としているさまは、無邪気な子供のようでもある。「いつだってやめられる」と言いつつ、そーはいかないのは目に見えてるのだけど。
堅い仕事に就きながら干されて、その頭脳を活かせない仕事に渋々従事していた男たちが思わぬ大金を手にしたらどうなるのかはもーわかりきってて、挙句は同様にして麻薬売買してたギャングに狙われたり(元締めが実は「流体力学の教授だった」てのは笑えた)、警察に『「研究者ギャング」の存在を私たちが知らないとでも?』とか言われる始末。

それでまぁ、想像通りの結末まで、正直なところ「コメディだけど新味はない」から「ドタバタも笑えない、クスクス程度」で終わってしまう。キャッチコピーの「空転、急転、逆転」に、ちょーっと期待しすぎてしまったかもなー、と思ってしまった。このコメディ、なかなか人気だったらしくて3部作にもなってたしね。近所の映画館でこの3部作を上映中だったから、よかったら次も行こう、と思ってたのだけど。
そーそ、劇中、ホントに唐突に日本語の看板が出てくるのには笑ったな。それが間違った漢字とかではなく、カタカナ縦書き、てのがおかしくて。文体もビミョーに間違ってるし。

でも「得意分野を活かせない苦しみ、切なさ」は笑うに笑えない現実でもあり、それが固い仕事に就いてた人たちならまた尚更、なところもあって、やっぱりちょっと笑えなかったなぁ。

夕飯は、先月ギフトカタログから取って冷凍しておいた「近江牛」の焼肉。近江牛と松坂牛のどちらがどーなのか知らないけど、うっわー、こんなに美味いもんかー、て感じだった。つい食べ過ぎた。キャベツもたっぷり焼いたんだけどね。それを、鬼おろしで卸した大根おろしと自家製ポン酢、七味で食べたんだから余計(?)美味しい。いただけたことに感謝、だ。

明日もお休みだ。そろそろ「有意義なこと」しないと自分がさらなるダメダメ人間になりそーで困るわ。









( ̄ー ̄)

by yukimaru156 | 2019-01-10 01:56 | 行った観た読んだ | Comments(0)

  新宿末廣亭 初席

寄席は、1ヶ月を3つに区切り、それぞれ上席、中席、下席、と呼ぶ。でも正月の場合はこの上席を「初席」と呼ぶのだそーだ。
「初笑い」に行こうか、てことでハハとこの「初席」を観に出かけたわけだけど、いやはや…こんなに混んでるとは思わなかった! 開演30分前(2時半)に着いたにもかかわらず、末廣亭の前には長蛇の列。並んでみたら整理券の有無を聞かれ、持ってないと告げると『すでに整理券の配布は終わってるのでこちらの列へ』とゆーので、改めて別の列へ…並びつつハハと『これはもう無理なんじゃない?』『諦めて別のとこ行こうか』『どこがいいかな』なんて会話をしてたら、案内の男性が『まだ座れます』と言ってたので半信半疑でちょっと待つことにした。

3時には始まらないんじゃないかと危惧してたけどちゃんと入場できて(高座前の椅子席ではなくて両脇にある桟敷席だけど)、ちゃんと3時に始まった。すごい。

この初席、通常の落語と違ってともかく噺家が大勢でる。いつもの倍は出るのだそーだ。だからもー展開がめちゃ早い。次々と出てきては一席笑かしてくれてすぐ代わる。「顔見世」的な要素も含んでるのかもしれないな。何たっていま、「噺家」てのは600人いるらしいから。すごいよね、この人数。ちょっと前まで300人とか聞いてたのに。世襲制じゃない伝統芸能ってのは入口広いからねぇ。

落語だけでなく、「紙切り」や「三味線」「漫談」(それぞれの正式名称はわかんないけど)とかがあって、もーホントにどこまでがボケなのかわかんないよーなよいよいのじーさんたちが出たりもするのだけど、それはそれで笑えるというかね。クスクスからあははまでたような笑いが絶えなかった。
中でもハハとちょっと感動したのが「江戸売り」の声。かろうじで馴染みのある拍子が『えぇ~、きんぎょーえ、きんぎょぉぉ~』あたりかな。豆売りでも魚でもそれぞれ独特の拍子や節回しがあって、すごいなそんなしゃべりをしてたのか、と思うよな長い口上(?)もあって、初席故に時間が短いのが惜しかった。

