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カテゴリ:行った観た読んだ( 501 )

先端科学と神話、あるいは民間伝承。両極にあると思われるものが実は意外にも近しいのでは、となるとこれはもう「ファンタジーの境界て何だ」てことになる。星野之宣作品を読むと大抵そんな気分になるのだけど、本書もそう。本筋とは全然関係ないけど、A・C・クラークの『高度に発達した科学は魔法と同じだ』なんて言葉も思い出す。最初はふむふむと物語に没頭しながら楽しく読んでるのだけど、気づくと実はとんでもない深淵を覗きこんでたことに気づき、かと言って引き返すこともできず、時折戻ってくる現実(科学が幅を利かせてる日常)にちょっとほっとして、でも一度覗いてしまった深淵からも目を離すことはできない。どっちを見てれば落ち着くんだ? とも思うけど、そう思うこと自体が無意味とゆーか、おかしなことなんだよな。深淵は見られるためにそこにあるのではないのだから。

つまりね、本書に感動することはできるけど、それを説明することはできない、て話。

『言語は性能の悪い受信機みたいなもので、世界の姿を粗すぎたり歪めたりぼやかして見えにくくしてしまう。「言語で考える」てことは決められた型に押し込めて、はみ出した部分は捨ててしまうということなんだ』

かつては人も確たる言語を持たず、ただの「気高い獣」であった。文明を築くことで多くの物を得、これからまださらに多くの物を得られるつもりでいるけど、本当にそうだろうか。それまでに失くしてきた物がどれほどあるのか考えたことはあるだろうか。「死」は「ただ形を変えるだけのこと」であるにもかかわらず、なぜ人だけがそれを恐れてしまうのか。民間伝承より科学の方に救いを求めてしまうのはなぜなのか。
人がこの世界において「知っていること」は、とても少ない。ミクロの世界でも、マクロの世界でも。それを痛感させられたのが以前ここで紹介したビル・ブライソンの『人類が知っていることすべての短い歴史』なんだけど、本書もそれに近いものがあるかもしれない。

1人の少女が出会った、ジュゴン(海獣)に育てられた不思議な少年たち、空と海。彼らの特異性は単に「海で育った」ということだけではなく、全国の水族館から魚が消える現象や、鯨の、これまでに観測されたことのない歌、習性とは異なる群れ方、進み方をする魚たち、次々と浅瀬に現れる深海魚とも繋がって、やがて「リハーサル」を経て「本番」が始まる。壮大な創世記の話ではなく「創星記」なのだ、これは。

1巻の初版発行は2007年。完結したのが2012年だから、5年近くかかったわけだけど、こういう話を5年かそこらで描いたことの方が驚きでもある。どういう頭脳を持ってたら、こういう話を思いつき、描くことができるんだろうか。発想だけではない。膨大な資料を読み込み、海にまつわる伝承を探り、集約させ、紡ぐ力。すごいわ。
最後はちょっと「うまくはぐらかされたような」、納得できたのかできてないのか…て感じではあるのだけどね。そこは評価が分かれるのかもなー。

以前から本屋で見かけるたびに気になってたのだけど、絵柄がちょっとどうなのかな、てのと、それで怖い系の話だったらイヤだなと思ってたんだけど(ネットで評価とかを探ることはないので)、映画化されたことで1巻だけ試し読みできたから買うことができた。良かった。試し読みできてイイなと思っても、すぐ手に入る機会があるわけではないからね、そういう意味でも良かったよ。









( ̄▽ ̄)



by yukimaru156 | 2019-07-01 01:50 | 行った観た読んだ | Comments(0)
あたしの展示会なんかにはよく来てくれるのに、こっちからはずーっと行きそびれてて、毎度毎度"申し訳ないな~"と思ってた、パステル画の柏木サンの展示、ギャラリーコピスでの「私の好きな詩」に行ってきた。
午前中のうちに出るつもりが、11時半という、ギリギリ午前中? てゆーか、そのために早く寝たんだから早く起きろよ自分! て感じだった…おまけに雨だし。

ギャラリーコピスは清澄白河駅近くにある。以前あったのも同じ駅だけど、場所を移転したので行くのは初めて。DMをひっくり返したり何度も通りを確かめたりしつつ、迷いながらも何とか到着できた。良かった。目印のコンビニが見つからなかったのでどーしよーかと思ってたのだ。(代わりに「深川資料館」とかいう、何とも興味惹かれる場所を見つけてしまったので余裕があったら寄りたいと思ったけど、余裕のヨの字もなかった…)