落語はその時代時代に合った戯れ言や時事ネタなんかを盛り込めたりするので、最近の若者(高座に上がる噺家たちの弟子とか)の話や何かもおもしろい。除夜の鐘を打ちに行ったら整理番号が55で、『打つ前に噺をひとつ』とか無茶ぶりされ、じゃああたしの前の54人は? と言いつつ『ニッサンと掛けて除夜の鐘と説く そのココロは「みなさんで」』『ゴーン』とか。(これで合ってたかなぁ…何と掛けてたか忘れてしまった…)

3時開演で6時半終了。桟敷席だったのでちと足や腰がしんどかったけど、ハハとひとしきり笑えて楽しかった。入場のとき、張り紙に「今夜は三遊亭円楽が出演します」とあったので、へー、彼がトリなんだー、と思ってたんだけど、その前に桂米助が出てきてちょっちとびっくり。落語はトリに近づくほど(さすがの熟練者揃いで)面白味が増す。安心して笑える、というのもヘンだけど。
落語がブームなのかどーかは知らないけど、600人も噺家がいたら層が厚くなって頼もしいね。『落語家協会、てのがありましてね。略して「ラッキョウ」なんですが、どこぞの協会と違ってパワハラってのがないんですよ、ほんと。パワーのある人いないんで』と、真打ち前は師匠ら上を茶化して笑いを誘い、大御所らは『イケメン落語? 誰が言ったんですか、ンなもんいませんよ』と弟子を茶化す。それ自体がもー連綿と受け継がれてきた「伝統」なんだろね。

新宿の人の多さにへきえきしつつ(今日が仕事始めで、しかもハナキンなんだね)、ハハと夕飯を食べて帰宅。楽しい1日だった。帰りに閉店間際の本屋で『BEASTERS』買っちゃったし。











( ̄▽ ̄)

by yukimaru156 | 2019-01-05 02:02 | 行った観た読んだ | Comments(0)
11月に個展? ぜったい行きますぅ~! なんて言ったことをすっかり(てわけでもないけど)忘れてて、25日までだったのでバタバタと慌ただしく銀座まで行ってきた。銀座線の駅はもう移動したのかと思ったけど(つか、ハハがそー言ったのだ)、まだだった。絶賛工事中、てとこかな。もー何線がどーなってどこに繋がってるのかわけわかんなくなってきてるよなー。

三好まあやさんは国分寺のくるみギャラリーで知り合った。おいくつなのか知らないけど、たぶんあたしよか1廻りは上だと思う。も少しいってるかなぁ。どーも悪くて聞けないのだけど。
彼女は造形的なこともするけど(ちょこっとしたアクセとか布物とか)、基本は絵。ドライポイント? て言うんだっけ。技法的なことはさっぱりわからないのだけど、英国の血が半分入ってるせいか、色彩とか雰囲気があちらっぽいんだよね。どこが、と言われる困るのだけど。

DMにも使われていた、椅子1脚が中央にあって、その周辺を彩る色とかコラージュ的な背景が素敵で、DMもらって来るんだったなー、とか思ってしまった。もらったから行けたわけだけどね、裏が白紙の、てことね。

ゆっくり絵も鑑賞できて、3、40分ほどお話できて、『もう帰るの』とか言われてちょっと後ろ髪引かれる想いでギャラリーを辞して、昼食にABCラーメンに入った。古くて小さい店だからまだやってるのかちょっと不安だったのだけど、やってた。たまにここの魔女ラーメンが食べたくなるんだよ。そう思いつつなかなか行けなかったので、今日は行くぞ! と思ってて、まあやさんの個展がメインかこちらがメインなのか…なキモチだった。(まあやさんには失礼かもだけど) 

せっまい階段(店はマツヤの向かい側、吉牛の地下)を降りてったら、階段壁に「創業41年目です!」みたいな張り紙があって、そーかすごいなー、と思いつつ中へ。何か入るのにちょっと勇気がいるところかもだけど(狭いし暗いし)、ここのラーメンは美味いんよー。お気に入りは魔女ラーメンだけど、この魔女ラーメンも味噌、醤油、そして銀白(とんこつ)の3種ある。辛口担々麺、て感じかな。
多国籍なあんちゃんたちがやってて、1人だと言ったら4人席に通してくれた。お客さんはちらほらいたけどほとんど1人客。で、食べてたら(やっぱり記憶どーりの美味さだった)、欧米人らしいカップルが入ってきて、そのあとまた観光客らしき2人組が入ってきて、それから3人の中国人が来た。あたし、カウンターでも良かったんだけど、もう食べ始めてしまったしなー、とか思ってたら、うちの1人が(店員が案内する前に)あたしの席の向かいにカバンを置いたのでびっくりしてしまった。『相席で』と言われたとしたら承知したかもだけど、何も言われないのにそれはないだろ…と思う間もなく、店員がさっと制して奥へ誘導してたけどね。