今日が最終日なので在廊予定になってたけど彼女はまだ来てなくて、オーナーと友人らしき人がおしゃべりしてた。お茶をいただきながら、7名の作家さんの「好きな詩」と合わせた絵をゆっくり拝見する。
柏木サンが選んだ詩は意外にも(?)万葉集で、でも彼女のパステル画と違和感なくてイイ感じだった。北原白秋の「夜」だったか「黒」だったか、そんな詩についた黒猫の絵も良かったなー。この人は絵本作家さんらく、絵本も置いてあった。あとの人の絵は…てゆーか、詩をつけてない人もいて「???」だったりしたけど、まぁそれなりに? かな。

で、ひととーり見たところで柏木サン…ではなく、名前があったからいるのは知ってたのだけど、かつて自分が在籍してた絵本作家集団「ナイーブシンクタンク」で一緒だった岩國サンが入ってきてびっくり。あちらもびっくりしてた。『あたしのこと、覚えてます?』と言ったら
『当たり前でしょう! さゆきサンのちぎり絵のカエル、アトリエの目につくところに置いてありますよ』
と言われた…カエルの絵? そんな絵を岩國サンが持ってたとは…これまたびっくりだ。
にしても10年どころではない「ひさしぶり」で(たぶん17、8年くらいぶり)、あまりの「変わらなさ」もオドロキだけど、話聞いてるといろいろ精力的に描いてるみたいで嬉しかった。以前は木炭画で、その濃淡とマンガちっくな動物キャラが昭和レトロの雰囲気で独特の味を出してたんだけど、3年前から油彩を始めたのだそーだ。油彩でも色調は木炭画のころとあまり変わらないね、と言ったら『よく言われる』と言ってた。

そんなこんな話をしてるうちに柏木サンが来て、3人でまたおしゃべり。吉祥寺アール・ブリュットのDMを渡して、ちょっと小止みになった雨の中を帰ったのだけど、3時50分にはウチを出ないといけないのに帰宅したのは35分。にもかかわらず5分で昼食を食べ、50分には着替えてウチを出てた。タイムカードの打刻は3時58分45秒。ふぅ。

昨夜のうちに置きDMをお願いするギャラリーへのあて名書きを済ませておいたので、あとは「一筆書くだけ」の状態だったのだけど、その「一筆」すら書けない有様だったから、9時に帰宅してから書いて、近所のポストまで投函に行った。シゴトへ行くときは土砂降りに近かったのだけど、帰りも投函のときも降ってなくて助かった。これ書いてる最中は雷とか鳴ってまた雨が激しくなってたけど。
さて、明日はBBQだ。シゴトはお休み願いを出してきたのでゆっくりできる。楽しみ楽しみ。









( ̄▽ ̄)


by yukimaru156 | 2019-06-16 01:57 | 行った観た読んだ | Comments(0)
冒頭、ごく普通の日常生活の中に「そう遠くない未来」というキャプションが入る。「遠くない」どころか「いま」であってもおかしくない、と誰もが思うだろう。いままさに、海上のどこかで起きていても不思議ではないのではないか、と。

『これまでの訓練はこの日のためだったと思え!』
予告でこの下知を聞いたときから"観たいな"と思わせる映画だった。賛否両論を巻き起こしつつ建造された空母いぶき。それは「専守防衛」から外れるのか否か、戦争を否定する国にとって本当に必要なものなのか否か。
『戦後、戦闘で死んだ自衛官はいない、それが誇りだろう』
『それは違う。戦後、戦闘で国民に死者が出たことはない。それが誇りなのだ』
戦闘と戦争の違いは、国民を巻き込む状況に陥るかどうか、だ。
いぶきの艦長には空自のエースパイロット、秋津(西島秀俊)、副艦長に海自の生え抜きである新波(佐々木蔵ノ介)。防衛大同期の2人は、反目しているようでいて同方向を見ているともいえる。戦争を避けるための「戦闘」であるならば、国民の「盾」となる。盾であるならば、傷を受けるのもやむを得ない。

20✖✖年、クリスマスイブの前日。沖の鳥島の西方450キロ、波照間群島の初島に無国籍の武装集団が上陸。海上自衛隊はただちに第5護衛隊群に出動を命じる。その旗艦こそが戦後初の空母「いぶき」だった。そして彼らを待っていたのは、偵察機への攻撃と潜水艦からの攻撃。瞬く間に想定を超えた戦闘状態に突入する第5護衛隊群。

攻撃されたことで政府は恐慌状態になる。『自衛権を発動するべき』、その判断はいつなのか。死者が出たからか、だが反撃すれば確実に相手にも死者が出て、それは一気に「戦争状態」になることを意味する。
『俺たちは戦争することができる。だが絶対に「しない」!』
この映画、名言、名台詞のオンパレードだ。正確に書けないのが歯がゆいのだけど、「熱いけど冷静」な彼らの言動にはちょっと胸が熱くなったりもした。
『今日はクリスマスだ。我が国では、信じる神が誰であれ、等しく祝う日でもある』
終盤のこの台詞には、うんうん、と頷いた。この「信じる神が誰であれ」てのがイイよな。

艦長の秋津のハラの内がわかりづらいところがこの映画にまたちょっと違うスリルも生んでて、そこが良かった。ただの熱い男だったら中身もペラくなってた気がする。
『いまのは「気を緩めるな」て意味ですか?』
『ありがとう、と礼を言いに来たのさ』
そのわかりづらさが誤解を生んできたこともあるだろうとも思われるけど、気にしてない(と思われる)沈着さが頼もしい。熱さで戦争して欲しくないしね。

「いまそこにある危機」的な、いい映画だったのだけど(手に汗握るし、迫力もあるし)、ツッコミどころもなくはない。もとは「訓練中」のいぶきだから雑記者が搭乗してたのはヨシとしても、それが若い女の子ってどうなの? とか、そもそもキミの所属する雑誌は何関係なんだね? とか(まぁ、これがおっさん記者だったら「映画化許可」しなかったろーな、配給元が。客が入らないからとか何とか言って)、時折はさまれるコンビニシーンは必要? 無駄に緊迫感を削いでないか? とか。
記者が流した一瞬の映像が流出、拡散、はたぶん実際にその通りになると思われるのだけど、と同時に「フェイク、アンフェイクが入り乱れてさらに混乱するんだろうな」とちょっとフクザツな気分にもなった。そうなったら、その「見極め」てのは、どーしたらいいんだろね。

半分ほど書いたところで突然消えた…萎えた…てゆーか、堪えた。っとに、何をどうしたらいきなり消えてしまうのだろう。これは消えませんように!
昨日の、ばーちゃんの口癖については明日にでも。










(゜-゜)



by yukimaru156 | 2019-05-30 01:43 | 行った観た読んだ | Comments(0)
『奴隷の子は奴隷の子。そこから抜け出すには剣で強くなるしかない』
そう言って剣の腕を切磋琢磨し合う信と漂。そんな「奴隷の子」に、やがて転機が訪れる。2人の稽古を見た役人が漂を(だけを)王宮に召し抱えると連れて行ったのだ。「いつか必ず会おう」と約束した信と漂。1人鍛錬を続ける信のもとに、ある日突然、深い傷を負った漂が現れ、地図を託して絶命する。そして地図の場所には、たったいま死んだ友と瓜二つの顔を持つ男がいた。彼こそが秦の王であり、弟の謀反によって追われ、漂は彼の替え玉として殺されたのだ。追っ手をかわしつつ、やがて2人は共闘し、王座奪還を目指す。

原作はまだ進行中で現在54巻。のうちの、どこまでを読んだのかわからなかったのだけど、映画の2/3あたり、てところだった。つまりイイ感じにわかってて(キャラとか)、イイ感じに知らない(山の民と結託したあたりまでしか知らない)ので、おかげでなかなか楽しめた。
アクションに次ぐアクション、飽きさせない展開、壮大なロケ、CG、そのどれもが原作ファンをもって「実写化映画の成功例」と言わしめただけのことはある。まぁ、重箱の隅を突くこともできなくはないのだけど、ンなこたーどーでもいっか、と思わせてくれる娯楽大作に仕上がってた。公開から約1か月。平時の昼間だってのにこの混みよう…これは原作がいいから、てだけじゃあないねぇ。

公開の舞台挨拶で俳優陣の1人が『世界に誇れる日本映画になった』と言ってて、それはたぶん間違いではないのだけど、でもちょっとココロで突っ込んでしまった。
"これ、秦の始皇帝をモデルにしたばりばり中国の話なんだけど、出演は全員日本人て、ぶっちゃけどーなの? 「日本映画」でいいの?"
みたいな…。もし仮にだよ、世界配信となった場合ね(もしかしたらもーそーなってるのかもだけど)、これを中国映画と思う人、少なくないんじゃないのかなぁ? 中国の人から見てもおかしいとは思わない内容であろうとは思うのだけど。本国では秦の始皇帝はどういう捉え方されてる人なんだろうねぇ。三国志はご法度で書店に置かれていない、て昔聞いたことあるんだけど。(なので若い子は日本のゲームでこれを知ったのだそーだ。かれこれ20年前に聞いた話だけど)

高評価で動員数もほくほくで、配給元あたりが欲かいて続編とか画策してそーだなぁ。どーだろなぁ。『るろ剣(るろうに剣心)』みたいになっちまわないかな。そこんとこがちと心配。あ、でもあたし、剣術シーンに関しては「るろ剣」の方が上だった気がするよ。

このPC、何となーく不安定な感じがしてたんだけど、これ書いてる途中、不意に消えちまって気ぃ狂いそうになった。タイトルが入っていれば途中でも「下書き保存」に残ってるはずなんだけど、どゆわけか(タイトルは入ってるのに!)中身がなくて、もーほんっっっとに疲れた。ブログ2度書きほどしんどいもんはないな。カーソル、たまにどっか別ンとこ飛ぶし。どーにかならんかねぇ。(しかもいま、いざ更新となったらフリーズしやがった!) 