もー会計のときに出すのが恥ずかしいよな、ボロボロの「50円割引券」を出して、950円の魔女ラーメンに100円の煮卵トッピングしたので合わせてちょーど1000円。満足満足。そんでまた割引券もらっちゃうんだよねー、そんでまた捨てられずにいつまでも持ってることになるんだよね~。

ホントは時間あったらご無沙汰してしまってるH画廊まで足を伸ばしたかったのだけど(「個展に行けなくてごめん、入院・手術してた」なんてハガキもらっちゃってたし)、夕方からシゴトなのでそのまま(ハハへの手土産買って)帰宅。ひと休みして出かけた。
何だか…いや、びょーいんにとっては「平日」なんだけど、それにしても…なわたわた加減だった。昨日の祝日(休診)は、あたしが帰ったあとの午後も大変だったそーで、「やりきれなかった仕事」も残ってたし。夜になってパン生地(ナマ)を食べてしまったわんこが来たんだそーで、これはひじょーにまずいらしい。胃の中で発酵して胃捻転を起こす可能性もあるとか何とか、そんな話だった。『50グラムのうち45グラムまでは吐かせることができたんだけど…』なんて、センセたちも大変だったなぁ。ご苦労さまでした。

今日の帰り際もそんな感じでね、自分の仕事が終わってしまったので帰らざるをえなかったのだけど、朝から詰めてるセンセたちがまだ残らなくてはならない状況、てのはつらい。早く帰れてたらいいのだけど。









(゜-゜)

by yukimaru156 | 2018-11-25 02:27 | 行った観た読んだ | Comments(0)
「良くも悪くも、観たら聴きたくなる」という評価はホントにそう。格別のファンではなくても、ましてやいまの若い、彼らを知らない世代も「もっと聴きたい」と思うだろう。ただ残念ながら、それと映画としての作品評価は別だ。

決して貧しい暮らしではなかったものの、厳格な父と折り合いがつかずに夜遊びしてるフレディが、とあるバンドの『ヴォーカルがいなくなった』という会話を耳にして自分はどうか、と持ち掛けてみる。即興で(?)、路上で歌った彼はそのままライヴへ出ることに。(余談だけど、彼が「過剰歯(列?)」で「だから音域が人より広い」てのを初めて知った)
それからとんとん拍子(に見える)でファンを獲得していく彼らはやがて「クィーン」を名乗る。以降は彼らが生み出した楽曲の数々。合間にフレディの私生活、日常、恋愛、挫折、裏切り、和解、そして彼を死に至らしめるエイズの発症。

あたしはコアなファンではなく、むしろ彼が亡くなったとき(大学生かな)、そのころの常としてラジオなんかで追悼としてやたら流してたのを聴いてるうちに"いい曲だな"と思ってCDを買った、という口。それまでも知らなくはなかったけど、CDを買うまではいってなかったんだよね。そんでまとめて聴いて、好きなアーティストの1人(1組)にはなったけど、次々とCDを買い…とはならなかった。

だから彼らについて知ってることはホントに少ない。バイセクシャルであったことと、のちにエイズで亡くなったことくらい。だから映画で「知らない彼を知りたかった」のだけど、そこは叶えられなかった。
フレディがそれまでのアーティストとは異なる異質の才能を持ってたとして、その源泉はどこからきたのか、彼の自分の性癖に対する苦悩も、「クィーン」としての紆余曲折も予定調和のようにさらりと描かれるだけでそこに「深み」はなく、あぁ、この曲はこうして生まれたのか~、という感慨も意外に薄い。てゆーかむしろ"せめてその曲は全部聴かせてよ!"と思う。つか、そういうのがちと多過ぎる。(だから帰宅したら聴きたくなるのだ) 

ラストは彼が自らの死を意識して歌う、世界配信された「ライヴエイド」での21分なのだけど、そしてそれを聴きながらちょっと涙腺が緩んでしまったりもするのだけど、『実際に残ってるライヴ映像の方が凄い』と言うレビューを読むと"そうかもな"と思ってしまう。(曲制作の時系列がバラバラである、という批判も散見するけど、そのあたりはあたしにはわからんので「そうなのか」と思うだけだ)