( ̄▽ ̄)

by yukimaru156 | 2019-05-17 02:40 | 行った観た読んだ | Comments(0)
今日は用事があるので早く帰りたい、と思う日に限って「何かある」、てのがびょーいんの「あるある」だけど、もー「その予感」しかないよな、1日の始まりであった…何かずっとせわしなかったし。それでも午前中のうちに帰れたのはまぁ「なかった方」かもしれない。

帰宅してすぐ支度し、ハハと初台のオペラシティへ向かう。この日のために買った靴が、だいじょぶと思ったのにダメで、途中で引き返して履き替えた。ひらひらスカートに合う、イイ感じの靴だったのに残念。
オペラシティに着いてまず向かったのが展望台レストラン。ランチにしてはちょいとお高い店が並ぶ中で天ぷらご膳を食べ、満腹満足で広場前のベンチでひと休み。それからコンサートホールへ向かった。

開場待ちの人たちがいっぱいいて、入ると何かもー高い天井とゴージャスな内装にちょっと圧倒された。ここができて10年以上経つと思うのだけど、まだまだキレイで外観も立派だし、ちょっと得したよーな気分になる。(余談だけど、階段に「令和」とプレートのかかるアーチといっぱいの鉢植えが並べられてて、恰好の撮影スポットになってた。ハハに写真を撮ってあげた。いい記念になって良かった)

ピアノの横山幸雄氏は、ショパンのビアノ曲を全曲演奏したギネス保持者でもあり、今回は今日からの3日間でまた全曲演奏するという。クラッシックコンサートなんてガクセイのときの社会見学? 以来じゃないかなぁ。
席は3階、中央の一番前。見晴らしも良くて、見渡す席は満席で、初曲はドン・ジョヴァンニの「お手をどうぞ」。って言われても知らなかったんだけどね。オーケストラの入る、ピアノとの協奏曲で素敵だった。ソロもあるし、ヴァイオリンも入る。当然、聴きごたえは充分。
休憩をはさむこと2回で、2時間で6曲。うち、半分はウトウトしてしまったのだけど(昨日の疲れと今朝のバタバタで疲れてたのもあるけど、クラッシックってね…お恥ずかしながらやっぱちょっと…なのでした)、でも素晴らしい演奏であることに変わりはなく、考えたらショパンを続けて聴く機会なんてなかったんだよなー、と思う。

ハハいわく『ブラームスとかに比べて難しいわよね、速弾きも多いし。ピアニストは大変なんじゃないかしら』。そーか、ショパンてそういう曲なんだ。何か聴いてると映画のBGMっぽいな、と思われるところも結構あった。あ、何か壮大な映画のクライマックスっぽいな、とか。これでホントに全240曲をやるのか? と思うとクラクラするけど、3日間通しチケットを持ってる人も少なくないみたいだし、好きな人にはたまらないんだろうな。

オーケストラは「トリトン 晴れた海のオーケストラ」という、晴海を拠点にした、「指揮者を置かない、室内楽の延長のような自発的アンサンブルを特徴とする」人たちらしい。指揮者を置かないのって何かすごい気がするな。だってそれぞれが自分で判断して呼吸を合わせて演奏する、てことだもんね。
休憩をはさむたびに横山氏の服装が派手になってくのがちょっと可笑しかったけど、それは「ご愛敬」なのかな。ハハは『オペラグラス持ってこればよかったー』と言ってた。同感。

ショパンてポーランドの人なのね。それすら知らなかったわ。で、そのポーランドにちなんでポーランドの食器やお菓子なんかを会場で販売してて、気づいたときにはお菓子はほとんど売り切れてたのだけど(もっと早く気づいていれば良かった)、最後に残った「ケシの実ケーキ」2つを買うことができた。とはいえ、夕飯をハンバーガーにしたら結構なボリュームでお腹が膨れてしまったのであたしもハハもまだ食べられてないんだけどね。

ま、何にしてもハハが喜んでくれたのが良かった。G.Wもフツーに仕事とは言っても、やっぱり「G.Wぽいこと」はしてあげたかったし。それに、「どこ行っても混む」だろうから、こういう場所を選んで正解だった。美術館とかだと並ぶの必至だけど、コンサートは席決まってて動かずに済むからね。
オペラシティ自体も良かった。なるなら今度はここでホントのオペラを観たいなぁ。

そーそ、入場するときにもらうコンサートのチラシ、何と袋に入ってて、しかもその厚さ3センチだよ? ポイされてしまうチラシがどんだけ作られてんだか…コンサートチラシって、映画同様ちぎりやすい紙でいいんだけど、使いたい部分が少ないのが残念なんだよなー。