フレディ以外はまだみんな存命してるわけで、彼らの「想い」というのもあると思うのだけど(インタビューでは絶賛してたけど)、何かあのカリスマ性の割には「そこらのバンドマンたちのよくある話」みたいな感じでまとめられてしまったなー、てのが正直な感想だ。悪くはない。けど、良くもない。
劇中で何度も繰り返される「家族」という言葉は、クィーンが決してフレディ1人の才能とカリスマに寄って成り立ってたわけではないことも示しているけど、そこをもっと掘り下げても良かったんじゃないかなぁ。

あれだけ「常に違うもの、新しいもの、まだ誰も聴いたことのないもの」を目指して数多の曲を生み出しながら、それでも「クィーンらしさ」が消えることはなかった。それが一番「すごいことだ」とあたしは思う。そしてその凄さ(凄味)は、フレディだけでは生まれなかったものでもある。ということが、もっとぐっと伝わってこればもっと良かったのにな。残念。

あたしは初めて『WE WILL ROCK YOU』を聴いたとき、何だかわかんないけど腹の底から「やる気」が湧いてくるような、えらい感動を覚えたんだけど、そういう、ガツンと直撃喰らったような感覚をここで味わいたかった。『地獄へ道連れ』とか、もっとたっぷり聴かせてくれても良かったんじゃないのかなぁ。「長すぎるからダメだ」と言われた『ボヘミアン・ラプソディー』ですら、全部は流さなかったもんなー。タイトル曲でもあるのに。

さて、明日からあたしゃ5連勤だけど、巷は3連休だね。みなさんいい週末を。








( `ー´)ノ

by yukimaru156 | 2018-11-23 01:00 | 行った観た読んだ | Comments(0)
何かいいタイトルだなー、と思って手にしたのだけど、著者の造語だと思ってたら違った。ペンギンたちが海から陸にあがるときに決まってたどるルートを「ペンギン・ハイウェイ」と呼ぶのだそーだ。知らなかった。(なぜペンギン・ルートではないのだろう? ハイウェイの方が断然カッコイイけどさ)

穏やかな、郊外の新興住宅地に突如、ペンギンが現れる。それもホントに唐突に。近くに海などないにもかかわらず、道路を集団でヨチヨチ歩いてるのだ。どこへ向かおうとしてるのか迷っているようにして。発見した小学4年生の「ぼく」は集団登校の最中。ペンギンはちょっとした話題になったものの、トラックで運ばれて「荷台を開けたら消えていた」。4年生にしてはやたら頭のいい、故にとてもこましゃくれてるしときにとても生意気ではある「ぼく」、アオヤマは、父親から「毎日の発見をノートに書くこと」を勧められていて、何でもかんでもノートに書きつけていた。そして彼は「ペンギン考察」の中で、そのペンギンを生むのが歯科医院のお姉さんであることを知る。誰もいないバスターミナルで、彼女はコーラの缶を放り投げて「ペンギン」に替えて見せたのだ。
『この謎を解いてみたまえ、少年』
かくしてアオヤマ少年の、ペンギンとお姉さんと新たに発見された球体の「海」を巡る考察と実験と仮説と冒険のめくるめくひと夏が始まる。

森見登美彦の本はこれが2冊目、かな。前回の『有頂天家族』と比べると…『有頂天』の方がおもしろかった気がする。この人の持って廻ったような文章には好き嫌いがあると思うけど、それは置いといて、ファンタジーはファンタジーでもこの「はぐらかされた感」はちょっといただけなかったかなー。何でもかんでもノートに書きつけるアオヤマの「おっぱい考察」とかおもしろいけどね。

万城目学も似た感じではあるのだけど(日常の中の非日常が違和感なくするりと入りこんでくることをいつのまにかすんなり受け入れてしまってる、みたいな?)、好みで言えば万城目の方かもしれない。どう違う、と言われれると説明できないんだけどね~。そーだな、「万城目作品はドラマになる、森見作品はアニメになる」感じ? 余計わからんか。でもCG使えばどんな映像も可能ではある昨今だけど、アニメになった万城目作品はちと想像しにくいし、実写になった森見作品も同様なんだよね、不思議なことに。

姪にあげるつもりで買った本なんだけど、どうしようかなぁ。(惜しいわけではなくて、オススメ、とは言えないのだ) 万城目学の『鹿男あおによし』も同封すればいいか。

朝から肌寒くて、昨日カーペットに替えておいてよかったー、と思ってしまった。午後にはずい土砂降りになったしね。びょーいんの方も忙しくはなくて、あ、でも「食糞」わんこにはびびった。一昨日、昨日と「シッコしてタオル替えたらンコする」ので、待ってたらなっかなかしてくれなくて、替えたらンコして、それで"ったくしょーがないなー"と替えようとしたら! 人の顔見ながら出したソレをパクパクっ、と食べたんだよ! 『どーだ、取られる前に食べてやったぜ!』みたいなドヤ顔で。毛足の長い、かあいいパピヨンのくせに食べるか、自分のンコを! センセに言ったら『あー、いるんだよね~』で、カンゴシさんは『散歩のときも食べようとしてたから阻止しましたよー』。何か2人して「フツーのこと」的反応であった。飼い主サンはこの事実を知ってるのか?
食糞て、知ってたけど初めて見た…なかなか衝撃であった。