(´ー`)

by yukimaru156 | 2019-05-04 02:12 | 行った観た読んだ | Comments(0)
今日は友人のみちゃおと神代植物園。と深大寺。同じ「ジンダイ」で場所もとても近いのに字が違うんだよねぇ、紛らわしい。
なんてことはともかくとして! 何この雨! てくらいの降り方してて、うわぁ~、せっかくのお弁当がー! とココロで泣きべそかきながら詰めたり何だりしてて(昨夜のうちにほとんどの作業を終えてたのでラクちんなもんだった)、もし中止になったとしてもこの弁当は食べさせるぞ、と思ってたら『いま(待ち合わせ場所に)向かってます』とゆーメールが来た。雨だね~、と返信したら、彼女ンちの方は降ってないみたいでびっくりしてた。

あたしが出かけるまでの1時間弱の間に、降ったりやんだりが繰り返され、出かけるときは小雨。駅に着いたら本降り…そして待ち合わせの吉祥寺では雨はやんでて、神代植物園に着いたらちょっと怪し気ではあったけど雨の様子はなかった。

入園料は500円で、地図を手に散策開始。G.W真っ只中ってことで人も多かったけど、植物園は広いし、道幅もかなり余裕があるので「人が多い」て感じはせず、そこがまた良かった。シャクナゲや藤棚を楽しんだあと、バラ園へ。意外にもバラはまだほとんどが蕾で、咲いてるのは少なかった。この春は寒かったせいかねぇ、残念。以前来園したときはバラが終わり始めたところで(でも半分近くは楽しむことができた…気がする)、なかなかビンゴで来るのは難しいなーと思いながら、ここの屋根つきテラスで昼食にした。

彼女がおにぎりを握ってきてくれたので、あたしは弁当箱2つに詰めたおかずのみ。半熟煮卵がちょっと潰れて黄身が出てしまってたのだけど、それが空豆に移って、いい味になってた。半日しか出汁(醤油、みりん、お酒)に浸かってなかったわけだけど、卵も美味しくなってたし。紅生姜入りのミニハンバーグもコゴミのおかか醤油和えも好評で、作ってきた甲斐あった。

あれこれおしゃべりしながら完食し、まだ咲いてないバラ園を横目に進んで「大温室」へ。ここは(たぶん)いつ入っても失敗しない。熱帯、亜熱帯の植物は大抵咲いてるし、咲いてなくても変わった植物が楽しめるからだ。サボテンもいっぱいあるしね。(そこで喜ぶのはあたしだけかもだけど)
『名前を読んでるだけで楽しいねー』
とはみちゃおの弁。あたしもそー思うわぁ。何かここで1日過ごしたいよな気分になれるし。

温室を堪能したあと、さらに進んでつつじ園へ。ここもそろそろ終わり? ではあるけど、いろんな色、形のつつじを道の両脇から楽しむことができてこれも満足。歩いてるだけでキモチいい雑木林を抜けて「深大寺」へ向かった。
こちらもまぁ、予想してたことではあるけど、結構な人だった。参拝するだけでちょっと並んだりしてね。ご朱印も並んでるみたいで、『昨日、明治神宮の「ご朱印」は8時間待ちだったそうだよ』にはちょっとびっくり。そーか、ご朱印帳の日付が「令和元年」になるからか。集めてる友人もどこかに並んだのかなぁ。

「そばがきしるこ」なるものを食べ、メチヤ混みの鬼太郎茶屋でちょっとした土産物を買い(ホントはここで甘味食べたかったんだけど)、バスで吉祥寺へ戻った。みちゃおが以前買ったというガーゼの服を探しにまたちょっと歩き、この店のことではないかな、と案内したらビンゴで(つーか、ハハのお気に入りの店でもあった…ひらひらしてる服が多いガーリーな店だ)、ついでにちょっと良さげな靴屋も見つけることができた。ささっと見ただけだけど、ここは再訪したいなぁ。どれもシンプルで履き心地よさげな靴だった。

結局、帰宅するまで雨は降らず、いい1日だった。明日は早番でシゴトだー。そのあとコンサートなので、無事に終わって欲しい…そゆときに限って「何か」あったりするんだけどね。









(#^^#)

by yukimaru156 | 2019-05-03 00:34 | 行った観た読んだ | Comments(0)
友人が行けなくなったのでどうか、と連絡もらったのがつい数日前。「クリムト」はキライじゃないし、それとコンサートとどう繋がるのかわかんなかったのだけど、ともかくシゴトの方は「1時間遅くなります」と断りを入れておいて上野まで出かけた。開催が東京都美術館だったのでね。ひさしぶりだ、上野も。

昼のに待ち合わせて、まずはランチ。互いの意見は一致してた、「並んでないところ」で。だって土曜日で晴天で葉桜になりつつあるとは言ってもまだ充分キレイな桜が観れるこの昼時、どこもかしこも人いっぱいなのよ。日本人もそーでない人もいーっぱい。
で、お好み焼き屋に入ってあれこれおしゃべりを楽しみながら焼きあがるのを待ち(この店では焼いたのを出してくれた)、食べながらまたおしゃべりし、2時開演の講堂でのコンサートに1時間前に到着。「クリムト展を観るには別にチケットが必要なのか」と訊くと、クリムト展は来週23日からだと言う…おかしいと思ったんだよ、こんなに人がいないのは! だってこの上天気の週末に「クリムトに人が並んでないわけない」じゃん? ま、気づかないあたしたちもあたしたちだけどさー。

ショップとか眺めて時間を潰し、自由席なので中央のやや左手に座って「ファム・ファタル(運命の女性)」と称する、マーラーを始めとした数曲のピアノ歌曲を楽しんだ。クリムトと関係あるっちゃあるし、ないっちゃーないんだけどね。彼の絵にイメージされる楽曲が選曲されてる、てことかな。ともに「ウィーン世紀末」に活躍した人たちだし。
クラッシックの心地よさは同時に睡魔も誘ってくれるのだけど、ソプラノもピアノも良かった。ちょっと拙いMCも、まぁご愛敬で。しかしタイトルに「クリムト」を入れるなら、講堂にモノホンでなくても1枚くらい作品飾ってくれたら良かったのになーとも思った。背後の壁に画像を流すとかさ。その方が「クリムト展」の宣伝にもなるじゃんね。

ぴったり1時間楽しませてもらい、あたしゃシゴトなんで友人にはちと申し訳ないけど、そこで解散させてもらう。そーそ、このチケット代、払うと言ったのだけど『誕生日に何もしなかったから。自分のときはもらったのに』と固辞されてしまった…メッチャ安い誕プレだったんだけどなぁ~。高くついちゃったじゃん。(にしてもこの1週間で「4か月遅れの誕プレ」を2つももらうことになるとは…)
ありがとね、STちゃん。今度、キミの好きな若冲の本を送るわ。

5時には無事、シゴトに就くことができて、土曜だけどさほど忙しくもなくフツーに終わることができた。帰り際、センセから「うげげ」な話を聞かされて、も1人のセンセとわーきゃー騒ぐことになったのだけど、その話はまた改めて。いや、そんなもったいぶる話でもないのだけどね、「え、そうなの?! きしょい!」と思わず叫んじゃったんだよ。
今日はいい天気だったのに明日また雨とか…にゃんこ飯、しこたま買いに行く予定なのにな。









(^_^)

by yukimaru156 | 2019-04-14 01:23 | 行った観た読んだ | Comments(0)
60年代の、人種差別がいまよりずっと激しかったころの実話を基にした映画で、インテリの黒人ピアニストと粗野だが愛嬌もあり口達者なイタリア人運転手との交流を描いた作品。
ま、それだけで何となく話の道筋は知れたようなものなんだけど、でもってそれを裏切らない内容ではあるのだけど、行く先々でピアニストのドンが奏でるピアノが素晴らしく、それに感化されて(?)、自身も少なからず偏見を持ってた運転手のトニーがやがて単なる運転手兼ボディガードから友人となってく過程が、何つーか「安心して観れる」映画だった。

タイトルの「グリーンブック」とは、黒人が宿泊できるホテルの書かれたガイドブック。これが必要なほど、黒人というだけで(どんな金持ちであろうとも)泊まれないホテルは多かったのだ。北部(あれ、南部だっけ?)へ行けば行くほど根強く、あからさまになる偏見と侮蔑。黒人が車の後部座席に座り、白人が運転しているというだけで『あれ見て』と笑われるような土地を巡り、上流階級の滞在するホテルやバーで披露するピアノが絶賛されても、トイレは別で食事もできない。その不条理さを敢えてぐっと飲みこみ、旅を続けるドンと、やがて耐えられなくなったいくトニー。そうまでして演奏旅行を続行する彼の理由がわかったとき、修行者のような彼の硬い表情の意味がわかる気がする。トニーが妻に宛てた手紙に書いたように「どんな演奏でも楽しそうには見えない」理由。ドンの孤独は白人からの差別だけではないのだ。

正直な話、一緒に観たハハが絶賛するほどイイとも思えなかったのだけど、口八丁手八丁で世間を渡ってたツワモノ、トニーの、奥さんや家族には目一杯愛情を注ぐさまや、『デタラメなことは言うがウソはつかない』ことを信条とするあたり、粗野で乱暴でも許せてしまうなぁ。それにあの食べっぷり! も、あれ見たらホントにケンタ食べたくなるよ。中年らしくでぶってるけど、それでもかっこいいと思わせるのはハーヴェイ・カイテル以来ではないかなー。観てて結構彼とだぶることが多かった。喫煙シーンもサマになってるしね。