(@ ̄□ ̄@;)!!

by yukimaru156 | 2018-11-07 02:06 | 行った観た読んだ | Comments(0)
朝から雲行きが怪しくて、ハハと出かけ始めたらぽつぽつ…あたしだけ急いで戻って洗濯物を取り込み、傘を持って歩きではなくチャリでハハを追いかけた。
今日のオデカケは三茶での北海道フェア。これを知ったのは三茶アート楽市で、チラシ配ってた女の子(学生で地域振興の広報、宣伝なんかを勉強してるとゆっておった)が、広報活動そっちのけで(?)、あたしの豆本にハマり、それはそれでありがたかったからこちらも行ってみよーかな、とね。

場所はアート楽市の近く、太子堂出張所前のふれあい広場。小雨が降ってたけどここは屋根付きなのでありがたかった。まあ混んではいたけど、このお天気ではガチャ混みてほどでもなく、北海道の水産品、食肉加工品、農産物、工芸品等が並んでた。町名を掲げられてもわからないとこばっかだけどね。
「百貨店の北海道展ではお目にかかれない特産品ばかり」だそうだけど、そもそも百貨店の物産展に行かないから"そう言われても…"ではあったのだけど、売店の人たちはみんな愛想がよくて元気で、ちょっとした会話でも楽しかった。いろいろつまみ食いさせてくれるし。ただ、ハハはこれがあまり好きではないんだなぁ~、残念なことに。『だって食べたら買わないと申し訳ないじゃない…』だってさ。まーキモチわかるけどね。

どれもこれも美味しそうで困ったけど、まいたけの炊き込みご飯(お米付き)とか、きくらげ(すごくでかかった!)とかルバーブジャムを買った。ほっけの干物とか美味しそうだったけどね、先日買ってしまったし。でもソーセージとかジビエとかは買っちゃっても良かったのになー。あとでちょっと後悔したりして。

ハハの誕生日にご所望のジーンズを買う、てことで、買い物のあと昼食(またラーメンになってしまった…雨であまり歩きたくなかったので)、それからムジへ。あ、その前に島村にも行ったんだった、ハハご所望のTシャツを買いに。季節が外れるからいいのはなかったのだけど、『いま着るジャケットが欲しい』と言ってたらイイのを見つけてあげることができた。これはよかった。ジーンズもいいのが買えたし(3999円が今日まで2999円だった! 自分の分も買った)、いつのまにやらえらい荷物になってた。

そーそ、先日ハハが『昔のベルトを処分する』とゆーので、欲しいのがあったらもらおう、と思ってたのね。で、何本かあったのだけど、みーんな細い! 試すたびに『こりゃダメだ…』になり、ハハが『ひひひ』と笑ってた。『昔は細かったからね~』
にもかかわらず! 今日買ったジーンズはあたしと同じサイズだったのだ。今度はこちらが「ヒヒヒ」だ。でも洗濯のとき、誰のかわかんなくなるから、何か目印がいるなぁ。

帰宅したらじきシゴトへ行かねばの時間で、ばたばたと出かけた。
今日は毎年インチョたちが(病院代表として)参加する「動物フェスタ」の日で、あいにくの雨で、中止ではないものの繰り上げで早めに終わったらしい。砧公園で開催される、近隣のわんこたちも集合する、結構にぎやかなお祭りらしいから、一度行ってみたいなと思うんだけどね。
ま、そんなわけでインチョたちもいて、今日も休診日だけど患者サンも来て、おまけにこのフェスタでは「高齢者表彰」てのがあり(区内に住むわんこにゃんこで15歳以上の子たちは表彰されるのだ)、その表彰状の封入、名前書き作業なんてのもあって、やることてんこ盛りの日だった。

とは言え、お休みの日だからシゴトも早く終わり、帰宅も普段よりは早かった。ので、『ペンギンハイウェイ』を読んでた。早く読了して姪のHRに送ってあげたいと思うのだけどねぇ~、明日発送は無理かな~。









(´ー`)

by yukimaru156 | 2018-11-05 01:50 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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