鑑賞後はハハもあたしもハラヘリで(何たって昼食抜きで3時)、マークシティの中華に誘って入ったのだけど、正解だった。ゆっくりできたし(ま、時間が時間だけにね)、熱々で美味しかったし。
で、帰宅後はひと休みしてから近所のスーパーのプレオープンへ出かけた。メチャ混みは予想してたとーりだけど、卵99円には負けるよ。それで野菜やら何やらをちょっと買ったのだけど、プレのせいかどーか、これ安い! てのは少なかった気がするな。なので煽られて買ってしまわないよう気をつけた。今回の目的は卵と牛乳と(これは高かった…)、アイス詰め放題500円! これがまたえらい混みようで、しかもみんな袋がちぎれんばかりにごっそり詰め込んでて、見てたら「ああいう野暮な詰め方はしたくないなー」とか思ってしまった。ジャイアントコーンなんか高く積み上げてしまってて、袋の2倍は盛ってたもんねぇ。あたしは11個詰めて満足して引き上げたけど。

午前中、映画前に大阪への追加納品分を梱包して発送できたので、これで本当に「ひと区切り」できた感じ。夕飯は蕪スープとつみれのオイル焼き。昨日ほどではなかったけど、今日も寒かったねぇ。さくらもまだ楽しめるなんてそれだけでびっくりだよ。








(´ー`)

by yukimaru156 | 2019-04-12 00:29 | 行った観た読んだ | Comments(0)
伝説とは「その人を直接知る人がいなくなったとき」に生まれるものなのだそーだ。その定義でいくとバスキアはまだまだ伝説にはなりそうもないが、やがてはそうなるのだろうな、と思う。彼の作品は結構好きな方で、1、2度、展覧会に出かけた。(ウチ帰って調べたら、89年のパルコギャラリーでのDMが残ってた。確か三越でもやった気がする。ポストカードが8枚あった)

70年~80年、いや90年半ばあたりまでは、N.Y.は気軽に旅行するにはちょっと勇気がいるところ、というイメージが強かった。自由と犯罪がコインの表裏になってるみたいな? 映画の冒頭で紹介されるN.Y.はホントにそんな感じで、「白人はみんな郊外へ」行き、「数多あるアパートの入居率は2~3割」、「埋まることはないと思われたアパートが保険金目当てに燃やされ」、「そこかしこで麻薬が廉価で売買」されてた。そして若者たちの暴発、暴走し続けるエネルギー。地下鉄は中も外も落書きだらけで、競い合ってスプレーを噴射されまくってた。

映画はそんな当時の状態を、いまでは一線を行くアーティストたちのインタビューを通して語られる。そして彼らに直接影響したバスキアのことも。

彼は1960年、ハイチ系アメリカ人の父親とプエルトリコ系の母親との間に生まれた。7歳のときには英語、フランス語、スペイン語を解し、8歳のときにはそれぞれの言語で詩、歴史、神話などを読んでたそうだ。美術教育は受けていなかったものの、母親は彼が芸術系に興味を示すことを喜んで美術館とかよく連れて行ったらしい。
ということを知ったのは残念ながらこの映画からではなく、帰宅してちょっと検索して知った。でないと全然わからなかったから。(展覧会行ったんだからそのくらいの知識はあって良さそうなもんだけどね…28歳で亡くなったのが「麻薬の過剰摂取」だったこともいま知ったくらいだ)

いろんなアーティストたちが彼について語るのだけど、と同時に彼ら自身の話にもなってしまうためか、肝心のバスキア自身がよく見えてこない。みんなに好かれて、作る作品は刺激的で、詩は「無意味そうだけど考えさせられてしまう、一度見たら忘れられない」と言うのだけど、その凄さ、というのがいまいち伝わってこないのはたぶん、実際に残ってるはずの絵なり詩なりがちゃんと紹介されないからではないかなぁ。絵を実際に描いてる(あるいは詩を書いてる)ライブ映像も残ってたりするのだけど、字幕を追うのが忙しいためか印象が薄い。むしろ、美術館で観たでかいキャンバスの絵を思い出して、脳内でそっちをメインにして話を聞いてた気がする。

「当時、絵描きはバンドを組み、ミュージシャンは絵を描き、映像を残し、アーティストというくくりの中に何でもかんでも組み込もうとしてた」のはよくわかる。カテゴライズの拒否、とも言えるし、それこそが「アーティストである」と主張してた気もする。
キース・へリングにしても(そういえば彼はエイズで亡くなったのだった)、「落書き=ストリートアート」から始まった彼らの絵は、いまではベラボーな額で庶民にはとてもじゃないけど手が出せないところにある。いま落書きしてる人の絵がそうなる可能性もあるわけだけど、それを分ける境? ライン? てのはどこなんだろうねぇ。インタビューに応えてた人たちはみんなして『彼が売れたのはちっとも不思議ではなく、その前からみんなが彼の才能を認めてた』と言うのだけどね。

初期のころ、バスキアがコンビ組んでた友人と名乗ってた「SAMO」は「いつもと同じ」という意味だそうだけど、ネットで見た記事では「日本語で言う「古き良き」だ」と解説されてた。んん~…そうなのかなぁ? 彼にとっては「描かずにはいられないから描く」からそれは「いつもと同じ」みたいな解釈でいいと思うのだけど。あたしがふと思っただけだよ、これは。

今日は早番仕事で、映画は夜最終回だったので、それまではBQから送られてきたマンガ読んだり(いつもありがたう!)、夕飯に「揚げないエビマヨ」作ったりしてた。明日はちゃんとちぎるつもり。ユーワクに負けなければ、ね。








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by yukimaru156 | 2019-03-16 01:38 | 行った観た読んだ | Comments(0)
池井戸潤原作なので、大体どんな話かはちょっと想像がつくのだけど(半沢とか下町ロケなどのドラマは観てない。小説は2本くらい読んだかな)、いやはや何つーか…「ザ・メヂカラ対決」みたいな感じだった。「能役者vs歌舞伎役者」みたいな? 映画俳優はひとまず置いといて、とゆーか。

いまの現代社会での組織や会社の体系なんかは、まんま時代劇に通じるモノがあると思うのだけど、ホントにそれだなと思わされる映画だ。
「藩のために」が「会社のために」にすり替わってるだけで、「私利私欲」はどちらかと言うと薄く、むしろ「会社のため=社会のため」と思い込んでる人の方が多い。「藩(会社)の存続が第一」は、そこでだけ通じるモノで、社会の常識とはかけ離れてるのだけど、そうは思わないというか。大企業のオエライさんであれヒラ社員であれみんな「社畜」なんだよなーと思ったり。
(一度でかい会社の上の人に訊いてみたいと思ってるんだけど、「安全」と「納期」ってどっちが大事なの?)

医大の女子減点操作も先ごろ発覚した統計問題も根は同じところにある気がする。ゴーン問題もかもしれない。つまるところは日本の風土(環境)と日本人の気質からくる、実は誰かが告発したところで一朝一夕には変わらないものなんだよねぇ。それを再認識した、て感じかな。企業モノの映画や小説で「勇気ある告発=正義の勝利」な捉え方されたりするけど、それで一掃されてメデタシにはならない根深さを改めて思い知らされたりもする。

仕事中でも会議中でも居眠りばかりしてる、会社のお荷物としか見えない「居眠り八角(ハッカクと呼ばれてるが本名はヤスミ)」が実は…みたいな話で、池井戸作品らしいなー、なんだけど、そこで好き嫌いが分かれるのかもしれない。好きな人は好き、そーでない人はそれなりに、ね。
いろいろツッコミどころはあるのだけど、重箱の隅を突いても仕方ないかな。レビューをざっと読んだら、結構な高評価で「へへー」だった。いや、つまんないわけではなく、むしろスリルさもあって(余計なこと探ったら左遷させられるし、ノルマは絶対だし)、悪くはないんだけど「良かった!」でもない。

よく「キムタクは何を演じてもキムタクだ」と揶揄されたりするけど(キムタクは出てません、念のため)、マンサイも何やってもマンサイだなー、と思った。『のぼうの城』で「何かちょっと違う感」があったんだけど、この作品でも同様。特にラストの椅子の座り方。思わず「それは太郎冠者!」とスクリーンに向かって叫びそーになった。元エリートでもぐーたら社員でもない、彼の素養がにじみ出てしまってるんだねぇ。明らかにそこらの俳優とは違うそれを、いくら芸達者な人たちと並べたところで微妙な違和感は拭えないのだ。もっとも、それを指摘するレビューは見かけなかったから、そゆこと言うのはあたしだけなのかもね。

にしてもあとで見たキャストでびっくりしたのが「あれが世良サン?!」だ…ホントにびっくりした…うぅ~、あたしもトシ取った、てことなんだろーけどさー。ちょっとショックだったわ。
帰りにハハと「マンサイではなく誰か」て話になって、あたしが「大泉洋かな」と言ったら笑われた。『出てきただけで笑いそう』ってシツレーな。彼だったら…とは思わないけど、カシャ含めて「別の誰か」だったら、印象も違う作品になってただろーな。その良し悪しはわからないけど。










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by yukimaru156 | 2019-03-01 00:21 | 行った観た読んだ | Comments(0)

ちぎり絵ざっか作家 さゆきの  雑記帳


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